2. 爆発でサンゴ礁に亀裂
14年2月12日
第3章: 太平洋諸島・オセアニア
第3部: 汚れた楽園―仏領ポリネシア
第3部: 汚れた楽園―仏領ポリネシア
放射能漏れを警告
1975年、フランス政府が大気圏核実験を断念したことで、仏領ポリネシアは「死の灰」の危険からはいちおう解放された。しかし、地下核実験による新たな問題が、1988年に明らかにされた。
問題を提起したのは、「クストー報告」と呼ばれる1冊の文書だった。サンゴ礁から成るムルロア環礁の地質学的な安全性をチェックするため、フランス政府が1987年に派遣した科学者がまとめた報告書である。
調査団のリーダー、ジャック・クストー氏はフランス人の海洋学者である。ムルロアに5日間滞在して、核実験に立ち会ったり潜水艇で水深200メートルまで潜ったりして、実験による環礁の傷み具合などを調べた。その結果、環礁には核爆発による無数の亀裂が走っていることを突きとめた。
報告書は、亀裂から放射能漏れの危険があることを指摘し、実験用に掘削した深さ千メートルの穴を、コンクリートで密閉するよう勧告している。
「われわれはこれまで、地下核実験で環礁が傷つき、放射能漏れで海洋汚染の恐れがあると主張してきた。クストー報告は、それを初めて公式に証明した画期的なリポートだよ」。海洋生物学者、領土政府環境厚生大臣技術顧問、タヒチの反核政党「人民の力」幹部と3つの肩書を持つフィリップ・シウさん(44)は、興奮気味に言った。
環礁を形成するサンゴ礁は石灰質だから、核爆発による衝撃には弱い。地下千メートルの爆発地点は玄武岩層で、これも衝撃にもろい。環礁はもともと、地質学的に「核実験向き」ではないのだ。
相次いだ事故隠し
問題は地質だけではない。島の標高はせいぜい2、3メートルしかなく、面積も狭い。そうした地形的な制約がもとで起きた事故が、断片的ながら伝えられている。その主なものを挙げると―。
▽1979年7月 地下核実験による津波で労働者6人がけが。予定よりも浅い地点で爆発したのが原因。放射能漏れの疑いも。
▽同8月 ムルロアのフランス人労働者の証言で、実験室からプルトニウムが岩礁に漏れ、付近をアスファルトで覆っていたことが明るみに。
▽1981年3月 サイクロンの通過で、海岸近くに積んでいた放射性廃棄物が流され、プルトニウム20キロも海に拡散。
プルトニウムは毒性の強烈な放射性物質だ。それが海へ流れ込んだのに何1つ対策が講じられた形跡はない。また実験による地盤沈下も伝えられている。ポリネシア領土議会は、過去何回も、汚染や地質問題について、民間の科学者や医師ら独立機関による調査を要求してきた。しかしフランス政府は、あの手この手で真相を覆い隠し続けた。
例えば1982年7月、政府が選んだ地震学者による調査は、ムルロア滞在わずか2日だった。しかも立ち会った実験は、通常の10~70キロトンでなく1キロトンという小規模なもの。翌1983年10月には、ニュージーランドの科学者らの入域をしぶしぶ認めた。だが放射能漏れに関する資料提供は拒否し、サンプル採取も軍の監視つきで行われた。
2度にわたる調査が、実験の問題点を指摘するに至らなかったのは、言うまでもない。「だが、クストー報告は違うよ。環礁の地下が破壊され、放射能汚染の危険があることを、フランス政府も認めざるを得なくなっているんだ」。こう語るシウさんの目が輝いた。 クストー氏が見つけたサンゴ礁の亀裂が、反核運動の前に立ちはだかる厚い壁にヒビを入れるきっかけを作ったことは間違いなさそうだ。