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世界のヒバクシャ

1. 核兵器開発のツケ

第7章: ノーモア核被害
第1部: 「核」の未来

 1960年代から70年代にかけて米国、ソ連、英国、フランスが激しい核開発競争を展開した時期、中国新聞紙上で鋭い核否定の論陣を張った故金井利博記者は、広島・長崎から学んだ教訓を、次のように問いかけた。「原爆は『威力』として知られたか、『悲惨』として知られたか」

 金井記者は、核兵器がキロトンやメガトン、つまり「威力」としてのみ理解されがちであることに強い懸念を抱き、核兵器は未来に続く環境破壊や健康破壊の元凶、つまり「悲惨」として理解されるべきだと主張し続けた。

 しかしこの45年、ウラン採掘、核兵器製造、核実験、原発、核燃料再処理、放射性廃棄物貯蔵など核開発利用のあらゆる段階で、おびただしい放射線被害者が生み出された。金井記者の警告もむなしく、「悲惨」が地球上の至る所で繰り返されたのである。

 私たちは、シリーズの締めくくりに当たってもう一度、世界各地で放射線被害に苦しむヒバクシャを思い起こし、新聞連載以後の新しい動きを加えながら、これから進むべき道を考えてみたい。

放射線被害次々と表面化

 米ソをはじめ核兵器保有国は、核を手にし、より進んだ核兵器を開発する過程で、実に厄介な問題を抱え込むことになった。その最大のものは、大気中にまき散らされた放射性物質による汚染であり、それを体内に取り込むことによって起こる健康被害である。広島・長崎の原爆は、市民の頭上で爆発した。放射線の影響に気づかなくても熱線、爆風という物理的な破壊力が大きかったため、だれもがいやおうなしに被害を自覚した。ところが、広島・長崎以後の核物質による被害は、ほとんどの場合、物理的エネルギーによる破壊でなく放射線そのものの影響によるものだった。

 放射線は、人間の五官によって感知することができない。つまりいつ体内に入り込んだかを自覚できないのだ。被曝したとしても、大量に被曝した場合以外は、一定の時間が経過してはじめて被害が顕在化する。その被害たるや、放射線被曝に固有の症状、疾病がなく、一般の疾病と区別がつかない。医学の専門家でさえ、その疾病が放射線に起因するかどうかを判定することは、きわめて困難である。要するに、放射線被害は、本人はもちろんのこと医師でさえ見分けがつきにくい。しかも、いったん放射性物質を体内に取り込み、放射線を浴びたら、その影響を取り除くことは、最先端の医学をもってしても不可能である。

 疾病の原因を特定することも、疾病そのものを根治することも困難で、そのうえ影響が子孫にまで及ぶ可能性がある。放射線被曝が厄介な問題であるという理由は、実にここにある。広島・長崎の被爆者が45年たった今なお、心の中に消しがたいものを抱えているのも、そのためである。

 広島・長崎の被爆者取材を経験し、その悲劇をいくつも見てきた私たちが、世界のヒバクシャと会ってなお胸を締めつけられる思いがしたのは、ヒバクシャの多くが、まだ広島・長崎の被爆者ほどの医療・福祉対策も受けられないまま、ただ不安な日々を送っているということだった。被曝者対策の遅れを指摘する以前に、大多数のヒバクシャはまだ「放射線被害者」として認知すらされていない。言葉を換えれば、ヒバクシャを生み出した国家そのものが、自らが引き起こした重大な過ちの責任を認めていないのだ。

 しかし、ソ連チェルノブイリ原発事故をきっかけに、加害者としての国家の責任を問う声が世界各国に広がり、その結果、隠されていた核被害が一気に表面化し始めた。その典型をソ連カザフ共和国のセミパラチンスク核実験場に見ることができる。セミパラチンスクの核実験汚染被害は長い間、厳しい情報管理のもとで、被害の存在を語ることすら禁じられていた。ところが、チェルノブイリ原発事故は、ゴルバチョフ大統領のグラスノスチ政策の展開過程に起こったこともあって、被害情報が比較的オープンに扱われた。お陰でソ連国民は放射能汚染がどのような意味を持つかに気づいた。

