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ジュニアライター発信

ヒロシマの心 再認識 ジュニアライターの8・6取材

 被爆70年の節目を刻んだ今年の8月6日。核兵器も戦争もない世界を目指して活動する中国新聞ジュニアライターは、広島市内の学校で営まれた慰霊や平和の行事を取材しました。海外の学生たちとも意見交換して、あらためて原爆や戦争の恐ろしさ、平和の大切さについて考えました。

■己斐上小

被爆者の足取り追体験

4キロ逆向きにたどる

 己斐上小(西区)の児童たちが同校近くから平和記念公園(中区)を目指して歩く「ピースウオーク」。市中心部から己斐地区に避難した被爆者の足取りを逆にたどり、当時を追体験する取り組み。ことし10年目を迎えました。ジュニアライターも平和について考えながら一緒に歩きました。

 午前6時半に学区内のスーパーマーケットを出発。1~6年の希望した児童や保護者、教職員たち約100人が、約4キロの道のりを1時間半かけて進みました。JR西広島駅の北側まで坂を下り、三つの橋を渡ります。平和記念公園では、平和記念式典を見学した後、代表の2人が原爆の子の像に全校児童388人で作った折り鶴をささげ、平和を誓いました。

 6年の吉年晴真(はるま)君(11)は「思っていたより遠く、被爆者はよく己斐まで来られたと思う。平和の大切さが分かった」と話していました。

 ピースウオークは2006年、当時校長だった白土俊介さん(68)の提案で始まりました。被爆者が逃げてきた道を自分で歩き、式典を直接見れば、テレビで伝わらない感情を体験できると思ったからでした。参加者約30人で始まった輪は、年々広がっています。(高2二井谷栞、中2川岸言統)

「水を求めて亡くなった人々 どれだけ苦しかったか」

 うねうねとした下り坂を歩きました。山の木陰は、逃げてきた被爆者が体を休めた場所です。坂を下り終えるころ、足が少し痛くなりました。傷を負った被爆者が、自分たちとは逆に坂を上ったと想像すると、「とてもつらかっただろうに…」と胸が痛みました。

 日が昇り切らない、肌寒いうちにスタートしました。しかしJR西広島駅近くまで来ると、太陽の光がさんさんと降り注いできます。平らな道なのに、汗が噴き出て止まりません。疲れた表情を見せながらも、お母さんと一生懸命歩く小学1年の女の子の姿を見て、励まされました。

 平和記念公園に着いて迎えた午前8時15分。黙とうしながら、「二度と核兵器が使われないように」と願いました。解散後に飲んだ水はとても冷たく、のどが潤いました。水を求めて亡くなった人々がどれだけ苦しかったか、少し分かったような気がしました。(中2鬼頭里歩)

■広島大付属中

幼い姉妹の姿 今も胸に

OB あの日語る

 広島大付属中(南区)の講堂で被爆体験を聞く会が開かれ、OBの新井俊一郎さん(83)が生徒や教職員に証言しました。当時の1、2年生は市内で壊した建物の廃材を撤去していましたが、7月中旬、学校の判断で農村での作業に変わり、大半の生徒が今の東広島市に疎開しました。

 あの日、1年生だった新井さんは学校への用事を頼まれ、被爆直後の広島市に入りました。炎が竜巻のように燃え上がる市内から、焼けた皮膚を指先からぶら下げた人々が多数逃げてきました。中でも顔が2倍に腫れた幼い姉妹が手をしっかり握り、姉が妹を励ましながら逃げていた姿は今も忘れられないそうです。

 「被爆者の話を聞ける最後の世代。次の世代へ伝えてほしい」と在校生に呼び掛けました。1年村川輝尭(てるあき)君(13)は「無差別に被害を与える原爆の恐ろしさを知り、戦争は絶対いけないとあらためて感じました」と話していました。

 会に先立ち、校内にある慰霊碑前で原爆死没者・戦没者慰霊追悼の集いがありました。生徒や遺族、被爆した同窓生ら約200人が参列。全員で黙とうし、千羽鶴をささげました。献花献水をした3年岡田一和(もとかず)君(17)は「こうした活動を通じ、平和のために貢献する生徒が出てくれば」と話しました。(高2中野萌、中原維新、中1目黒美貴)

■天満小

被爆樹木に平和誓う

児童「争いのない社会を」

 爆心地から約1・2キロの天満小(西区)では、児童が、同校のシンボルとなっている被爆プラタナスに平和を誓いました。

 各教室で、平和記念式典のテレビ中継に合わせて黙とう。体育館での平和集会に臨みました。被爆時の学校や地域の様子を紹介するスライドを見て、「自分たちのクラスを大切にすることから平和を広げたい」など学年ごとに目標を披露し合いました。その後、校庭にあるプラタナスの木の前に移動。みんなで折った鶴をささげ、「折り鶴」の歌を合唱しました。

