広島赤十字病院
18年8月1日
倒壊免れ戦後も使用
現在、広島市中区千田町にある広島赤十字・原爆病院は1939年、日本赤十字社広島支部病院として開設しました。救護看護婦養成部(所)も置かれました。病院は43年、広島赤十字病院に名前を変更(へんこう)。戦時中は陸軍指定病院として、外来は一般(いっぱん)の人も受け入れていましたが、入院できるのは陸軍の患者(かんじゃ)だけでした。
原爆が投下された時に在籍(ざいせき)していた職員は、医師や看護師、看護師生徒たち計554人。入院患者は約250人いました。原爆で職員と入院患者56人が死亡し、約360人が重軽傷を負いました。
多くの被爆者が助けを求めて来ました。働ける医師や看護師、看護師生徒、入院患者が救護に当たりました。医薬品はすぐに底をつきました。
コンクリート建ての病棟(びょうとう)は、窓枠がゆがんで窓が割れるなど大破。しかし倒壊(とうかい)や焼失は免(まぬが)れ、戦後も半世紀近く使われました。近くに整備された「メモリアルパーク」に、爆風でゆがんだ鉄製の窓枠は移設、モニュメントとして保存されています。