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ヒロシマ用語集

第二総軍司令部

軍都機能 さらに強く

 米軍による沖縄上陸や各地への空襲(くうしゅう)など戦況(せんきょう)が悪化する中、当時の陸軍は1945年4月、「本土決戦」に備えて、広島市二葉の里(現東区)に西日本を統括(とうかつ)する第二総軍司令部を設けました。

 東日本をまとめる第一総軍司令部は、東京に置きました。「日本が東西に分断されても戦える措置(そち)」(「広島県戦災史」1988年刊)でした。

 広島は、「軍都」として発展してきました。日清戦争(1894~95年)では、戦争を指揮する「大本営」が、広島城跡に設けられました。宇品港(現南区)は、戦地へ兵士を送り出す拠点(きょてん)にもなりました。

 第二総軍司令部の設置により、広島は軍都としての役割をさらに強めたのです。

 司令部は、爆心地から約1・8キロの所にあり、原爆で建物が全焼するなど大きな被害(ひがい)が出ました。