 6年生を代表して、「いじめや戦争のない安心できる社会づくり」を発表した小阪しずくさん(11)は「みんなの前で約束したのだから、ぜひ実現させます」と話していました。

 同校は70年前、天満国民学校でした。原爆で児童と教職員計293人が亡くなったそうです。校庭に4本あるプラタナスはどれも幹に大きな傷が残りましたが、今も児童を見守り続けています。(中2平田佳子、中1川岸言織)

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折り鶴アート 国境越え制作

インドの中学生と

 ジュニアライターは、インド・ニューデリーの中学3年生たち約50人とインターネットのテレビ電話で、アニメ「つるにのって」を見た感想などを伝え合いました。その上で、平和への思いを胸に、折り鶴アートを共同で制作。平和記念公園(中区)の原爆の子の像にささげました。

 アニメについては、「原爆が落ちた場面が印象的だった」「主人公が小学6年で親しみやすかった」などの意見が出ました。自国が核兵器を保有している点について、インドの生徒は「あってはいけない。間違って爆発したり、事故で放射線が漏れたりする可能性があり自殺行為」と指摘。平和な世界に向けて「誰かに嫌なことをされてもやり返さず、友達になるようにする」と、自分たちでできる方法を話し合いました。

 折り鶴アートは、インドの子どもたちが途中まで仕上げて広島に送り、ジュニアライターが完成させました。縦30センチ、横84センチの台紙に赤や黄などの折り鶴を貼って、両国に架かる虹に鶴が羽ばたく構図を表現。鶴には一つずつ折った人の名前が書いてあります。国境を越えて、平和の祈りをささげられました。(高2森本芽依、中2藤井志穂)

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米の学生と意見交換

原爆投下の是非議論

 私たちジュニアライターは、「日米学生会議」のプログラムで広島市を訪れた14人と、原爆や平和教育について5グループに分かれて意見交換しました。

 原爆投下の是非について、米国の学生から「人道的に必要ない」「やり過ぎ」といった否定的な意見が多く聞かれました。しかし、米国の学校では戦争終結に必要だったと正当化している、と米国の女子学生が話していました。テレビでも同様の視点の番組が放送されているそうです。

 学校教育については、米国では真珠湾攻撃や2001年9月11日の中枢同時テロ、日本では原爆や空襲について学びます。両国とも被害者の立場が中心。加害についても勉強すべきだとの結論になりました。攻撃する視点で考えると、戦争の残酷さや狂気が分かるようになるのです。

 国や教育が違っても原爆に否定的な意見を持つ同年代の人は多い。今は難しいかもしれない核兵器廃絶が、未来には実現するのではないか。そんな希望がはっきり芽生えました。(高3河野新大)

◆日米学生会議に参加したジュニアライターの感想◆

 「今まで武力戦争が主流だったけど、最近は人体を直接攻撃しないサイバー攻撃も増えている」と聞きました。このようなことも国と国が信用できなくなる原因です。時代とともに国家間の関係の築き方が変わりつつあるのではないかと思いました。
 また、核兵器も原子力発電所もなくすべきだと思いながらも、今の世の中ではなくすことは難しいと感じている人がほとんどなのだと実感しました。私は何年かかってもいいから、最終的になくしてほしいです。(高2鼻岡舞子)

 原爆資料館で一番印象に残ったことを聞くと、大学生の1人は、被爆した人々の衣服より、皮膚の写真のほうに興味があると言っていました。被爆した人が、どんなに悲惨な影響を体に受けたか、が分かったからだそうです。僕は、弁当箱や三輪車など遺品の方が現実味があって、興味を持てます。
 この交流を通して違う人の平和への目線などを知ることができて、いい経験になりました。(中1フィリックス・ウォルシュ)

 今回私が交流した人は米国在住の台湾人と、祖父と父が軍人の米国人でした。育つ環境が違う2人ですが、高校では「原爆は戦争を終わらせるために必要だった」と教わったそうです。しかし原爆資料館を見学して考えが変わったと言っていました。その話を聞いて、来年広島で開催される先進国首脳会議の外相会議で、核兵器廃絶への糸口が見つかると思いました。外相たちにも被爆者の話や当時の現状を見て、核兵器の非人道性と不必要さに気づいてほしいです。(高2岡田春海)

 平和と核廃絶はイコールで結ばれるのかと聞かれ、驚きました。私はそうだと思っていたので、自分とは違う考えに触れて新鮮でした。
また、日本では被害の側面ばかりが強調され、加害については教科書の隅に小さく載っているだけなのでは、とも指摘されました。両方の面を知って初めて、客観的かつ批判的に考えて将来につなげることができるのだと思います。(高2山田杏佳)

