×

原爆記録写真

「広島の家」 建設時の写真 参加の米女性 原爆資料館に30点寄贈

 平和運動家の故フロイド・シュモー氏が呼び掛けた「広島の家」建設に1951年参加した米国人女性が、保存していた写真30点を広島市の原爆資料館へ寄せた。資料館の付属施設「シュモーハウス」がある中区江波二本松での建設時の様子を収めた貴重な記録だ。21日からの新着資料展で公開する。

 保存していたのは、米国ワシントン州に住むジーン・ウォーキンショー(旧姓ストロング)さん。「大学を卒業した直後に、シュモー氏から『広島に行かないか』と誘われ、(原爆の)被害を受けた人々へ哀悼の気持ちを表す機会だと思った」と振り返る。

 51年6月26日、同じクエーカー教徒3人で広島に到着。後続のエメリー・アンドリュース牧師(1976年、81歳で死去)や東京の学生、広島の協力者らと、江波二本松で「広島の家」1棟と集会所を建てる。広島滞在は3カ月に及んだ。

 「時には1日10時間働き、誤ってハンマーで自分の手をたたくこともあったけれど、挑戦することを楽しんだ」。宿泊先は、シュモー氏らが前年に建てた家。「日本語が話せない私が料理当番の日は、買ってきた食材が変だなと思いながらも、みんなが食べてくれた」と思い起こす。

 現在は「シュモーハウス」となる集会所の建設資金には、大戦中にフィリピンで日本軍に抑留されてシアトルに戻った女性が、寄付した戦災補償金を充てたという史実も証言した。

 資料館の落葉裕信学芸員は「日米の市民が協力して被爆者のために家を建て、相互理解を始めた事業の様子が写真からも分かる」と話す。アンドリュース牧師の遺族から入手した日記も資料展で紹介する。(編集委員・西本雅実)

「広島の家」
 フロイド・シュモー氏(1895~2001年)が主導し、1949年から53年にかけて計15棟・21戸を江波二本松や南区皆実町などに建設。3万ドルの浄財を集め、米国から17人のボランティアが参加した。氏は83年広島市の特別名誉市民となり、唯一残った集会所は昨年11月、「シュモーハウス」として開館し、広島の復興を支援した外国人の活動について資料展示している。

(2013年6月17日朝刊掲載)