材木町
18年8月1日
犠牲者を悼んで石碑
材木町は、現在の広島市中区中島町。平和記念公園の原爆慰霊碑(いれいひ)から原爆資料館、噴水の南辺りまでの一帯です。1965年に今の住居表示になるまで、名前は残っていました。
この町名は、材木商が多かったことに由来すると言われています。ただ、広島市によると、昭和初期ごろまでには、ほとんどなくなっていたそうです。
巨大(きょだい)な山門で知られた誓願寺、米、野菜、精肉、うどん、菓子(かし)といった商店、民家などが軒(のき)を連ねるにぎやかな町でした。木村正恵さんの母と祖父が営んでいた理髪(りはつ)店も、被爆前に隣町の中島新町から疎開(そかい)し、この材木町にありました。しかし原爆で、町は壊滅(かいめつ)的な被害を受けました。
遠方に行くなどしてわずかに生き残っていた住民たちも、平和記念公園の建設に伴い、50年代初めまでに移転を余儀なくされました。
かつての町民が57年、町に思いをはせ、犠牲(ぎせい)者の冥福(めいふく)を祈って「材木町跡」と刻んだ石碑(せきひ)を建てました。今も公園内にひっそりとたたずんでいます。