 セミパラチンスク核実験場の被害も、そうした流れの中で、住民が国家機密の壁を打ち破り、「ネバダ・セミパラチンスク運動」という核実験反対・被害者救済の市民組織結成につながって、広く世界に知られるようになった。この市民運動は、過去40年にわたって覆い隠され続けた放射線被害のおぞましい実態を次々と明らかにし、ソ連政府は1990年7月、ついに「セミパラチンスク核実験場を1993年に閉鎖する」と発表せざるを得なくなった。

実験見学、まるで花火見物

 一方、米国では、長崎原爆のプルトニウム製造で知られるワシントン州ハンフォード核兵器工場で、1940年代から大量の放射能漏れ事故や放射性物質の放出実験があったことが、チェルノブイリ原発事故と相前後して暴露された。それが引き金になって、この核工場の風下住民の間にがんや甲状腺機能障害が多発していることが明らかになった。「放射能漏れ、放出実験の影響はない」と言い続けていたエネルギー省(DOE)も、情報公開法に基づいて住民が入手した秘密解除済みの公文書を突きつけられて、被害を認めた。

 ハンフォードのずさんな工場管理が問題になると、テネシー州オークリッジ、コロラド州ロッキーフラッツ、サウスカロライナ州サバンナリバーの各核工場の放射能汚染問題も一気に表面化した。また、ニューメキシコ砂漠地帯のウラン採掘場で、閉山後の鉱山や精錬所跡に放射性廃棄物が大量に放置されていることが問題化するに及んで、エネルギー省は全米各地の核関連工場従業員の健康調査データを順次、公開することを約束せざるを得なくなった。

 米国の核開発途上で、放射線被曝が人体に及ぼす影響がいかに軽んじられたかを如実に立証する1枚の写真がある。1955年、ネバダで行われた原爆実験を見物する模様を写したその写真は、爆発の閃光を遮る黒いゴーグルを着けただけの住民が、実験場を見下ろす丘に並んでいる。まるで花火見物を楽しむかのようなその光景からは、放射線被曝への恐怖は伝わってこない。爆発の後、見学者の頭上を「死の灰」が通り過ぎ、風下の町や農場に降り注いだ。彼らは「原爆見物」や「死の灰」が何をもたらしたかを、20年以上たって白血病、がんの多発によって初めて知ることになったのである。

 核実験に参加した兵士の場合は、もっと悲惨だった。ただ核爆発を目撃しただけではなく、爆発の直後に爆心地へ向かって進軍を命じられている。彼らが残留放射線を全身に浴びたことは疑う余地がない。

 ソ連の場合、チェルノブイリ原発事故の被害は拡大の一途をたどり、セミパラチンスク核実験場の汚染実態は徐々に明らかになってはいるものの、過去の実験、事故による被害の全容は依然として不明の部分が多い。ウラル核惨事、原爆演習による兵士の被害、たび重なる原子力潜水艦事故など、ヒバクシャの多発をうかがわせるニュースが、最近になってやっと新聞、テレビで報道されるようになった。そんな中で最も懸念されるのが、ソ連のほぼ全土で繰り返された核実験の影響である。「ネバダ・セミパラチンスク運動」の盛り上がりによって、他の核実験場周辺でもヒバクシャ救済を求める活動が活発になるとみられ、政府としても放射線被害の問題を放置することはできなくなるだろう。

「核大国」は「被曝大国」

 こうしてみると、米国、ソ連という2つの核超大国は、そのまま「被曝大国」であることに気づく。「核兵器こそ核戦争を防ぐ決め手」という核抑止論をもてあそんで、核兵器開発に全力を挙げている間に、米ソは放射線という目に見えない「武器」で、自国民に対して核戦争を仕掛けていた。半世紀近い東西冷戦体制下にあって、核兵器で地球を縛って来た巨人たちは、自らも核の鎖に縛られているのである。

