4. 被害隠し
13年2月12日
第3章: 太平洋諸島・オセアニア
第3部: 汚れた楽園―仏領ポリネシア
第3部: 汚れた楽園―仏領ポリネシア
泳いだ直後に発疹
あくまで実験を続けようとするフランスのあくどさは、ごまかしだけでなく、被害隠しにも表れている。
「君の病気は核実験とはまったく関係ない」とコロンベル・フェリックスさん(36)を診察したフランス人医師は、断言した。だが別れ際に「病気のことはだれにも話しちゃいけないよ」と口止めすることを忘れなかった。
彼の太い褐色の腕は、皮膚がピンクのまだら状に変色している。腹といわず背中といわず、かきむしった所はすべて同じ傷跡が残っている。「ムルロアの海岸で泳いだら発疹(ほっしん)が出て、こんなひどいことになってしまった」。フェリックスさんはそう言って、自分の左腕を見やった。
彼は仏領ポリネシアの首都パペーテで荷役労働者をしていた1983年、「核実験場で働けば稼ぎがいい」と父親のララさん(59)に勧められ、ムルロアへ渡った。そこで地下核実験で汚染された実験装置の洗浄用水を爆心地点まで運搬する仕事に従事した。汚染地域での作業には細心の注意を払い、ムルロアで捕れる魚もまったく口にしなかった。
仏人医師「心配ない」 それほど用心深かった彼も、仕事に慣れるに連れて、気の緩みが出る。一仕事終えた昼下がり、あまりの暑さにたまらず、遊泳禁止の海に入った。
異常はすぐに現れた。その日の夕刻、全身に赤い発疹が出たのだ。猛烈なかゆみに耐えられず、しかられるのを覚悟で軍医に診てもらった。
「こんな病気は見たことがない」。フランス人の軍医は、怒るより前に驚いた。塗り薬をもらって、かゆみは数日で治ったが、皮膚のまだらはそのまま残った。
フェリックスさんの皮膚病が、果たして核実験で海水が汚染されていたためかどうかは、分からない。放射線被曝と病気の因果関係を医学的に立証するのは、極めて難しいからだ。しかし、被曝の影響を心配して診察を受けたことのあるポリネシアの人たちは、フランス人医師から、判で押したように「心配ない」と言われている。被害の実態が分からないだけに、不安はいっそう募る。
何より不満なのは、ポリネシアでは高度の治療が受けられないことだ。医師たちは「実験の影響はない」と言いながら、がんなどの患者はパリへ送られる。その数は年間200人を超えるが、病気の内容や治療の詳細は全く分からない。
フランスの「データ隠し」を最も端的に示すのは、ポリネシアの保健統計の扱いがある。ムルロアで核実験を始めた1966年以降、フランスは仏領ポリネシアの死亡者数、死亡原因などのデータをいっさい公表しなくなったのだ。
おまけに、実験で放出された「死の灰」のデータも隠したままだ。国連へ報告されるポリネシア海域の環境データも、ほとんど使えない代物といわれる。世界保健機関(WHO)や国際労働機関(ILO)といった国際機関から非難や抗議を受けても、事態は一向に改善される様子がない。これではポリネシア住民はもちろん、フランス政府以外のだれも、健康被害の実態などつかみようがない。
「せめて信頼できる医者がいてくれたら」。フェリックスさんのこの言葉は、そのまま島の人たちの願いでもある。ところが、ポリネシアにいる約200人の医師は、歯科医など数人を除いて、大半がフランス人で占められている。現地人が医師になるには、フランス語を使いこなし、本国の大学へ留学できる経済力がなければならない。
住民の口止め、データの公表中止、医師の独占など、フランスの「ポリネシア核被害隠し」は、かくも徹底している。