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世界のヒバクシャ

4. 母親結束し白血病訴訟

第5章: 英国 • フランス
第1部: 核工場40年の「遺産」―英国セラフィールド

毎夏、浜辺で休暇

 「ママ、ぼく、死ぬんだろう?」―ジャニン・アリススミスさん(47)は、長男のリー君(17)が寂しそうに、こう尋ねた日のことが忘れられない。1984年夏、入院先の病院で白血病と診断された時のことである。「大丈夫よ。頑張ろうね」と彼女は、自らの不安を押し隠しながら、ベッドに横たわる息子を励まし続けた。

 羊の放牧場が広がるカンブリア南西部ブロートンミルズ村のアリススミス家の前では、羊の群れが草を食べ、庭先をアヒルが行進し、犬と猫が仲良くその光景を眺めている。まるで自然の中に溶け込んだ暮らしとでも言えるようなのどかさである。

 「でもねえ、子供たちを自然に恵まれた環境で育てようとしたことが、かえっていけなかったような気がするのよ」。彼女は、そう言って弱々しく笑った。

 一家は、夏になると決まって、アイリッシュ海の波が打ち寄せる浜辺で、ゆったりとくつろいだ休暇を過ごし、砂遊びや水泳、魚釣りなどを楽しんだ。もちろん、その浜辺からわずか2キロ足らずのセラフィールド核工場から、放射性廃液が流され続けていることなど知るよしもなかった。

 スポーツ好きのリー君が、体の不調を訴え始めたのは1983年暮れのことだった。翌年の8月になると、体中に水疱ができ、マンチェスターの総合病院を訪ねた。診断の結果は、急性リンパ性白血病だった。直ちに入院し、集中治療は1985年の5月まで9カ月も続いた。

 入院後しばらく、彼女はリー君の病気と放射能汚染との関係など考えもしなかった。ところが、入院生活が続くうち、同じ病棟に白血病の子供が多いことを知る。やがて親たちとも親しくなり言葉を交わして驚いた。ほとんどの患者が、カンブリアの沿岸部にかかわりを持っていたのである。毎日浜辺で遊んでいたとか、水泳が好きな子とか、あまりにも共通点が多かった。

患者を掘り起こす

 疑問に思ったアリススミスさんは、リー君の退院許可が下り、家に帰るとさっそく、州の保健所を訪ねたり、放射線が人体に与える影響を専門書で調べ、セラフィールド核工場と白血病の関係を追跡し始めた。

 「広島・長崎の被爆者も調べ、医師の見解も聞いてみたわ」と彼女は言った。そして、まずやらなければならないことは、すでに亡くなった子供も含めて、白血病患者を丹念に掘り起こすことだと気づいた。週5日の勤めのかたわら、白血病の子を持つ親のネットワークづくりに着手し、患者の情報が入ると6枚つづりのアンケート用紙を送った。

 質問は、両親の健康状態、妊娠の経過、子供の日々の生活、病状など30項目に及ぶ。これまでに寄せられた回答は35通にのぼり、すべて核工場との関係をうかがわせる回答だった。

 「本当はね、患者がもっと多いことは分かっているの。でも、あの工場で働いている家族の中には協力してくれない人もいるのよ」と、アリススミスさんは歯がゆそうに言った。 こうして結束した患者の家族35人の思いは一つ。わが子の病気が核工場の放射能汚染に起因することを、法廷の場で明らかにすることだ。

 核燃料公社を訴えるため、訴訟費用の法的援助を求めたところ、いったんは却下されたが、1989年3月の再審査で、18家族に限って訴訟扶助が認められた。これに勢いを得たアリススミスさんらは、世界に例のない「白血病集団訴訟」を目指して、資料の収集や整理を進める。

 「セラフィールドはあまりにも多くのことを隠してきたわ。法廷でそれを問う機会が与えられるのはうれしいけど、白血病再発の不安におびえる子供のことを思うとつらくて…」。彼女はこう言って涙をぬぐった。