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ヒロシマ用語集

広島県庁

倒壊・全焼 犠牲者1142人

 被爆当時、広島県庁は広島市水主(かこ)町(現中区加古町)にありました。明治時代に建てられた木造の庁舎(ちょうしゃ)で、爆心地から約900メートルと近かったため、倒壊(とうかい)、全焼しました。庁内にいた職員の多くは、即死(そくし)か建物の下敷(したじ)きになって焼死したそうです。

 県によると、分室にいたり出勤途中(しゅっきんとちゅう)だったりした人たちも含(ふく)め、1142人が犠牲になりました。被爆後、県庁跡(あと)を訪れた職員の手記には、「焼けた死体があちこちにある。机(つくえ)の位置で見当をつけて、拾った骨(ほね)を封筒(ふうとう)に入れて、名前を書いた」など、惨状(さんじょう)がつづられています。

 県庁は、8月6日夕に比治山西側の多聞院、翌(よく)7日には下柳町(現中区銀山町)の東警察署(けいさつしょ)に機能を移しました。8月20日からは東洋工業(現マツダ、府中町)の一部を仮庁舎とし、1946年7月からは霞町(現南区)の旧広島陸軍兵器補給廠(しょう)を庁舎として使用。56年に今の中区基町に移りました。

 被爆時の県庁の跡には、慰霊碑(いれいひ)が建てられています。