×

世界のヒバクシャ

5. 魚中毒多発

第3章: 太平洋諸島・オセアニア
第3部: 汚れた楽園―仏領ポリネシア

吐き気やかゆみ

 タヒチの島を取材していて、奇妙な話を耳にした。魚を食べると中毒になるというのだ。

 太陽が大海原を朱に染めて水平線の向こうに沈むころ、首都パペーテの港に、次々と漁船が戻ってくる。陸揚げした魚は、すぐ近くの市場に運び込まれ、待ち受けていた人々が魚の周りに集まった。人気があるのはキハダで、体長50センチを超える数10匹が、ものの30分もたたぬうちに売り切れた。

 ポリネシアの人々にとって魚は「主食」であり、魚料理は観光の島タヒチの看板でもある。ところが、島の重要なタンパク源である魚が「フランスが核実験を始めて以来、おかしくなった」という。吐き気、下痢、かゆみなどの急性症状を伴い、かゆみは数日から長い場合は数年続く。

 「それはシグアテラという魚中毒ですよ」。オーストラリアのメルボルン市で魚による病気を研究しているティルマン・ラフさん(36)が教えてくれた。彼はモナシュ医科大学社会予防医学部の講師をしている。核実験反対運動をしている友人のアドバイスで、魚中毒の研究を始めて3年になる。

 ラフさんによると、毒素をもった魚を食べると、吐き気などの急性症状が現れ、妊娠中の女性の場合、流産や早産を起こすこともある。かゆみが長引いたり運動神経の変調をきたしたりして、死亡した例もある。

年間千件のペース

 魚中毒の多発は「核実験に伴う海の生態系破壊が一因」とみる彼が、1989年1月、英国の医学専門誌に発表した論文を見せてくれた。彼がまとめた魚中毒の発生統計によると、1960年には100件に満たなかったのに、60年代後半から増え始め、フランスが大気圏核実験を停止する前年(1973年)には1,400件を記録した。1974年以降、やや減ったものの、年間千件のペースが続いている。

 このデータを地域別にみると、事態はさらに深刻だ。人口10万人当たりの魚中毒発生状況は、核実験場の風下に当たるガンビエ諸島が最も高く、タヒチ島のあるソシエテ諸島の45・4倍である。ムルロア環礁を含むツアモツ諸島は、ソシエテ諸島の3・4倍止まりだが、これは「魚を食べないように、とのフランスの指導が厳しい」(ラフさん)ためとみられる。

 発生件数の推移、地域による偏りなどを基に、ラフさんは次のような魚中毒発生メカニズムを想定する。

 まず核実験による地下の放射能漏れ、放射性降下物、廃棄物などでサンゴ礁の生態系が変わる。これら複合的な要因で一部のプランクトンが、従来みられなかった毒を持つ。それが魚の体内に濃縮され、人間が食べると中毒を起こす。

 ラフさんの研究はまだ始まったばかりだが、「原因になる毒を突き止め、それが魚の体内にどう取り込まれるかを解明すれば、放射能汚染との関係ははっきりする」と、自信をのぞかせる。「フランスが放射能汚染の実態や魚中毒の発生状況など詳細なデータを公表すれば、事態はもっと深刻なはず」とも語ってくれた。

 タヒチの核実験反対グループに知人の多いラフさんが、興味深い話をしてくれた。島の住民は魚中毒から身を守るため、猫に毒見させている、というのだ。

 タヒチ滞在中、注意して見ていると確かに猫が多い。ホテルでも3匹、レストランの中をいつもうろついていた。民族衣装のウエートレスに「どうしてこんなに猫を飼っているの」と、それとなく尋ねてみた。「タヒチアンはみんな猫が好きなのよ」と人なつこい笑顔でかわされた。