5. 閉ざされた門
13年3月5日
第6章: ブラジル • ナミビア
第1部: 光る粉の惨事―ブラジルのセシウム汚染
第1部: 光る粉の惨事―ブラジルのセシウム汚染
直接触れた人だけ
空前のセシウム137汚染が明るみに出ると、ブラジル政府、軍、ゴイアス州政府は、ヘリコプターと車に放射線探知機を積んで、大がかりな調査に乗り出した。まず81の汚染地点を突き止め、続いて高濃度汚染地点8カ所を割り出した。
汚染のひどい8カ所については、半径150メートルの範囲を1軒ごとに調査し、セシウムの反応があった人は病院へ収容して検査した。これらのデータを基に、汚染源となった廃品回収業者、デバイル・フェレイラさんの自宅から半径30メートル以内の家屋を2次汚染防止のため取り壊し、セシウム137に直接触れた249人を被曝者と認定した。
この認定基準について、間もなく2歳になるナターシャちゃんを抱いたテレーザ・ファビアノさん(30)は、腹立たしそうに言った。「こんなひどい話ってありますか。夫と娘にセシウムの症状が出たけど、州政府は夫しか被曝者と認めてくれないんですよ」
テレーザさん一家は事故当時、汚染源となったデバイルさん宅の裏側に住んでいた。「奥さんが子供好きで、事故のころ生後2カ月だったナターシャをだっこしたりキスしたり…。それから8カ月間、下痢が続きました。今もほら、鼻の下に小さな水膨れがあるでしょ。これが体のあちこちにできるんです」
しかし、州政府は「ナターシャちゃんの症状はセシウム汚染と関係ない」の一点張りだ。「セシウムに触れた人だけを被曝者と認定するのはおかしいですよ。娘は間接被曝者。そうでしょう?」とテレーザさんは不満をもらした。レイデ財団の門を閉ざされ、娘の検査も治療も受けられず、不安は募る。
被害者協会を結成
「政府は事故をなるべく小さく見せようとしてるんですよ」と言うジャジール・アンドラーデさん(48)も、レイデ財団の門戸拡大を求める1人である。1988年10月に皮膚がんと診断された夫の被曝者認定を拒否されていた。
一家は汚染源から40メートルの場所に住み、脱毛や皮膚炎など「奇病」にかかった患者を車で病院へ運んだ。ジャジールさんの場合、主人が認定漏れになっただけでなく、引っ越し費用も自己負担だった。州政府は汚染源から30メートル以上離れていると、引っ越し費用を出さなかった。30メートルという線引きの根拠はあいまいなものだという。
そんな州政府の被曝者対策に不満や不安を抱く人たちが、事故が表面化して3カ月たった1987年12月、「セシウム被害者協会」を結成した。会長にはジャジールさんが就任した。
ブラジリアの連邦政府本部に出向いて、被害者検診を急ぐよう掛け合って帰ったばかり、というジャジールさんが、被害者協会の会員リストを見せながら、こう言った。「すでに亡くなった4人を除き、これまでに州政府が認定した245人も会員です。本当は認定された人たちを含めて500人もいるんですよ。州政府がいかに被害を小さく見せたがっているか、これで分かるでしょう」
これに対して、レイデ財団の広報担当、エドソンさんは「被害者協会は、汚染事故を大げさに考えて騒ぐ人が中心になっている。ほとんどの被曝者は、財団の援助に満足しているんだ」と冷ややかである。
夫の皮膚がんの手術後を気遣いながら被害者協会の世話に追われるジャジールさんも、娘のナターシャちゃんの皮膚の水疱を不安がるテレーザさんにも、財団の門が開かれるめどはまだない。