×

原爆記録写真

広島デルタ 晴天下の全景 1945年4月13日の米軍写真基に復元

街並み鮮明 建物疎開も

 広島デルタの在りし日の全景が、米軍が原爆を投下する前の1945年4月13日に撮っていた精密な航空写真を基に復元された。雲一つない晴天下の街並みや、戦時下の状況が浮かび上がる。地理学が専門の竹崎嘉彦さん(58)=広島市中区=が、市が刊行する「被爆70年史」の編修研究会の要請を受け制作した。(西本雅実)

 高度約9754メートルから撮られていた精細な5枚(1枚は約23×46センチ)を地理情報システム(GIS)のソフトを使い、航空写真の傾きを補正し、正射投影になるよう画像化した。

 被爆前の広島は、七つの川(現在は六つ)が織りなす「水の都」とも呼ばれた。城下町のたたずまいを残す光景が、鮮明なデジタル画像からよみがえった。

 平和記念公園となった中島地区を中心に広がる民家や商店、点在するビル…。広島城一帯をはじめ全域に陸軍の各施設が置かれていたことも読み取れる。

 また空襲に備え、政府の告示で44年末に始まった建物疎開作業の進行ぶりも。デルタ中央部の京橋川から本川にかけて東西に白く延びて見えるのが、防火地帯を設けるため強制的に取り壊された跡。平和大通りはこの跡に建設された。

 45年8月6日の原爆投下前の航空写真は、同7月25日撮影があるが、現在の南区霞地区などが雲に覆われていた。被爆前のデルタの全景が復元されたのは今回が初めて。写真は米国立公文書館が所蔵している。

 両親が被爆した竹崎さんは、「原爆前の広島を知る健在の人たちに見てもらいたいし、若い世代には原爆で街ごとどうなったのかを想像してほしい」と言う。

 広島市と府中、海田町も撮らえたデジタル画像の全容は、中国新聞社ヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトに近く掲載する。

(2016年7月31日朝刊掲載)

画像はこちら