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世界のヒバクシャ

5. チェルノブイリ事故で2重被曝

第5章: 英国 • フランス
第1部: 核工場40年の「遺産」―英国セラフィールド

汚された農場

 セラフィールド核工場は周辺の農場にも影響を与えた。私たちが訪ねた農場は、さらにチェルノブイリ原発事故による放射能汚染も受けていた。

 身長184センチ、体重95キロ、太い腕に大きな手をしたジェームズ・フィザクリーさん(36)のがっしりとした巨体は、かつてラグビーで鍛えたというだけあって一見、健康そのものだ。「それが3年前からすっかりおかしくなっているんだ。オレの体とも思えんよ。おまけに二女のジェニファーは白血病だし…」。彼の口から出てくる言葉は、体つきとは裏腹に力ないものだった。

 セラフィールド核工場から東へ8キロ。フィザクリー一家は173ヘクタールの広大な土地に羊800頭、乳牛20頭を飼う。妻のアンさん(33)、長女のローラちゃん(7つ)、そしてジェニファーちゃん(5つ)の4人家族。平穏な一家を異変が襲ったのは3年前だった。

 「1986年の年明け間もないころだったわ。主人の両腕に大きなこぶができたの。農作業に出てもすぐに『疲れた』と言って座り込むし…」。朗らかな元看護師のアンさんが夫に代わって病状を説明した。入院して精密検査も受けたが、いまだに原因がはっきりしないという。

羊の背中を色分け

 追い打ちをかけたのが、その年4月に起きたソ連チェルノブイリ原発事故によるセシウム汚染だった。「確か5日後の5月1日が雨だったよ。牧草には恵みの雨と思ったのになあ」。やり切れなさそうに彼は言った。セシウム137による牧草地の汚染は、1平方メートル当たり1万7千ベクレルで、羊や乳牛はたちまち影響を被った。

 その証拠を見てほしい、とジェームズさんは家のそばの羊の放牧地へ案内してくれた。「ほら、向こうの羊の背中に赤や青のペンキが塗ってあるだろう。汚染の度合いで色分けしているんだ。今でもまだ販売も移動もできないんだよ」。英国の販売許可基準は1キログラム千ベクレル以下だが、彼の羊はすべてその基準を超えている。

 100頭近くいた乳牛も1年後には20頭に減らした。牧草が汚染されて飼料確保が難しくなった上に、汚染への不安から牛乳の消費量が激減したのだ。

 「おやじの代にはセラフィールドの大火災で何カ月もミルクを捨て、今度は2,200キロも離れたチェルノブイリから運ばれた死の灰の被害を受けた。おまけに政府は何の補償もしてくれないんだ」

 二重苦に、その夏さらに悪いことが重なった。当時2歳のジェニファーちゃんが白血病と診断されたのだ。「白血病と聞いてすぐセラフィールドのことを思い浮かべたの。あの工場の煙はしょっちゅうこの上を通るし、チェルノブイリのこともあったから」。こう言うアンさんも、娘の白血病が核工場の汚染が原因と証明することの難しさは承知している。でも、彼女は核工場の影響を否定もできないはずだ、とも思っている。

 ジエームズさんは「原発は管理さえしっかりすれば問題ない」と考えていた。1976年から1年間、彼自身タービン操作員としてセラフィールドで働いたことさえあった。だが、今では「ひょっとしてあの時に被曝したのだろうか」という思いが脳裏をかすめることもある。しかし、手から足へと症状が広がる自分の病気と放射線被曝との因果関係を立証するすべはない。

 ジェニファーちゃんは、2年半の治療でどうにか元気を取り戻した。しかし、夫妻にとって娘の病気の再発への不安や、ジェームズさん自身の病気、農場のセシウム汚染など心労の種は尽きない。こうした苦い体験から、2人は「核工場は危険」と確信するようになった。

 ジェームズさんは怒りを込めて言った。「セラフィールドもチェルノブイリもオレたちから見れば同罪。どちらも許し難いよ。食べ物も安心して作れないで、どうして農民としてやっていけるんだ」