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ジュニアライター発信

ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト カザフの被曝者を支援

 ロシアの南隣(みなみどなり)にカザフスタンという国があります。ここにあるセミパラチンスク実験場で、旧ソ連時代の1949年から89年まで、450回以上もの核実験が繰(く)り返(かえ)されました。市民グループ「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)」(広島市西区)は、カザフスタンの被曝(ひばく)者の医療支援(いりょうしえん)や民間交流をしています。

 ヒロセミは、94年の広島アジア競技大会で市内の各公民館が取り組んだ「一館一国運動」をきっかけに、98年に設立されました。毎年、医薬品の贈呈(ぞうてい)や留学生の受け入れ支援をしています。昨年も白血病の薬を送りました。今も山陽女学園(廿日市市)に留学生が1人通っています。会員は被爆2世や医者たちです。

 副世話人代表の小畠(こばたけ)知恵子さん(62)は、実験場近くの村の人たちが放射線を知らないままずっと被曝していたことや、政府からの圧力で医者も何も言えなかったことを知り、衝撃(しょうげき)を受けました。昨年の夏には、メンバーがセメイ(旧セミパラチンスク)市郊外(こうがい)の平和公園での記念式典に参列し、花輪をささげました。小畠さんは「今まで続けてきた意義を感じた。感激した」と話していました。

 日本には、広島や長崎に落とされた原爆とは比べられないくらい多くのウランやプルトニウムがあります。原子力発電によって出る「核のごみ」の廃棄(はいき)方法は決まっていません。「何十万年かけても放射線を0にできない。やめるように声をあげていくことが大切だ」と力を込めます。

 世界ではさまざまな核の被害者がいて、その人たちを支援している人がたくさんいることを知りました。いつどこで地震が起き、フクシマのように原発事故が起きるか分かりません。だからこそ私たちは核のことをきちんと知り、自分の考えを発信していくべきです。 (高1・鼻岡舞子)

(2014年5月12日朝刊掲載)

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