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世界のヒバクシャ

6. 果たすべき日本の役割

第7章: ノーモア核被害
第1部: 「核」の未来

被害の実態解明が急務

 まさか、取材先で放射線被害者から相談を受けることになろうとは、思いもしなかった。「のどにコブのようなものができたが、爆弾の毒では?」「腕のやけどは放射線被曝のせいだろうか」「ミルクを飲むなと言われている。なぜなのか」と、彼らは次々に疑問をぶつけてきた。

 放射能汚染地城に住む人たちは、政府や軍当局の説明を、ほとんどと言ってよいくらい信用していない。「ヒロシマには専門家がいるだろう。調査に来てもらえないだろうか…」。 不安に満ちた目、すがるような口調が、ヒバクシャの苦悩の深さを物語っていた。

 現地で話を聞いていると、放射能汚染被害が明るみに出るまでに、住民が大変な苦労を強いられてきたことがはっきりと分かる。不安にかられる住民の前には、当局の秘密主義と被害隠しの厚い壁が立ちはだかっている。たまりかねた住民が被害を公表したとしでも、政府や企業は自らの責任を認めようとはしない。

 被害を隠し通せなくなってデータ公開するにしても、それは決まって「放射線量は基準値以下」「影響は考えられない」で片づけられてしまう。政府や企業が被害の存在を認めるのはたいてい、取り返しがつかないほど影響が深刻になってからである。ヒバクシャが当局に疑いの目を向けるのも、無理はない。

 被害の深刻さを憂える医師や科学者が独自で調査に乗り出し、その結果を公表しても、ほとんど相手にされない。汚染事故が相次いだ英国セラフィールド核工場近くのシースケール村、日系企業による放射性廃棄物投棄で汚されたマレーシアのブキメラー村などでは、開業医が中心になって住民の放射線被害を丹念に調査した。しかし、政府や企業は、調査方法や結果の出し方を批判するだけで、真剣に取り上げようとはしなかった。

 こうして、被害者と加害者の議論がかみ合わないまま年月が流れる間も、ヒバクシャはどんどん増え続けている。当事者に任せておいては、ヒバクシャの救済はおろか、被害の実態解明すらおぼつかない。

 放射線被害の解明は、高度の専門知識を必要とするし、時間も費用もかかる。世界各地で起こっている被害を解明し、救済策を立てるためには、公正で独立した国際的な研究機関が必要ではないだろうか。そういう機関が設立されれば、被害者と加害者の双方が同じ土俵の上で、科学的に議論し合えるようになる。被害の申し立てがあった場合、すぐに調査団を派遣できるだろうし、被害の実態が早く解明されれば、救済策も立てやすい。

 チェルノブイリ原発事故が示すように、放射能汚染は地球的規模で広がる。国境などほとんど意味を持たないし、一国の対応に限界があることもはっきりした。国際研究機関が各地の放射線被害の事例を比較検討できるようになれば、未解明の分野が多い放射線医学の発展にもつながる。さらにいえば、こうした研究機関がいつでも調査に乗り出せるということは、核物質を扱うさまざまな施設の管理運営が、より厳格になるのではないか。

 すでに核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が1989年秋、核実験場や核兵器工場の被害を解明するため国際調査団を発足させたり、国際原子力機関(IAEA)が1990年4月から、チェルノブイリ原発事故の国際調査団を現地に派遣したりするなど、国家の枠を越えた調査の前例がないわけではない。

 しかし、こうした調査団には当事国政府との関係などで限界がある。とすれば国際研究機関はやはり、世界保健機関(WHO)の主導で常設機関として設立すべきだろう。WHOは一般的な健康調査のノウハウだけでなく、「核の冬」の危険性が叫ばれるようになった1980年代前半から、全面核戦争がもたらす被害予測の研究に取り組んだ実績もある。

低線量被曝の影響研究に英知を

 国際研究機関が全力を挙げて取り組むべき課題に、低線量被曝の問題がある。今、世界各地で起こっている放射線被害の大半は低線量被曝であり、この分野には未解明の問題があまりにも多い。

 広島・長崎の原爆被害は、放射線被害を考えるうえでの原点であり、被爆者医療の研究によってもたらされたデータは、世界の研究者にとって教科書と言える。現に、広島・長崎の被爆者を対象に40年以上続いている放射線影響研究所(RERF)のデータは、放射線の人体への影響を検討する時、国際的に最も重要なよりどころとなっている。

