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世界のヒバクシャ

7.問われる医師の社会的責任

第4章: インド・マレーシア・韓国
第3部: 放射能不安―韓国「核」発電所

疫学調査は暗礁に

 ソウルに戻って放射線医学関係者に会った。「御用学者とののしられて冷静でいられますか」。韓国核医学会長を務めるソウル大学医学部の高昌舜(コー・チャンスン)教授(57)は、憤まんやるかたない表情で霊光原発での「無脳児流産事件」調査のてんまつを、国民学校時代に鍛えられたという流暢な日本語で語った。

 1989年8月、科学技術処の要請で現地を訪れた教授は「無脳児が放射能汚染によるとは、医学的には考えにくい」と発言し、たちまち非難の矢面に立たされた。地元、城山里住民との話し合いは十分余りで決裂してしまった。

 「何らかの恩恵がない限り住民は聞く耳を持たない。これでは政治的な解決しか考えられない。政府がいう疫学調査の実施にしても、住民が結果にけちをつけないという保証がなければ、協力は難しい」と高教授は言う。こうして汚染騒ぎの収拾を目指す科学技術処のもくろみは暗礁に乗り上げた。

 「問われているのは、医師の社会的責任ではないでしょうか。住民の不信、不安はどこから生まれたのか。初めから『影響がある』『ない』では前進は期待できない。医師の役割は大きいと思います」。こう静かな口調で語るのは、ソウル城東区の町工場の一角に「聖水医院」の看板を掲げる粱吉承(ヤン・キルスン)さん(41)だ。「国民のための医療」をうたう人道主義実践医師協議会の中心的存在である。

 人医協は民主化を支援する大学、在野の医師たちが集まり、1987年11月に旗揚げした。ソウルに本部を置き、415人の会員がボランティアで医療相談や職業病、公害病患者の診療・調査活動を続ける。原発下請け労働者の放射線被曝について取り組み始めたところに、「城山里住民に白血球減少、貧血が目立つ」という事件が明るみに出た。

知識の普及が急務

 「事件」報道直後の8月1日、被曝による初期症状との関連性を強烈に印象づける健康調査結果を発表したのは、霊光原発を抱える人医協光州全南支部だった。

 だが、粱さんら人医協本部自身は、支部の調査結果に対していち早く「基準値の取り方が厳密でない」という否定的なコメントを出した。放射線被害の問題は未知な点が多いからこそ、医師はより慎重に取り扱うべきとの理由からだ。

 ソウル大学医学部在学中、粱さんは朴政権による「大統領非常措置」に抗議し、1年間の獄中生活を強いられた。英国留学を経て、5年前にようやく医師免許を取り、工場労働者の街で労働環境改善に献身する。1989年10月、広島で開かれた核戦争防止国際医師会議(IPPNW)世界大会に初めて参加して、世界各国の放射線被害の実態に触れ、思いを新たにした。

 「率直に言って国内の原爆被爆者にも、自分を含め医師のほとんどが目を向けていなかった」と自身の不明を恥じた。「放射線被害の影響はすぐ現れなくても、10年後、20年後に出る可能性がある以上、速断せず、継続的に研究、調査していく必要がある」と言った。

 韓国は2031年までに新たに44基の原発建設政策を打ち出す予定でいる。民主化を背景にした原発の影響論争をきっかけに、国民の「核」への関心が急速に高まり、基礎的な知識の普及と相互信頼を確立する土俵づくりが急務となっている。

 人医協は来年(1990年)から、改めて原発周辺の住民の定期健康診断、生活調査に本格的に取り組むことになった。「放射線被害の機密の壁は厚いが、継続的な調査、データ公開を」と語る粱さんらの活動は始まったばかりだ。