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世界のヒバクシャ

6. 「赤ひげ先生」独自に影響調査

第4章: インド・マレーシア・韓国
第2部: トリウム汚染―マレーシアの日系企業

村で初めての医師

 ブキメラー村のほぼ中心にある中国系住民の民家を改造した入り口に「KLINIK DESA」(田舎の診療所)の小さな看板がかかっている。

 近くの壁には「術仁心仁」「群人務服」と書いた2つの立派な木彫が並ぶ。「慈しみの心と思いやりの医術」をもって「民衆のために職務につく」とでも訳せばよいのだろうか。「ドクター」と呼ばれるタンビヤパー・ジャヤバラン医師(44)に、住民たちが贈ったものだ。

 「名誉なことです」と眼鏡の奥の大きな目を細めて彼は言った。4畳半ほどの診察室には診察台と事務机、簡単な医療器具、薬品類、カルテの整理箱が所狭しと置いてあった。

 「不十分だけど、何とかやってるよ」。こう言うジャヤバラン医師は、イポー総合病院に勤めた後、1983年にクアラルンプール郊外に開業した。1987年1月、村で初めての医師として、ここに移り住んだ。妻と2人の子供は、子供の勉強のためにインドのマドラスへ残し、単身赴任である。

 なぜ、ここに来たかと彼に尋ねると、「純粋に医学的な関心からだね。低レベルの放射線が人体にどんな影響を与えるかを知りたくて。自分にとって未知の分野だったしね」という答えが返ってきた。

 彼はその前年、カナダの医師がブキメラー住民の健康調査をした際、地元医師として協力した。何もドラマチックなものは期待していなかったというが、現実は違っていた。

 ジャヤバラン医師の専門は小児医学である。日常の診察のかたわら村の子供(260人)の白血球数をセランゴール州ケアリー島の子供(191人)と比較調査した。

 「環境が似ているのでね。特に単核白血球数を調べたのは、マーシャル諸島の被曝島民の間で、被曝後、その数が減少したと文献で読んでいたからだ。放射能汚染という点で類似性があるかもしれないと考えてね」。彼は調査について熱っぽく語った。

 単核白血球は免疫機能をつかさどり、これが損傷すると病気にかかりやすいとされている。クアラルンプールの血液研究所での検査結果は、ケアリー島の子供に異常がなかったのに対し、ブキメラー村の子供の半数は200以下(正常値は200~800)だった。

 「白血球総数でも、島の子は全員正常値なのに、こちらでは数値の低い子が5人いた。放射線との関連が十分推測できる」とジャヤバラン医師はみる。

流産、平均の3倍

 さらに彼は1988年、ブキメラー村の妊婦の流産率を調べた。対象は1982年から5年間に妊娠した30歳以上、中絶経験者などを除いた108人。その結果、妊娠200例に対し流産が7例あった。「村の年平均の妊娠は約40例。1982年と1986年は流産が各2例で5パーセントの率だった。これは国の平均1.8パーセントの約3倍になり、他の年も平均より高いことが分かった」と言う。

 ジャヤバラン医師はこうした数値に「暗い予感」を持った。そんな矢先、3人の白血病患者が出現した。ほかにも髄膜炎で死亡した22歳の元ARE従業員、悪性腫瘍で生命が危ぶまれている5歳の坊やの症例もある。

 インド系の彼の診療所を訪ねるのはほとんど中国系住民である。貧しい人は無料で治療する。昼間は村の若い女性をアルバイトとして雇い、夜は大人たちが奉仕する。そして診療の合間をぬって、彼は疫学調査を続ける。

 「ほとんど24時間勤務ですよ。経済的には破綻寸前だが、住民からこれだけ頼りにされているのだから見捨てることはできない」という。

 1989年6月には、重症患者の手術代をまかなうため、住民らと医療信託基金を設立し、募金を始めた。「将来は、医療設備を充実し、入院できる病院を何とかここに建てたい」。これが地域に溶け込んだ「赤ひげ先生」の夢である。