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ジュニアライター発信

Peace Seeds~10代がまく種~ <2> 被爆樹木

「無言の証言者」 国内外に

 爆心地からおおむね2キロ以内で被爆したクスノキやイチョウなど約170本を、広島市は「被爆樹木」として登録しています。熱線や爆風(ばくふう)にさらされ、傷つきながらも生き抜いた「無言の証言者」です。文化や言葉の垣根(かきね)を越え、世界中に命の大切さを伝えています。保全には、いろんな団体や市民、行政が力を注いできました。さらに種や苗木(なえぎ)を国内外に広める活動も盛んです。

桜の苗木送る安田女子高

「生命力」 被災地に希望

 原爆で生徒311人と教職員13人の命が奪(うば)われた安田女子高(中区)。校舎は4カ月後、工兵隊の敷地だった現在地に移転、再建されました。その時、既(すで)にあったのが1本のソメイヨシノです。爆心地から約2・1キロ離れています。

 被爆した後も美しい花を咲(さ)かせ続けています。困難を乗り越えた姿を後世に伝えたい。木の生命力を感じてほしい―。そんな思いから6年前、生徒会が苗木を増やす活動を始めました。これまでに全国62の学校・団体に計72本を送っています。

 苗木は、接(つ)ぎ木という方法で育てます。細い枝を切り落とし、土台となる他の木の幹に差し込むのです。専門家の手ほどきを受けますが、成功するのは3割程度。枝と土台の木をくっつけるのは、まさに試行錯誤(さくご)だそうです。

 東日本大震災で原発事故があった福島県内にも苗木を送っています。送り先の学校が修学旅行で被爆桜を見に来てくれるなど、交流のきっかけにもなっています。生徒会長の3年成相(なりあい)綾音さん(18)は「被爆樹木を贈ることがどう受け止められるか、最初は不安もありました。広島は福島の希望だと言ってもらえた時は本当にうれしかった」と語ります。

 広島市内には、ほかにも被爆樹木がたくさんあります。過酷(かこく)な体験を経て、今も私たちの近くで枝を伸(の)ばしています。大勢の人が気付き、元気をもらってほしいと思います。(高1中原維新、写真も)

被爆アオギリ里子運動

沼田さんの願い今も

 「被爆アオギリ里子運動」は、平和記念公園(中区)の被爆アオギリの近くで体験証言を続けた故沼田鈴子さんらがつくった団体です。各地に種を送るほか、京都の二条城や金閣寺に苗を植樹しています。

 沼田さんは爆心地から約1・4キロ離(はな)れた勤務先で被爆。崩壊(ほうかい)した建物の下敷(したじ)きになり左足を失いました。人生に絶望した時、被爆アオギリの芽吹きに励まされたといいます。証言活動の際には、出会った人に種を手渡(てわた)していました。国内外で「2世」として育っています。

 そこから採取された種である「3世」も広めようと、5年前に活動が始まりました。しかし沼田さんは2011年7月に87歳で死去。現在代表を務める三木豊さん(60)は「沼田さんの願いが各地で生かされていることを確かめていきたい」と話します。

 沼田さんは生前、子どものいじめや自殺に心を痛めていたそうです。戦争中の歴史をめぐり日本に反感を持つアジアの人たちとも対話を続けました。一人の人間として共感し合うことを大切にしていました。「人に優しく、命を大切にできる人間になってほしい」。被爆アオギリに込めた沼田さんの思いを受け継いでいきたいです。(高1新本悠花、中3坪木茉里佳)

グリーン・レガシー

「木を大切に 核廃絶へ通じる」

 「緑の遺産」を意味するグリーン・レガシー・ヒロシマは、ユニタール(国連訓練調査研究所)広島事務所と、広島市内のNPO法人によるプロジェクトとして3年前に始まりました。

 共同代表の1人はイラン出身のナスリーン・アジミさん(55)。世界中で働いた後、2003年から約6年間、広島事務所長を務めました。「木を大切にする気持ちは、命を奪(うば)う核兵器の廃絶(はいぜつ)に通じる」という思いを活動につなげてきました。

 広島市植物公園や、樹木医として知られる堀口力さんらの力添(ちからぞ)えで、種の採取や保管をしています。ロシアやシンガポールをはじめ約20カ国にクスノキなどの種や苗木を送っています。

 外来植物の持ち込みに厳しい国が多く、発送手続きは大変です。届け先で芽を出さなかったり枯(か)れたりすることもあります。それでも、被爆樹木に関心を持ってもらうことが何よりの喜びだといいます。

 樹木と核兵器の廃絶。関係が薄いようでも「全てのものはつながっている」とアジミさん。私たちも、できることを身近なところから見つめ直していきます。(高1山下未来)

<編修後記>

 初めての取材はとても緊張しました。聞いてみたい質問があっても言い出せずにいましたが、三木さんが熱心に話し掛けてくれるうち、自然に質問ができるようになりました。次はもっと積極的に取材して、より良い記事を書きたいです。(高1・新本悠花)

 外国から来た人に取材したのは初めてでした。英語で会話できるか心配でしたが、アジミさんも通訳の山田さんもとても親身になって話してくれたので、安心して質問できました。楽しい取材でした。(高1・森本芽依)

 ジュニアライターになって初めての取材でした。一度外国の人にインタビューしてみたいと思っていましたが、早くも願いがかない、うれしかったです。アジミさんはいつも笑顔で、とても気さくな方でした。私もアジミさんのように、目標に向かって努力する芯の強い女性になりたいと思いました。(高1・山下未来)

 安田女子高の活動内容をより詳しく書くため、たくさんの情報を集めて記事にまとめなければなりませんでした。これまで経験した以上に大変でしたが、自分と同年代の高校生の活動は新鮮で、楽しい取材でした。(高1・中原維新)

(2014年5月19日朝刊掲載)

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