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世界のヒバクシャ

1. 医療用放射線源の悪夢

第6章: ブラジル • ナミビア
第1部: 光る粉の惨事―ブラジルのセシウム汚染

 1987年9月、ブラジルの病院跡地から医療用放射線源のセシウム137が持ち出され、それに触れた市民200人以上が被曝、4人が亡くなる事故が起きた。場所はブラジル中部ゴイアス州の州都ゴイアニア市の市街地である。現地を訪れると、被曝者が「光る粉」と呼ぶセシウム137の汚染被害は身の毛がよだつほどに悲惨なもので、今もなお尾を引いていた。

痛々しい右腕切断

 「このカプセルを壊したらマッチ箱のような小さな容器が出てきて…」。地元画家が描いた1枚の絵を前に、ロベルト・アルベスさん(23)は、力なく話し始めた。ここは被曝者救援のため州政府が設立した「レイデ財団」の1室だ。

 汚染事故の引き金役を果たした彼には、右腕がない。セシウム137入り容器を手づかみにして被曝し、全身汚染を食い止めるため、切断したのだ。

 1987年9月13日の日曜日、ロベルトさんは仲間のワグナー・フェレイラさん(21)と、街の中心部にある、がん病院跡地へ廃品探しに出かけた。医師3人が共同経営していたこの病院は、1984年に移転した後、雑草が茂る廃虚になっていた。敷地へ入るとコンクリートの小屋が見えた。柵はなく、鍵も壊れていて、中をのぞき込んだら金属の白い容器が見えた。

 食うや食わずの日々だった2人は、とにかく現金がほしかった。容器を運び出し、軽トラックで自宅へ運びお金に換えたい一心で解体にかかった。外側の白い容器はすぐ壊せたが、中のシリンダー状カプセルは頑丈だった。

 「三角形を3つ組み合わせたような印(注=放射性物質の表示)がついてたよ。でもその意味は知らなかった。ハンマーでたたいたり、ドライバーでこねたり…。3日もかけてやっと解体したら出てきたんだ」とロベルトさんは説明してくれた。

100グラム、人から人へ

 それは小さなマッチ箱のような容器だった。中身はがん治療に使う放射性物質セシウム137だった。彼らは危険物とはつゆ知らず、解体に手こずったカプセルともども、廃品回収業者デバイル・フェレイラさん(36)の作業場へ持ち込み、わずかばかりの現金を手にした。

 デバイルさんに取材を申し込んだら「いくら払うか」とつれない。レイデ財団のハリム・ジラド理事長(36)が「彼はあれ以来、マスコミの取材が増えて有名人気取りだから…」と、代わって事故の経緯を聞かせてくれた。

 えたいのしれない廃品を買い取ったデバイルさんは、マッチ箱のような容器の中に何が入っているか知りたくなって、ハンマーを振り下ろした。その瞬間、砕けた容器から青くキラキラ光る粉が飛び散った。リオのカーニバルで使うスパンコールのように輝いた。

 「あまりきれいなので、みんなに見せようと、彼は親類や近所に配ってしまったんです」。ハリム理事長はこう言って、何度も首を振った。

 「光る粉」の汚染は、こうして家から家、人から人へと広がって行った。認定された被曝者だけでも249人。うち4人は、命を落とすことになる。

 わずか100グラムのセシウム137だったが、ずさんな管理と乏しい知識、そして貧困が重なって大きな人災になってしまった。

 「あれから、僕の人生は狂ってしまったよ」。ロベルトさんの嘆きは、ゴイアニアの被曝者に共通した嘆きである。彼らの苦悩の日々は今も続く。