 ところが、世界各地を取材してみて、私たちは広島・長崎の教科書だけでは説明のつかない難問にぶつかった。核実験場の風下、核兵器工場周辺、ウラン採掘・精錬場など、どこも広島・長崎の経験で確かめられているよりも被曝線量は低いのに、がんや白血病などの多発傾向が認められる。一方、広島・長崎の研究では今のところ、被爆者の子供への遺伝的影響は確かめられていないのに、ソ連セミパラチンスク核実験場周辺などでは、先天性障害の事例が多数報告されている。これらの点はどのように考えればよいのだろうか。

 政府や企業が「広島・長崎のデータでは、この程度の被曝線量でがんが多発することはあり得ない」と、放射線の影響を否定する根拠として広島・長崎を引き合いに出すことがあるかもしれない。しかし低線量被曝の影響を広島・長崎と同列に扱うのが妥当かどうかは、議論の余地がある。

 その理由の1つは、被曝の形態の違いである。広島・長崎の場合、原爆が爆発した瞬間の放射線と、比較的短期間の残留放射線が障害の引き金になった。これに対して、核実験場の風下では、住民は実験のたびに「死の灰」を浴びたし、核兵器工場周辺では、住民が放射能浄染地城に長い間生活して、少しずつ被曝し続けた。この被曝形態の違いに着目して、低線量被曝の影響の深刻さを指摘する研究者の声に、もっと耳を傾ける必要があるだろう。

 もう1つの理由は、低線量被曝の影響についての評価は、研究の進展と共に楽観論が否定されつつあるという点だ。

 広島・長崎の被爆者のデータをもとにした国際放射線防護委員会(ICRP)の1977年の評価によると、1万人が1レム被曝した場合、1件のがんが発生すると計算している。しかしこれは、100レム以上被曝した時の危険度をもとに、1レム被曝のリスクを推定したに過ぎない。そうした評価の仕方に対する問題提起もあって、米国学術研究会議は1989年11月、広島・長崎で得られた最新のデータをもとに、評価の見直し作業を行い、「1レム被曝の発病リスクはICRP評価の10倍以上」との報告を公表している。

 このように、広島・長崎の被爆者調査で得られたデータそのものも、決して評価が確定したものではなく、新しいデータが加わることによって、とらえ方も大きく変わるということを認識しておく必要がある。放射線影響に関する問題は、このように非常に難しい。だからこそ、低線量被曝の影響に関する研究が国際的な緊急課題なのである。

海外援助はこれでよいのか

 放射線被害の実態調査、ヒバクシャ救済、低線量被曝の影響に関する研究などで日本が果たす役割はきわめて大きいといえる。歴代首相は毎年、広島・長崎の平和記念式典で「核兵器廃絶と世界恒久平和の確立」を内外に訴えてきた。国連総会やジュネーブ軍縮会議の場でも日本は決まって「唯一の被爆国」を強調してきた。

 その演説が単なるスローガンでないことを実証するためにも、また唯一の被爆国の責任を果たすためにも、放射線被害の問題で世界に貢献することを真剣に考える時期にきている。「経済大国」日本に注がれる世界の視線は、このところ大きく変わってきた。「平和」を唱えながら経済的な影響力を強め、さらに軍事費を膨らませる姿には、先進国からも途上国からも、警戒の目を向けられている。

 発展途上国への政府開発援助(ODA)は、今や米国を抜いて世界一になった。しかし援助の内容をめぐって、各国の国民から「住民の福祉に役立たない」「環境破壊の元凶」「自らが利益を得るための投資にすぎない」など厳しい批判を浴び、せっかくの援助が酷評されているのだ。欧米諸国のODAが教育、福祉中心であるのに比べ、日本はダム、道路建設などハード面の援助比率が高い。

 放射能に汚染された地域を歩いた私たちは、日本の海外援助がもっと保健医療に向けられないものかと痛切に感じた。とりわけヒバクシャ医療に関して、日本は広島・長崎の被爆者医療という世界に例のない経験を持っており、放射線医学の面でも情報の蓄積がある。その意味では、世界のヒバクシャに対して医療援助するのは、わが国の義務だと言えないだろうか。同時に、医療援助が世界の中での日本の役割を示すことになるのだから、双方にとってメリットは大きくなるだろう。

 ブラジル・ゴイアニアの医療用放射線事故の被害を取材した時、あの悲惨な事故の後、1人の日本人医師が現地に駆けつけて救援に当たったことを知った。戦後、広島で被爆者の治療に当たった東京・大田区在住の広藤道男さんである。帰国後、自宅を訪ねた時、広藤さんは「現地で会った広島の移住者から『被爆者医療の経験豊富な日本の医師団が駆けつけてくれると心待ちにしていた』と言われ、返す言葉がなかった」ともらした。現地の医師とのインタビューでも「広島で放射線医学の研修を受けたい」との強い希望を聞いた。

