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ヒロシマ用語集

鶴見橋

多くの被爆者が避難

 広島市の平和大通りの東端(とうたん)、京橋川に架(か)かっているのが鶴見(つるみ)橋です。爆心地からは約1・7キロ。中区鶴見町と南区比治山本町を結んでいます。

 木造の橋が架けられたのは1880年。広島に原爆が落とされた当時、橋の西側では、広島女子商業学校や県立広島第一中学校など12校の1936人が、建物疎開(そかい)作業に動員されていました(原爆資料館の2004年企画展から)。

 尾長(おなが)や矢賀、荒神(こうじん)、段原などの地域や、東洋工業(現マツダ)などの会社でつくる「義勇隊」も来ていました(広島県戦災史から)。

 原爆の熱線で、橋の欄干(らんかん)などに着火。しかし、すぐに消し止められ、多くの被爆者が、この橋を渡(わた)って比治山などに避難(ひなん)しました。

 橋の東詰めには、大きなシダレヤナギがあります。原爆を受けても耐(た)えて生き続けていましたが、樹齢(じゅれい)100年を超(こ)えた2007年9月、枯死(こし)が確認されました。