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ジュニアライター発信

Peace Seeds~10代がまく種~ <6> 被爆建物 歴史の証人 保存願う声

 広島市に投下された原爆(げんばく)によって、中心部の建物の多くは倒壊(とうかい)、焼失して街は廃虚(はいきょ)となりました。しかし一部の建物は今も残っていて、被爆建物(ひばくたてもの)と呼ばれています。老朽化(ろうきゅうか)が進み、地震(じしん)に弱いなど、課題もありますが、被爆の証人として、保存を願う声は高まっています。

広島市内85件 耐震化に巨費

 被爆建物とは、爆心地(ばくしんち)から5キロ以内で、原爆投下後も残った建物(民家を除く)のことです。広島市平和推進課によると、1993年以来、102件が登録されましたが、老朽化して取(と)り壊(こわ)されたものもあり、現在残っているのは85件。うち20件が公共、65件が民間の建物です。

 被爆建物を保存するため、市は所有者が工事を行う場合、3千万円を上限に費用の4分の3を補助することにしています。これまで19件に補助しました。

 しかし、耐震(たいしん)の工事には巨額(きょがく)の費用がかかるなど、難しい問題もあります。市は、被爆建物を今後どのように保存していくか見直すことにしているそうです。(高3木村友美、高1福嶋華奈、山田杏佳)

進む老朽化 市民も広く議論を

元広島大教授の石丸さんに聞く

 被爆建物保存の歴史や意義について、保存運動に関わってきた元広島大教授の石丸紀興さん(73)=写真・都市計画学=に聞きました。

 保存が最初に議論されたのは原爆ドーム(広島市中区)だそうです。全国からの募金で2度の保存工事が行われ、1996年には世界遺産に登録されました。

 しかし取り壊された被爆建物も多く、老朽化が進む広島大旧理学部1号館(中区)や旧陸軍被服支廠(きゅうりくぐんひふくししょう)(南区)の保存を求める声は高まっています。

 石丸さんは「被爆建物は原爆を後世に伝える証人です。また、人々の努力で活用されてきた歴史を持つ建物として、いろいろなことを訴えてくれるのではないか。市民も広く議論してほしい」と話しています。僕たちはあらためて、被爆建物の持つ意義をしっかり考えないといけないと思いました。(高1谷口信乃)

天井破損/壁にガラス片

痕跡まざまざ 活用探ろう

 7月中旬、被爆建物を見て回りました。被爆の痕跡(こんせき)を残しているものや建物の一部だけが記念に残されているもの、活用されず老朽化が進んでいるものなど、さまざまでした。

 爆心地から1・7キロの多聞院(たもんいん)(広島市南区)の鐘楼(しょうろう)は木造の建物で、爆風(ばくふう)によって大きく破損した天井が、そのまま残っていました。修学旅行生らがよく訪れているそうです。

 旧陸軍被服支廠(きゅうりくぐんひふくししょう)(同)は鉄筋コンクリートで、れんが張りの頑丈(がんじょう)そうな建物ですが、窓の鉄製の扉が爆風によって曲がったままになっていました。広島大旧理学部1号館(中区)とともに活用されておらず、傷みが進んでいるようでした。

 旧広島地方気象台(同)には、ガラス片が刺(さ)さった壁(かべ)が残されています。現在は江波山気象館という博物館になっています。旧日本銀行広島支店(同)も展示場として使われています。ともに市の重要有形文化財に指定されました。

 旧段原中(南区)の被爆校舎は取り壊され、その跡は公園として整備されて、壁の一部や門柱が記念碑になっていました。

 被爆建物に残る痕跡は、原爆のすさまじさを物語っていました。活用されていない建物も、みんなが知恵を出せば、活用法は見つかると思います。

 被爆の傷痕をあまり残していない建物も、被爆しながら懸命に復興し、平和を願ってきた人々の歴史を刻んでいます。そんな建物をできるだけ残せば、都市としての広島の最大の個性となるのではと思いました。(文・高2河野新大、中2上岡弘実、写真・高1谷口信乃)

(2014年7月28日朝刊掲載)

《編集後記》

 被爆建物は69年前、実際に原子爆弾の被害を受けた歴史の証人であり、写真や証言とは違って実際に目で見て触れることができる「生」の存在です。 広島として後世に広く平和を伝えるために、被爆建物は一つでも多く残って欲しいです。 (高2河野新大)

 原爆ドームなどの有名な被爆建物は知っていたけれど、被爆から70年近い歳月が流れた今も、被爆建物がまだまだたくさんあったことが驚きでした。機会を見つけては見て回りたいです。(高1福嶋華奈)

 私はこれまで、被爆建物は非常に数が少なく、いずれも大切に保存されているものと思っていました。ところが、身近なところにまだたくさんの被爆建物があることや、その中には利用されておらず傷みが進んでいるものもあることなどを初めて知り、とても驚きました。今後、被爆建物をできるだけ見て回りたいです。(中2上岡弘実)

 広島市役所で取材する前は、「被爆建物が次々に取り壊されていて、状況は深刻だ」と思っていました。でも、実際には被爆建物がまだだいぶ 残っており、市もできるだけ保存しようとしているの を知りました。これから、被爆建物を残していくために、建物の有効な利用法などをもっと活発に議論する必要があると感じました。(高3木村友美)

 被爆建物については知っているつもりでしたが、聞いてみると初めてのことばかりでした。被爆建物についてもっと広く知っていただくよう、広報により力を入れるべきだと思いました。原爆の悲惨さを実感させる貴重な存在なので、しっかりと守り、残していきたいです。(高1山田杏佳)

 被爆建物の中には活用されていなかったり、説明板がなかったりして、目立たないものがたくさんありました。私は、このままの状態で保存しても、大きな効果はないかもしれないと感じました。もっと市民の目につくような存在にして、被爆した街であることを物語る証人としての役割を果たしてもらいたいです。(高1谷口信乃)

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