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原爆記録写真

川の街、平和都市へ 広島市制120周年展 20日~9月1日 福屋八丁堀本店

 「ひろしま・人と街の物語」と題する広島市制施行120周年展が20日から中区の福屋八丁堀本店で開かれる。1889(明治22)年4月に市制を敷いた廣島は、軍都・商都・学都として発展するが、1945(昭和20)年8月6日の被爆で壊滅した。しかし市民のたゆまぬ営みで復興を果たし、80年に全国10番目の政令指定都市となり、中国地方の拠点都市、平和の尊さを伝えるヒロシマとして歩み続ける。展示資料の一部を紹介し、広島の姿をたどる。(編集委員・西本雅実)

 白島九軒町(中区)に生まれ育った阿川弘之さん(88)は、代表作の一つ「春の城」(1952年刊)で広島の被爆前の光景を鮮やかに表している。作家の若き日と重なる主人公が、東京の大学から梅雨明けに帰省した場面をこう描く。

 「そこには、引き潮時には砂底を見せた浅い流れとなり、潮が満ちると緑色の深い淵(ふち)に変る、見慣れた川があった。どの川筋でも子供が大勢泳いでいた」

 広島は、中国山地を源とする太田川の下流に形成された城下町時代から続く「川の街」でもある。

 市制施行時の人口は8万3387人。明治維新後の鎮台を母体とする陸軍第五師団司令部が前年に広島城内に置かれた。仙台や名古屋と同じように師団ができたことで街の近代化が進み、商都・学都にもなった。1929(昭和4)年には隣接7町村を編入し、戦前に人口は約40万9千人に達した。七つの川(50年代から65年の改修工事で現在は六つ)に抱かれ、「水の都」とも呼ばれた。

 それが米軍が投下した一発の原子爆弾で二十数万人が死傷し、街は廃虚と化す。

 広島文理科大助教授だった小倉豊文さん(96年死去)は被爆3年後に著した「絶後の記録」で、過去・現在・未来を貫く姿を記した。一部を省略して引用する。

 「『軍都』は消滅しても『水郷』広島は滅びはしない。そして『平和の都』としてよみがえりつつある。『平和の都』は『永遠の都』だ。大きな犠牲は、後の世界に無言の警告を発して、大きな美しい果実を結ぼうとしている」

 その翌年8月に「広島平和記念都市建設法」が公布される。「恒久の平和を誠実に実現する理想の象徴」広島の建設を誓った法が誕生し、今年はちょうど60周年にも当たる。

 <展示概要>広島市制施行120周年展は、中区の福屋八丁堀本店8階催場を会場に20日から9月1日まで。市民から寄せられた写真を含め約375点を展示。広島の歩みをクイズ形式で紹介するほか、1920年代や50年代に撮影された貴重な映像を上映。「昭和30年代の台所と茶の間」も復元展示する。入場は無料。市の主催で中国新聞社が特別協賛、福屋が企画協力している。

(2009年8月15日朝刊掲載)