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ヒロシマ用語集

折り鶴

禎子さんがきっかけ

 「千羽(せんば)折れば、願いがかなう」という言い伝えが折り鶴にはあります。平和のシンボルになったのは、平和記念公園(広島市中区)にある原爆の子の像のモデル、佐々木禎子(ささき・さだこ)さんがきっかけ。被爆10年後、白血病のため、12歳(さい)で亡くなった少女です。

 禎子さんが入院していた広島赤十字病院(同)に、名古屋市の高校からお見舞(みま)いの折り鶴が届きました。それを機に、禎子さんは、病気の回復を祈って鶴を折り続けました。

 禎子さんの死後、級友たちは原爆の子の像の建立運動を始めました。「原爆で亡くなった全ての子どもたちを慰(なぐさ)めよう」との思いは広がり、1958年に完成しました。

 折り鶴と禎子さんの話は、本や映像で世界中に広まりました。原爆資料館(同)の学芸員福島在行(ありゆき)さんは「生きたいというひたむきな思いや、理不尽(りふじん)なものへの抵抗(ていこう)など、いろいろな意味で受け止められている」と話しています。