 チェルノブイリ原発事故がきっかけになって、核開発の歴史の暗部が次々と白日のもとにさらされるようになったが、被害者対策はほとんど進んでいない。それどころか、大多数の被害者は被曝した事実すら公的に認められていない。核実験に参加した米国の被曝退役軍人は、特定のがんにかかった場合に限り補償金が支給されるが、公費による日常の健康管理対策は行われていない。また、ネバダ核実験場風下住民に対する補償は、1990年10月にやっと認められたものの、健康管理対策は被曝退役軍人同様、不十分なままである。

 広島・長崎の被爆者の場合、まだまだ不十分とはいえ、健康管理・医療対策のほか各種手当の支給制度が2つの法律(原爆被爆者医療法、原爆被爆者特別措置法)によって保証されている。

 ここで、日本の被爆者対策を、米ソのヒバクシャにそのまま適用したとしてどれくらいの経費がかかるか計算してみよう。1990年度の被爆者対策予算は総額1261億円である。これを日本国内の被爆者健康手帳所持者(1990年3月末現在・35万2550人)で割ると、1人当たり35万8000円になる。

 米国の被曝者数は、私たちの取材や各種文献をもとに推計すると、退役軍人、核兵器工場従業員、周辺住民など合わせて約85万5千人である。ソ連の場合チェルノブイリ原発事故とウラル核惨事の被害者が合わせて約248万7千人。すると年間のヒバクシャ対策費は米国3,124億円、ソ連8,779億円となる。

 ただ、忘れてならないのは、ここで試算したのはあくまでヒバクシャ対策に限定したもので、その他の費用はまったく含んでいないということだ。その他の費用とは、放射能で汚染された土地などの浄化費、汚染によって生じる各種の補償などを指し、これらの費用を含めると、政府の財政負担が天文学的な数字になるのは間違いない。

 例えば、米国オハイオ州ファーナルド核工場の汚染訴訟で、裁判所は1989年7月、連邦政府に対して「汚染による財産価値の低下」を理由に、総額7,300万ドル(約109億円)の支払いを命じた。この他、核兵器工場の深刻な放射能汚染が表面化したのに伴い、全米各地で住民訴訟が起きており、連邦政府は今後も、被害住民に対して多額の賠償金を支払う責任を免れることはできないだろう。また、老朽化した核工場の解体、ほぼ半世紀に及ぶ核兵器生産でたまった大量の放射性廃棄物の処理も大きな問題になっている。エネルギー省の試算によると、解体と廃棄物処理だけで2千億ドル(約30兆円)の費用がかかる。

 ソ連とて核開発・利用の結果として残った「負の遺産」は膨大な額に達する。チェルノブイリ原発事故1つとっても、ソ連政府は事故処理のため1989年末までに92億ルーブル(約2兆4千億円)を支出している。事故の「後遺症」調査を続けているソ連最高会議のユーリ・シチェルバク議員は「事故後の対策費を含めて被害総額は最大2,500億ルーブル(約66兆2千億円)にのぼる」と発言している。66兆円余といえば、日本の1990年度一般会計予算の総額に匹敵する。しかも、彼の推計には、国境を越えて近隣諸国に与えた損害は含まれていない。米ソ以外にも、例えば英国は、1950~60年代にオーストラリアで行った核実験の被害補償と環境浄化の要求を、実験場周辺の住民から突きつけられている。独自の核政策をとるフランスも、ポリネシアで今も続けている核実験の後始末を迫られる時が、必ずやって来る。

 こうしてみると、人類は原子のエネルギーを取り出すことには成功したかもしれないが、エネルギーが放出された後の問題には、ほとんど対応できていないということが、はっきりと分かる。それどころか、人間の手を離れた放射性物質による汚染は、人類に巨額の請求書を突きつけている。しかもその「つけ」は、20世紀を生きるわれわれだけでなく、21世紀に生まれて来るであろう子供たちまでもが負担しなければならない。核開発の歴史が残した「つけ」はあまりにも重い。