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原爆記録写真

開館までの姿刻む 原爆資料館の写真20点発見

 国の重要文化財で2019年春の再オープンに向けて耐震改修工事が続く広島市中区の原爆資料館本館を巡り、1955年8月24日の開館までの全容を記録していた写真20点が見つかった。昨年に改修を終えて再公開となった東館の前身、平和記念館の55年5月の完工までと合わせ計38点がある。資料館学芸課職員らが、大林組歴史館(大阪市中央区)が保存しているのを確かめ、広島壊滅から10年後に始まった被爆資料の展示内容についても検証を進めている。(西本雅実)

「惨禍伝える」史実鮮明 開館時の展示内容 記録

 1955年に開館した広島市の原爆資料館は今、年間入館者数は170万人を超え、各国首脳も訪れる。ヒロシマの象徴ともいえる。しかし、開館までの様子を伝える記録は市にもほとんど残っていない。今回見つかった一連の写真は、苦難の復興期に建設され、被爆の実態を後世にも伝えようとした展示内容も鮮やかによみがえらせている。

 資料館が立つ平和記念公園の設計は、被爆4年後の49年に競技が行われ、1等入選を機に世界的に知られる丹下健三氏が手掛けた。

 原爆ドームを直線で見通す公園南のほぼ中央に記念陳列館(現資料館本館)を、東側に回廊で結ぶ平和記念本館(現資料館東館)などを配置。建設工事は広島支店が被爆時からあった大林組が当たった。

 一連の写真38点は、「(昭・30)広島平和記念館 附・資料館(広島支店所蔵)」とのアルバムに収められ、同社が創業の大阪市で2001年に設けた大林組歴史館が保存する。さらに、「広島平和記念館建築工事記録」を収めたマイクロフィルムが東京本社にあることも分かった。

 平和記念施設概要をまとめた60年刊の「市勢要覧」とも照合すると、資料館は51年3月に着工し、予算不足による中断を挟んで55年7月30日に完工していた。記念館の着工は52年3月で完工は55年5月30日。工費は前者が約3100万円、集会室や食堂も備えた後者が約1億4千万円だった。

 資料館の開館は55年8月24日。地質学者で廃虚を歩いて資料を集めた長岡省吾氏が初代館長に就いた。今回の検証に当たった学芸課の菊楽忍さんと下村真理さんはこう述べる。

 「開館時の展示内容をこれほど鮮明に伝える写真は初めて見た。被爆直後の救護所の様子など73年に米軍から返還された記録写真も既に展示していたのは驚きだ。実物資料や写真により原爆の惨禍を伝える博物館にしたい、と考えていたのがよく分かる」

(2018年3月2日朝刊掲載)