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ヒロシマ用語集

広島駅

コンクリの駅舎全焼

 広島駅(現広島市南区)は爆心地から約2キロの地点にあり、原爆投下で大きな被害(ひがい)を受けました。日本で初めてコンクリートで造られた駅舎は天井(てんじょう)が抜(ぬ)け落ち、全焼しました。利用者の増加に伴(ともな)って建て増しされていた木造の待合室も倒壊(とうかい)し、焼けました。焼(や)け跡(あと)からは、78人の遺体(いたい)が見つかったとされています。

 原爆投下の翌日(よくじつ)には、軍用線として使われていた宇品線(廃線(はいせん))が全線復旧するなど各線は徐々(じょじょ)に復旧しました。列車は、原爆でけがをした人たちを運ぶ救援(きゅうえん)列車としても、重要な役割(やくわり)を果たしました。

 実は、被爆直後から被害の少なかった周辺の駅などで列車の折り返し運転が行われました。芸備線では、被爆当日の8月6日、広島から備後十日市駅(現三次駅、三次市)へ負傷者を乗せて走った貨物列車とは別に、備後十日市駅を出発した救援列車が、広島駅の一つ手前の矢賀駅(現広島市東区)で被災(ひさい)者を乗せて折り返し運転したという国鉄勤務者の手記が残っています。