2. 永続する放射能汚染被害
13年3月26日
第7章: ノーモア核被害
第1部: 「核」の未来
第1部: 「核」の未来
チェルノブイリ被害は拡大の一途
1986年4月、ソ連ウクライナ共和国のチェルノブイリ原発で起こった爆発事故は、史上最悪の原発事故だった。ただ事故の規模が大きかったというだけでなく、事後措置のまずさが放射線被害をいっそう拡大したという意味では、史上最悪の放射能汚染と言っても過言ではない。「地球被曝」という形容が示すように、ソ連はもちろん周辺のヨーロッパ諸国を中心に、世界中を深刻な放射能不安に陥れ、ソ連国内の被害は今なお、収拾のめどすらたっていない。
ソ連国内の汚染被害は、当初、政府が住民の避難区域として定めた半径30キロ圏をはるかに越え、白ロシア(ベラルーシ)、ロシア両共和国にも及んでいる。事故から4年もたった1990年4月、ソ連政府は新たに18万~20万人の避難計画を発表し、事故直後の対応がいかにずさんであったかを政府自ら認めた形になった。
1989年3月、白ロシアを取材した時点ですでに、私たちは避難住民の移住先が高い放射能に汚染されていることを現地でも話したし、取材報告の中でも指摘した。にもかかわらず、住民の再避難計画が発表されたのは、やっと1990年4月という状態である。その間1年あまり、そこに住まわされた人たちは十分な情報もないまま、浴びなくて済んだはずの放射線を浴び続けた。
チェルノブイリ原発事故で、今、最も深刻な状態にあるのは白ロシアである。同共和国最高会議幹部会と閣僚会議は1990年3月、国際原子力機関(IAEA)の本部があるウィーンで、外国の援助を要請するアピールを発表した。それによると、共和国内の汚染地域には全人口の約2割に当たる220万人が居住し、農地の2割が失われた。新たな濃厚汚染地域(ホットスポット)は今も発見されており、汚染のひどい地域では、子供3万7千人を含む約17万人を登録して検査や治療に当たっている。
汚染地城に住む220万人のうち11万8千人以上は非汚染地城へ移住する必要がある。アピール発表の直後、白ロシア共和国大学のオレグ・ザデロ教授(放射線生物学)は、ポーランドで開かれた学会で「白ロシアは核の大量虐殺の中を生きている。『汚れた国土』に住む人たちは、強い放射能汚染の中で汚染穀物を食べており、今後さらに数千人の死者が出る可能性がある」と報告した。この報告が示すように、チェルノブイリ原発に隣接する白ロシア共和国は、ウクライナ共和国に比べて対応が遅れ、被害の拡大を招いた。
比較的対応の早かったウクライナとて問題がないわけではない。事故4周年の日の「プラウダ」によると、ウクライナの汚染地城は6州32地区に及び、事故直後に避難した30キロ圏内の9万2千人以外に、6万人がまだ厳重監視区域に住んでいる。このうち1990年内の移住計画は1万4千人に過ぎない。
汚染地城では白血病、甲状腺障害など放射線被曝特有の疾病が急増しており、その一部約500人は自国内で医療対応できず、イスラエル、キューバ、インド、オランダの4カ国で治療を受けている。また、事故処理のため原発上空をヘリコプターで飛んで被曝したパイロットのアナトリー・ダリシエンコさんは、1990年4月27日、米国シアトル市の病院で白血病治療のため骨髄移植を受けた(7月3日死亡)。
チェルノブイリ原発事故の被曝による健康被害の全容は、ソ連からの情報が断片的なものしかないため、4年後の今もほとんど分からない。キエフ市にある全ソ放射線医学研究センターは、広島・長崎の被爆者登録制度に倣って、被曝者60万人を登録して健康管理と治療を進めるプログラムを持っているが、それがどのように運用されているかは明らかにされておらず、検査結果もまだ公表されていない。日本を訪れるソ連の科学者や医師から伝えられる情報は、いずれも特定の地域、病院などの大まかなデータに限られているし、内容も必ずしも正確でないことが多い。
広島・長崎の経験に照らして、がん、白血病、甲状腺障害など放射線による障害は、被曝後3~5年ごろから多発傾向をみせ始める。チェルノブイリの場合、今ちょうどその時期にさしかかっている。医療機器の不足が伝えられる一方で、住民の政府に対する不信も強まっているだけに、事態がいっそう深刻化するのは確実とみられる。