 そのことを連載に書いたところ、広島県の竹下虎之助知事が「ブラジルからの留学生招待の一環として医師を受け入れてもよい」と表明し、1990年8月から広島赤十字・原爆病院で現地の医師が研修を始めた。

 それだけではない。「広島をヒバクシャ医療と放射線被害情報のセンターに」という私たちの提言が実を結び始めている。竹下知事の呼びかけで、放射線影響研究所、広島大学原爆放射能医学研究所、広島赤十字・原爆病院など被爆者医療・研究に携わる11の機関が1990年9月に「放射線被曝者医療に関する国際協力検討委員会」の設置を決め、本格的な検討に入った。広島での動きに呼応するように外務省も、ソ連のシェワルナゼ外相(当時)の来日を機に「チェルノブイリ原発事故の結果生じた事態を克服するための日ソ協力に関する覚書」に署名し、チェルノブイリのヒバクシャに対する医療協力の姿勢を明確に示した。

 日本政府が外国の放射線被害者救済に乗り出すのはチェルノブイリが初めてだが、私たちはこれをきっかけにして、その他の国のヒバクシャについても、援助のあり方を真剣に検討する時だと思う。例えば、今なおビキニ核実験の被害から立ち直れないマーシャル諸島の人々は、米国に強い不信感を抱いている。ところが、戦前、日本の統治下にあったことから、わが国に対しては親近感を持っている。同じ核実験で第5福竜丸の乗組員が被曝したこともあって、日本の医療協力に大きな期待をかけている。

 だが、これに対して日本からは民間の医療チームが訪れたことがあるだけで、政府レベルの協力は1度も行われたことがない。それどころか、日本政府が放射性廃棄物の投棄場所の候補地として名前を上げ、現地で不評を買ったことすらある。そうした不信をぬぐい去るためにも、医療協力を急ぐべきだろう。

 マーシャル諸島のケースはともかく、まず国連外交の場で、国際研究機関の設立について各国への働きかけを強め、それを足掛かりにして医療チームの派遣、研修医師の受け入れ、医療機器、医療技術協力へと進むシナリオが書けないだろうか。

 こうした活動が軌道に乗れば、「唯一の被爆国」としてのわが国の国際的立場は明確になり、国連総会、ジュネーブ軍縮会議などでの発言力も重みを増すのではないか。

制御できぬ核エネルギー

 核時代の原点と言われるヒロシマにあって、私たちは平和問題、被爆者問題の取材に携わってきた。しかし率直に言って、私たちの目は日本国内、それも広島・長崎だけに向き過ぎていた。そんな私たちが1989年から1年余り、世界のヒバクシャを訪ねる旅を続けてみて、行く先々で身がすくむ思いだった。そこが戦場だというのならともかく、およそ戦争とは無縁の地で繰り広げられてきた「核戦争」が、どれだけの人々を苦しめ続け、そして「核の平和利用」の名のもとに開発された原子力発電が、ひとたび暴走した時、人間がいかに無力な存在かということを実感した。

 歴史を振り返る時、原子力ほど「秘密」に覆われた技術があっただろうか。人間が原子エネルギーの存在を知って半世紀余りたつが、それが兵器という不幸な生い立ちを背負っているとはいえ、いまだに市民のものとはなり得ていない。その原因をたどると、エネルギーの強大さ、技術の複雑さもさることながら、医学の驚異的な進歩にもかかわらず、放射能を制御する技術を獲得できていないという事実に行き当たる。放射能汚染が環境を破壊し、人類の生存を脅かすことが明白であるがゆえに、国家も企業も原子力を「秘密」扱いにし、住民を欺き続けてきた。

 だが、そんな秘密がいつまでも許されてよい時代ではない。原子力の技術を本当に人類のものにしようとするなら、ここらで過去を清算し、新たな出発のために英知を結集すべきだろう。東西の冷戦構造が大変革をとげた今が、そのチャンスではないだろうか。

 広島・長崎の悲惨な体験が、その後の核兵器使用を防ぎ止めた。それ自体は喜ぶべきことかもしれないが、世界のヒバクシャの苦悩を考えると、まず取り組むべきは彼らの救済だろう。そのために、広島・長崎が、さらには日本が果たす役割は大きいと思う。