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世界のヒバクシャ

1. 国連布告無視し日本も輸入

第6章: ブラジル • ナミビア
第2部: ナミビア 砂漠のウラン採掘

 1990年3月21日、アフリカ最後の植民地ナミビアは、南アフリカ共和国から独立した。世界第4位のウラン埋蔵量を誇るこの地から、国連の輸出禁止布告を無視して、ウランが輸出されてきたことを知る人は少ない。もちろん、輸入国の1つが日本であることもである。黒人とカラ-ド(混血)が大半を占める鉱山労働者は、放射線の知識も与えられないまま、過酷な労働に耐えてきた。

最大級の露天掘り

 大西洋岸に沿って延びる南北1,300キロのナミブ砂漠。ロッシング・ウラン社の鉱山は、そのほぼ中央にある。露天掘りのウラン鉱山としては、世界最大の規模である。

 1968年、多国籍企業の鉱山会社リオ・ティント・ジンク社(RTZ=本社ロンドン)が南ア政府から開発権を取得し、ロッシング鉱山はRTZの支配下に入った。そして2年後の1970年、三菱商事、関西電力などがウランの長期購入契約を結んだのを受けて、採掘準備が始まった。

 ところが、国連は1974年、ナミビアの天然資源を南アの収奪から守るため、ウランの採掘、精錬、輸出を禁止する「布告1号」を出した。布告では、南ア政府による資源の開発許可は無効とし、輸出された資源は「盗品」とみなし、独立後のナミビア政府に賠償請求権を認めている。

 にもかかわらず、ロッシング鉱山のウラン採掘は、1976年3月、布告を無視してスタートした。

複雑な輸出ルート

 国際的な非難の中で強行されたナミビアでのウラン採掘は、そんな背景があるだけに、輸出ルートも手が込んでいる。日本企業のナミビア・ウラン輸入を突き止めたアフリカ問題研究家、北沢洋子さん(横浜市港北区)らの調査結果によると―。

 ウラン販売を担当するのはRTZがスイスに設けたペーパー・カンパニーの子会社である。RTZは、中間製品の酸化ウラン(イエローケーキ)を英国核燃料公社に送って六フッ化ウランに転換する。それを米国で濃縮したものが日本に持ち込まれる。途中でオーストラリアやカナダ産ウランを混ぜるため、日本に入った時には産出国がどこかは分からない仕組みになっている。

 ナミビア・ウランは、関西電力だけでなく、量の多少こそあれ、原子力発電所を稼働させる9電力のうち7社が購入している。国会での追及に、各社は「契約更新はしない」と言明したものの、契約済みウランは今なお国連布告に反して日本に運び込まれ、原発のタービンを回し続けている。

 ロッシング鉱山労働組合は、給与問題などで会社側と厳しく対立するが、ウラン輸出となると立場は複雑だ。「道義的に問題はあるが、ここで2,200人の労働者が生活しているから…。ほかにこれといった産業もないしなあ」。ウィンストン・グリューネバルト委員長(38)は、こう言って天を仰いだ。

 労働者のそんな弱みを見透かすように、鉱山の労働環境は劣悪で、放射線への備えも貧弱そのものだった。