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世界のヒバクシャ

5. 立ち止まる勇気必要

第7章: ノーモア核被害
第1部: 「核」の未来

機能しない核燃料サイクル

 原発は安全面でまだ問題を抱えており、経済的にも決して安上がりと言えないことは、すでに触れた。そして原発が内包する最大の問題は、運転によって生じる放射性廃棄物の課題をいまだに解決し得ていない点にある。日本の場合、原発の運転によって生まれる使用済み燃料のほとんどは、英国とフランスに送って再処理している。処理済み燃料は再び日本へ帰って発電に使うが、同時に厄介この上ない高濃度汚染物質も送り返されてくる。それをどう処理するのかという問題は、まだ何一つ解決していない。

 資源小国日本が原発推進の立場を取り続けるのは、ウラン燃料を輸入すれば、1度使った核燃料を再処理し、それを再利用できるリサイクル可能な燃料だという点にある。そのリサイクルのカギを握るのは再処理工場である。

 わが国では現在、茨城県東海村にある動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の東海再処理工場が、1977年の試験操業以来、細々と操業している。設計では年間210トン再処理するはずだったが、現実には装置の腐食などトラブル続きで、年間処理量は計画の4分の1程度にとどまっている。

 現在、第2の再処理工場として青森県六ヶ所村で、核燃料サイクル施設の建設計画が進められているものの、住民の反対は根強く、計画通り1998年に稼働するかどうか危ぶまれている。また、動燃が北海道幌延町に建設を計画している高レベル放射性廃棄物の貯蔵・研究施設「貯蔵工学センター」についても、北海道議会が1990年8月に建設反対を決議しており、横路孝弘知事も科学技術庁へ計画の撤回を申し入れた。

「トイレなきマンション」

 東海再処理工場の操業実績が示すように、再処理そのものも原発と同様に確立された技術ではない。米国はすでに核燃料再処理工場を閉鎖して、再処理から撤退している。今、日本以外で操業しているのは英国、フランス、ドイツだけである。そのうち英国セラフィールドの再処理工場が環境を汚染し、周辺住民の間に白血病が多発していることは、第5章で報告した。

 セラフィールド周辺の白血病を「海の向こうのこと」と言って済ますことはできない。日本の原発の使用済み核燃料が、そこで再処理されているという意味では、われわれにもまた、責任の一端がないわけではないからである。

 こうしてみてくると、リサイクル燃料であるはずの核燃料も、再処理という一番肝心なところでまだ問題を解決していない。そして、仮にそれをクリアしたとしても、高レベル廃棄物の処理という最終段階に問題が残っている。例えば米国では、エネルギー省が建設したニューメキシコ州カールズバッドの核廃棄物隔離実験プラントが、州の廃棄物搬入拒否にあって暗礁に乗り上げている。この実験プラントは、原発だけでなく核兵器工場の廃棄物も貯蔵する計画で、工場の汚染除去で出る廃棄物の行き場もない状態が続いている。

 現状のまま原発の運転が続けば、仮に再処理技術が確固たるものになったとしても、廃棄物の貯蔵が世界各国で問題になるのは目に見えている。原子力エネルギーの利用が「トイレのないマンション」と形容される理由は、実にこの点にある。たとえ原発や再処理工場の安全が確立されて事故ゼロになっても、放射性廃棄物は世代を越えて人類を脅かし続ける。

地球のあちこちに危険ゾーン

 私たちは、なにも放射性廃棄物処理場でなくても、すでに人間が立ち入ることのできない土地が世界中にあることを知っている。それはこの45年、核保有国が繰り返し汚してきた。米国のネバダ、ソ連のセミパラチンスク、ノバヤゼムリヤ、中国のロプノール、フランス領ポリネシアのムルロア環礁、マーシャル諸島ビキニ、エニウェトクといった核実験場だ。

 これら実験場周辺で、今なお多くの人が放射線被害にあえいでいることは、すでに詳しく報告した。被害者の多くは放射線という言葉さえ知らず、被害者であるという自覚すらないまま、長い間放置されてきた。今を生きるヒバクシャはもちろん、その子も孫も、自分たちの親や、そのまた親が生きてきた大地で安んじて暮らすことはできない。人間を寄せつけないそんな場所が、いったいどれほどの面積にのぼることか考える時期にきている。

 わが国では、間もなく役目を終える原発が出始める。廃炉はそのまま「核の墓場」になるほかない。そこもまた人間を寄せつけない場所である。こうして、廃炉や放射性廃棄物処理場といった原子エネルギー利用の終着駅は、将来の幾世代にもわたって近づくことのできない暗部となる。それでもなお「原子力は地球を救う」のだろうか。本当に「地球に優しいエネルギー」と言えるのだろうか。