『ジュニアライター発』 核の怖さ 心に刻んだ
15年4月14日
開発者・家族も苦しみ
被爆証言とドキュメンタリー映画の集い
原爆投下から70年となる今年、被爆地広島では、平和関連のイベントが相次いで開かれています。中国新聞ジュニアライターも、春休みを利用して積極的に参加。核兵器も戦争もない世界を目指して行動することの大切さをあらためて心に刻みました。
核実験を題材にしたドキュメンタリー映画を観賞し、被爆者の岡田恵美子さん(78)=広島市東区=の証言を聞く集いが、国立広島原爆死没者追悼(ついとう)平和祈念(きねん)館(中区)でありました。被爆体験の伝承に取り組むグループ有志が開きました。
初めに、映画「アトミックマム」(2010年)を見ました。米海軍で1950年代、放射線による熱傷についての秘密研究に携(たずさ)わった女性のその後を描(えが)きます。娘のM・T・シルビアさんが監督し、秘密を抱え続けた母の苦悩や心の揺(ゆ)れを、親子の会話も含(ふく)めて映像化しました。
映画には、岡田さんが登場します。シルビアさんが広島を訪れて取材しました。原爆が岡田さんの姉を奪(うば)ったこと、わが子にも被爆の影響(えいきょう)とみられる苦しみを与えたことなどを紹介(しょうかい)しています。
上映後、岡田さんが被爆時の悲惨(ひさん)な状況を証言しました。「戦争は絶対悪。原爆が落とされてから10年の間だけでも、たくさんの人が亡くなった。後障害については、当時全然分からなかった」
核兵器は、直接の被害者だけではなく、開発に関わった人や家族にまで苦しみをもたらす。映画と講演を通じて、そう感じました。
岡田さんはジュニアライターに対し、「この講演で聞いたことを自分の言葉で伝えてほしい」と話しました。人の心にも体にも深刻な影響を及ぼす核兵器。その怖(こわ)さを、私たちなりに、いろんな機会に訴(うった)えていきたいと思います。(高1山田千秋)
禁止へNGOが存在感
広島市立大平和研で長崎大准教授が講演
広島市立大広島平和研究所(安佐南区)が同研究所で開いた「核・軍縮研究会」で、長崎大核兵器廃絶研究センターの中村桂子准教授=写真=が「核兵器禁止に向けた国際市民社会・NGO(非政府組織)の役割」と題して講演しました。
核兵器は、機密事項(じこう)が多いため、以前はNGOが情報を得にくかったそうです。2000年に開かれた核拡散防止条約(NPT)再検討会議では、資料を手に入れるのにも手間がかかりました。しかし情報公開が拡大。10年の同会議は、インターネット中継(ちゅうけい)されたり、資料もすぐにネットで公開されたりするようになりました。「NGOが専門家として見られるようになってきている。政府と意見交換(こうかん)するのも一般的(いっぱんてき)になっている」と話します。
NGOが「核兵器を禁止できる」とするのは、前例があるからです。対人地雷(じらい)やクラスター爆弾は、「非人道性」を根拠(こんきょ)として、NGOが原動力となって禁止する条約を作ることができました。「NGOとしては、『次は核兵器』というのが自然な流れになっている」と説明します。
国連では、12年5月から14年10月までに計5回、「非人道性」に関する共同声明が出されました。また、13年3月から14年12月までに「核兵器の非人道性に関する国際会議」も3回開かれました。科学的な視点から専門家が核兵器による影響を発表。各国政府や国連、国際赤十字、NGOが議論を重ねてきました。
4月27日から始まるNPT再検討会議では、「(核兵器を)持つ国」「持たざる国」の二極化から一歩進み今後どうするかを議論しよう、と多くのNGOが考えているそうです。(高2二井谷栞)
(2015年4月14日朝刊掲載)