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世界のヒバクシャ

6. Uターン医師 健康被害警告

第5章: 英国 • フランス
第1部: 核工場40年の「遺産」―英国セラフィールド

白血病の子供11人

 セラフィールド核工場の南隣に「ニュークリアビレッジ(核の村)」と呼ばれる村がある。正しくはシースケール村。2千人の住民の大半が、核工場で働くか、関連の仕事で生計をたてる「核城下町」である。

 ここで生まれ、少年時代を過ごした医師、バリー・ウォーカーさん(41)は、10年前にUターンし開業した。「自然の中でのびのび暮らしたい」というのが帰郷の動機だった。だが、ほどなくのんびりしていられない事態に直面する。診察を続けるうちに、村に白血病やがん患者が多いことに気づいたのだ。彼の調査によると、1955年以降、今日までの間、白血病になった子供が11人いる。

 「わが国の白血病は10万人に1人と言われている。この村では、その10倍以上になる。大変な数字だよ」。ウォーカーさんは自分が直面した驚きをぶつけてきた。しかも発病は、1960~70年代が多い。「核燃料再処理工場の生産拡大や事故と何らかの関係がある」と彼はみる。

 1983年になって、民間テレビ局がセラフィールドの放射能汚染をめぐる特別番組を放映した。そのことで「核の村」シースケールは英国全土に知れわたった。翌年、政府の調査委員会は、1983年までに7人の白血病患者が出たことを認めた。しかし、放射能汚染との因果関係については「放出された放射性物質はわずか」と否定した。

 「委員会は、工場側が提出したいい加減なデータをうのみにしている。住民は、あんな結論なんて信用していないよ」と、ウォーカーさんは委員会の見解に反論する。

 彼の言動を、核工場や労組の幹部、地域のボスは批判する。「でも住民は僕を信頼してくれているから」と気にもとめない。住民は、彼が白血病多発を警告して以来、子供を浜辺で遊ばせなくなった。「工場がいくら安全をPRしても、職員の家族さえ海に行かないんだ。これで工場が本当に信頼されてると言えるかね」。彼はそう言って、当局の姿勢を厳しく批判した。

比重高める再処理

 ウォーカーさんと会う前、私たちは核工場を見学した。広大な敷地には、世界初の原発「コールダーホール」、住民が「汚染の元凶」と呼ぶ核燃料再処理工場、9年前に廃炉になった改良型ガス冷却炉、放射性廃棄物貯蔵庫など、さまざまな核施設が並ぶ。「ここはまるで核のデパートですね」と言ったら、案内の職員が肩をすくめた。

 プルトニウム原爆の原料工場としてスタートして40年。世界の原子力利用の歴史を刻むセラフィールドは、原発の普及に連れ、使用済み核燃料再処理の比重を高めてきた。そして今、1992年の完成を目指して、年間1,200トンの処理能力を持つ新再処理工場の建設が進んでいる。

 商業用の再処理工場は、世界でフランスとここの2カ所しかない。日本を含め7カ国の原発から使用済み核燃料が運び込まれ、向こう10年間分は契約済みだという。「核のデパート」セラフィールドは、今や世界の原発産業のノド元を押さえているのだ。

 「そりゃ、地域経済にとって大事な施設だってことは知ってるよ。でもシースケールや周りの住民の健康を犠牲にはできないからね」。ウォーカーさんはきっぱりと言った。というのも、シースケールでは1980年代に入って、悪性リンパ腫8人をはじめ、膀胱(ぼうこう)、腎臓(じんぞう)、子宮などのがんが増えつつあるのだ。

 「白血病とがん。それはセラフィールドの歴史が残した『負の遺産』としか考えられない。命を預かる医師として、僕はここの被害について発言し続けるよ」。自然への愛着と放射能汚染究明に使命感をにじませた彼の別れ際の言葉が、いつまでも耳に残った。