 平和な世界を作るため、広島にはどのような役割があるかをたずねました。返ってきた答えは、「広島自体が世界に2つしかない被爆都市として、核を抑止するシンボルだと思う」というものでした。僕たちは普段の生活の中で、広島市民だということをあまり考えていないように思います。今後は、日頃から自分自身が平和を担う都市の一員であることを意識していきたいです。(高2谷口信乃)

 核兵器の必要性について話し合いました。グループの6人全員が短期的には核兵器の「抑止力」という役割は必要だが、長期的には核兵器を徐々に減らすことで平和は実現できると発言していました。
 米国が原爆を使ったことで核兵器が世界に広がったという意見は、私は考えたことがなかったので驚きました。また、加害と被害の事実を学ぶ必要があるとの意見も出ました。米国でも、日本でも、被害について教えることに力を注いで、加害に触れる機会は少ないと分かりました。加害と被害の二つの立場から物事を客観的に見ることが平和につながると思いました。(高2新本悠花)

 原爆や核兵器・平和に関する意見をいろいろな角度から聞けました。米国の学生が、原爆について知ってもらうために、アニメや漫画など日本のサブカルチャーだけでなく、広島や長崎などシリアスな部分にも興味を持ってもらえるような活動をしたいと言っていたことに驚きました。まだ大学生なのにここまで深く平和について考えていて、私も平和な未来を作るために自分にできることを見つけたいです。(高2福嶋華奈)

 今回の交流の中で、自国の受けた被害だけでなく、加害についても学ばなければならないという意見が一致したことが私にとって嬉しかったです。
 実際に広島に来ると原爆の恐ろしさを肌で感じることや、被爆者一人一人の顔を見ると原爆を身近に感じた、という私が聞いたことのない意見を聞くことができ、充実した交流会になりました。(高1山本菜々穂)

 一番印象に残ったのが、時代に流されて戦争を引き起こすようなことがあってはいけない、という米国学生の言葉です。私自身、その時代の背景で仕方ないと思っていることがある気がして、考えを変えていかなければならないと感じました。
 これから自分の考えをしっかり持ち、たくさんのことを学び、たくさんの人たちと交流していきたいです。(高1山田千秋)

 昨日やったという、碑めぐりの印象について聞きました。いろんな碑があるのがすごい、と言っていて、今までにない新しい考え方に気付かされました。日本人の学生が、原爆資料館を見学して、原爆は悲しいことだけど学び続けていかないといけないと話していました。私自身も学び続けていきたいと思います。(高1坪木茉里佳)

 私が話し合いをした米国の学生は、初めは広島や長崎の原子爆弾のことを真剣に考えたことはなかったと言います。しかし、実際に広島に訪れたことで核の悲惨さを知り、核兵器は廃絶しなければならないと気付かされたそうです。私はそれを聞いて、まだまだ広島の原爆のことは世界に知られていない現実を知りました。被爆者が少なくなりつつある今、若い世代の私たちが世界に発信していかなければならないと思いました。(高2佐伯雛子)

 私は今回、テキサス州出身の男子学生と交流しました。テキサス州は軍隊があるため、学校では原爆投下を正当化するような授業を受けたそうです。しかし広島を訪れ、戦争を終わらせるための手段は別にあったのではないかと疑問に感じたそうです。原爆投下が正当であると思っている人たちに、広島を訪れてほしいと強く思いました。(高2山下未来)

 日本の大学生またアメリカの大学生との間で、核兵器について、特に広島への原爆投下について率直な意見が聞けたのが一番勉強になりました。アメリカの学生の、「日本がもし早く負けを認めて降伏していれば少なくとも長崎への投下は免れていた」との意見には返す言葉が見つかりませんでした。今までの学校の平和学習は原爆の悲惨さや広島の受けた被害についてのように、常にある一つの見方にこだわっていました。これからは、自分の国の愚かだった面も学習していかなければならないと思いました。(高1芳本菜子)

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戦争なくす方法考える 「子ども平和会議」

 「子ども平和会議」(日本生活協同組合連合会など主催)が5日、広島県立総合体育館(中区)でありました。僕も含めて14都道府県から小中高生53人が参加し、核兵器や戦争をなくすため、自分たちにできることを八つのグループに分かれて話し合いました。

 僕のグループには中学1、2年生が3人ずついました。岡山空襲や長崎の原爆について聞きました。他地域の戦争被害について知ることができて良かったです。

 話し合いを基に作ったアピール文は、みんなに平和の大切さや、平和の重みが伝わり実感してもらえるようにしました。

 僕は議長として、会議後に同体育館のグリーンアリーナで開かれた「虹のひろば」でアピール文を発表しました。聞いた人に、戦争の惨事について知り、それぞれの地域に帰って友達や家族に伝えてほしいです。(中1伊藤淳仁)

ヒロシマ平和メディアセンター http://www.hiroshimapeacemedia.jp/

(2015年8月10日朝刊掲載)

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