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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] エスキーテニス

【取材を終えて】

 初めてエスキーテニスを体験し、その魅力を肌で感じることができました。私は小さいころからバドミントンをよくプレーしていたので似た動きだと思い、力強くラケットをふったのですが、球がコートから出てしまいました。力加減が難しかったです。しかし、弱い力でも打ち返せることが年齢や体力関係なく誰でも楽しめる理由だと気づきました。広島生まれの平和のスポーツ「エスキーテニス」をたくさんの人に体験してほしいです。(高2山代夏葵)

 広島で77年も前に生まれたスポーツなのに、全く知りませんでした。私は考案者の宇野本信さんが娘を亡くした悲しみの中、平和への願いを込めて多くの人が楽しめる娯楽を作ったことに感動しました。

 今、エスキーテニスを知っている人は少なくなっているそうです。友達にエスキーテニスに込められた思いや魅力を伝えたり、学校の平和学習の一環として取り入れたりすることが大切だと思いました。(高2新長志乃)

 今回初めてエスキーテニスを知りました。取材中に見た大会の映像では、さまざまなテクニックが使われていました。どの選手も楽しそうにプレーしている姿が印象的でした。

 宇野本信さんは武子さんを失ったつらい気持ちの中、誰もが楽しめるスポーツとしてエスキーテニスを考えました。被爆後はたくさんの人が心身ともに傷つきましたが、プレーすることで、前向きな思いを持つことにつながったのではないかと思いました。

 また、ひ孫の翼さんの「被爆証言を直接聞くだけではなく、エスキーテニスを体験することも平和の伝え方の一つ」という言葉にとても共感しました。エスキーテニスは楽しくプレーしながら平和を学べる方法です。私も身の回りの人たちと一緒にプレーし、競技に込められた平和への思いを伝えたいです。(中3山下綾子)

 (エスキーテニス)宇野本信さんは、家族の手も借りながら働き詰めで、普及活動をしていたそうです。被爆死した武子さんとの「平和になるために努力する」という約束を果たそうと必死だったことが伝わってきました。ひ孫の翼さんはその思いと競技を広めようとしており、宇野本家が一丸となって普及に取り組んでいる姿が印象的でした。平和学習が怖くて、遠ざけてしまう人でもエスキーテニスなら興味を持ってくれる人が多いのではないでしょうか。

 映像を見るだけなら簡単にできそうと思っていましたが、実際体験してみると意外と難しかったです。しかし、できないけれどできそうという絶妙な感覚に、向上心がかき立てられました。だからこそ多くの人が夢中になったのだと思います。

 (戦争とスポーツ) 戦時中も国民はスポーツを娯楽として捉えていたものの、実際は国によって思想をコントロールするためのツールとして使われていたことに驚きました。スポーツそのものに善悪はないですが、どのように利用されるかによってイメージが大きく変わってしまうことに、危機感を持ちました。戦後、「スポーツは元来それ自体が目的であり手段である」という考え方が出てきたことは、「国力を強化するためのスポーツ」から「復興のシンボルのスポーツ」に変わったことにもつながっていると思います。(中1竹内香琳)

 家の近くにエスキーテニスのコートがあるにもかかわらず、その存在を知りませんでした。平和を願って生まれた広島ならではのスポーツを伝えることは原爆を伝えることにもつながります。知らない人に伝え、平和について考えるきっかけを作りたいです。

 テニスと似たスポーツだと思っていましたが、実際に体験してみると、見た目以上にコートを小さく感じました。狭い土地でも多くの人が楽しむために考えられた工夫だと思いました。相手も近く、コミュニケーションが取りやすいのも魅力です。

 取材を通じてスポーツは人々の心の支えや復興の手助けとなったことが分かりました。今は多くの人が娯楽として親しんでいますが、戦時中は国力を高めるための手段だったと知り、改めて戦争の恐ろしさを感じました。スポーツにも戦争や平和との関わりがあることに驚きました。(中1鶴田雛)

 取材をするまでエスキーテニスを知りませんでした。私だけではなく、特に若者に知らない人が多いと聞き、たくさんの人に知ってもらい、平和について深く考えてほしいと思いました。

 スポーツが戦争や復興とどのように結びついていたのかも学びました。戦時中と今では、体を動かして楽しむということの価値観が大きく違うことに驚きました。

 私は戦後の復興にスポーツが大きく関係しているということを全く知りませんでしたが、取材を経て、重要なことが分かりました。(中1矢熊翔人)

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