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世界のヒバクシャ

5. 放射能汚染と闘う研究者

第2章: ソ連
第3部: 国境超えた原発汚染―スウェーデン

カリウム投与に着手

 放射能汚染との闘いは、研究者の間でも懸命に続けられていると聞き、土壌汚染の除去作業を追究する研究院の牧草調査に同行した。ウプサラ市内から東へ40キロ、青々とした牧草地の一角に車を乗り入れたクラース・ルシアンさん(42)は、長女のリサちゃん(1つ)をあやしながら、牧草の伸び具合を調べ始めた。

 彼はウプサラにあるスウェーデン農業科学大学放射線環境学科の研究員である。家を出る時「今日は育児当番さ」とウインクしてみせた気さくさとは打って変わって、真剣なまなざしで測定を続ける。

 「ほら分かるかい?5メートルごとに牧草の長さが違うだろ?セシウムの汚染土壌にそれぞれ違った量のカリウムを入れてあるんだ」。セシウムとカリウムは成分が似通っている。だが、植物はカリウムを先に吸収するので、牧草のセシウム吸収は抑制され、それを食べる家畜の体内蓄積量も少なくてすむというわけだ。

 ルシアンさんは、チェルノブイリ事故の1年後からこの実験に着手した。ある程度成果も確かめられたので、酪農家の間でもカリウム投与が普及し始めている。実用化を急ぐ背景にはむろん「セシウムの人体蓄積を最小限に」との政府の配慮がある。

 核超大国ソ連を隣国にもつスウェーデンは、放射線のモニタリング、防護ともに、1950年代から体制を整備した放射線防護対策の先進国である。技術の確かさは、ソ連核実験の探知で実証ずみだし、チェルノブイリ事故を世界に先駆けてキャッチしたことでも、探知技術が改めて証明された。防護面でも、核戦争への対応から環境対策に至るまで、日本など及びもつかないくらい周到に手を打ってきた。

森や湖はお手上げ

 そうした取り組みの到達点とも言えるのが「国内すべての原発を2010年までに廃棄する」という選択だろう。米国スリーマイルアイランド原発事故(1979年)の翌年、国民投票の結果に基づいて、国会は、2010年以内に、現在稼働中の12基すべてを廃炉とする決定を下したのだ。

 「チェルノブイリ事故は、その選択の正しさを確信させるに十分だった」とルシアンさんは言った。だが彼は同時に「わが国の防護、汚染対策ともに不十分だったことも立証された」と付け加えた。

 というのも、今回の事故で一番深刻なセシウム汚染は、1960年代初めの米ソなどの大気圏核実験による汚染の10倍から40倍にものぼる。農作物、家畜、野生動物の汚染は、それまでスウェーデン政府が想定していた数値をはるかに超えたのである。「要するに、防護技術が追いつかないということさ」とルシアンさんはいらだたしそうに言った。

 彼が所属する放射線環境学科は、事故のあと急きょ、スタッフを15人から30人に倍増し、実用的な防護策を研究してきた。牧草の根に近い部分ほどセシウムが多いことを突き止め、根本まで刈り取らない指導をしているのもその1つだし、カリウム投与法も研究の成果だ。

 研究の一翼を担ってきたルシアンさんが、しみじみと言った。「放射線防護では他国に負けないという誇りを持って研究してきたさ。でも、今やっているのは農地の対策だけ。森や湖はお手上げなんだよ。酸性雨やオゾン層破壊の問題もあるし…。一体どうすりゃいいのかねえ」