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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第11号) 花に託して 

 これから夏にかけ、色とりどりの花が咲く季節を迎えます。花は見る人の心を和ませてくれます。70年前も、花は戦争で傷ついた人々の心を慰め、復興に向けて勇気づけました。

 1945年8月8日の空襲で市街地が大きな被害を受けた福山市。戦後、バラが市民の絆(きずな)を強める役割を担ってきました。同年8月6日、人類史上初めて原爆が落とされ一面の焼け野原となった広島市に、いち早く咲き、市民を励ましたのは、後に市の花になったキョウチクトウや、カンナでした。

 花は、戦争で苦しんだ人たちの平和への願いも、私たちに伝えます。第2次世界大戦時に若くして命を奪(うば)われたユダヤ人少女を思って生まれたバラは、国境を越えて育ちます。広島市では、長崎の被爆医師ゆかりのバラが成長を続けます。

 そんな花々に人々が託(たく)した平和への思いを取材しました。ジュニアライター自身も、平和の大切さをじっくり考えました。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校3年までの49人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

紙面イメージはこちら

戦災復興 希望の一輪

バラ 福山市の花

助け合い 住民の絆紡ぐ

 福山市が「ばらのまち」となったのは、1956年、当時空き地だった現在のばら公園(花園町)に、市民が約千本を植えたのがきっかけでした。45年8月8日の空襲(くうしゅう)で市街地の8割が焼け野原となり、復興する中での出来事でした。

 背丈(せたけ)ほどの草がぼうぼうに生え、女性や子どもが通るには危ない場所でした。草を刈(か)るだけでは再び元に戻ると考え、きれいな花を咲かせるバラを植えました。住民が12区画を分担し、競い合うように大切に育てました。

 「毎日バラを見て、対話するように世話をした。水がほしいのか肥料がほしいのか分かるようになった」。植え始めた一人、福山ばら会名誉会長の小林幹弥さん(90)は愛情を注いで育てる大切さを話します。「住民が一緒に育てることで、お互(たが)いの絆も深めることができた」

 幼いころから花が好きだった小林さん。戦争で赴いた中国や、戦後抑留(よくりゅう)され強制労働させられたシベリアで、つらい心を癒(い)やしてくれたのも花でした。モモ、ナデシコ、ヒメユリ、野バラ…。「日本に帰られるかどうか分からない不安を、花は和らげてくれた」

 小林さんと一緒にばら公園に行きました。赤、ピンク、黄、白…。個性豊かな大小さまざまのバラが咲き乱れ、多くの人を楽しませています。「あたたかく 心に愛の 花も咲き バラ咲く街に 住めるもろびと」。小林さんが詠(よ)んだ短歌です。「バラを育てることで、命の大切さも学んでほしい」と願います。バラは平和への思いを温かく発信していました。(中3岡田実優)

キョウチクトウ 広島市の花

焦土に咲いた生きる力

 広島市中心部の川沿いや公園などにあるキョウチクトウ。赤や白の花を咲かせます。「70年間(75年間とも)草木も生えない」と言われた原爆投下直後の広島でいち早く咲き、市民を勇気づけました。そんなキョウチクトウを題材にした絵本があります。

 「夾竹桃(きょうちくとう)物語 わすれていてごめんね」。被爆したキョウチクトウの語る体験談が一人の少年の心に届く、という内容です。原爆で犠牲(ぎせい)になったのは人間だけではありません。「未来を支える子どもに一つ一つの命の重みを絵本で伝えたかった」。作者の弁護士、緒方俊平さん(68)=東区=は話します。

 被爆して燃えるキョウチクトウの前を通りがかった犬が、自分も重傷なのに川へ入り、ぬれた体を振ってキョウチクトウに水をかける場面があります。お互いが心を通じ合わせ、助け合う大切さを伝えます。

 焦土(しょうど)の広島でたくましく花を咲かせたキョウチクトウ。緒方さんはこの花を見ると、「おまえは強く生きているか」と説教をされているような気持ちになるそうです。色鮮やかな花や強い生命力に、私も勇気づけられます。平和な世界への希望を感じます。(中1目黒美貴)

カンナ

児童が育む平和の願い

 カンナも、被爆直後の広島の街に咲きました。基町小(広島市中区)では、被爆樹木のエノキの3世を植えた「虹(にじ)の杜(もり)」をはじめ校内の10カ所で、約50株が元気に育ちます。

 被爆1カ月後の焼け跡に咲くカンナの写真が原爆資料館(同)にあります。撮影(さつえい)地は爆心地から約800メートル離れた現在の中区基町。同校の南門近くだったとみられます。平和への思いを大切にしようと、同校は2009年からカンナを育てるようになりました。

 栽培(さいばい)委員会が水やりなどの世話をし、先輩(せんぱい)から後輩(こうはい)へ大切に引き継いでいます。委員長の6年青木優美さん(11)は「当時、花の咲いたカンナを見つけた時、みんな希望を感じてうれし泣きしたのではと思う。どんなにつらい時も奇跡は起きるということを伝えたい」と話しています。(中2溝上藍)

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アンネのバラ 前向きな姿 国境越えて

 世界中で日記が読み継がれるアンネ・フランク(1929~45年)。第2次世界大戦の悲劇の象徴(しょうちょう)といえるホロコースト(ユダヤ人大虐殺(だいぎゃくさつ))により、15歳の若さで命を落としました。彼女をイメージしたバラが、福山市のホロコースト記念館で育てられています。

 赤、オレンジ、ピンク…と、花は咲き始めから終わりまでの間に色を変えます。生きる希望にあふれ、ますますきれいになろうとし、思いを残したまま散るかのよう。隠(かく)れ家(が)生活を余儀(よぎ)なくされ、強制収容所に入れられても前向きな気持ちを捨てなかったアンネの姿と重なります。

 「まるでバラの感情が表れているみたい」。同館の学生ボランティアグループ「スモールハンズ」で花の世話をする向東中1年河野透君(12)=尾道市=はそう感じています。

 このバラは「アンネの日記」を読んで感動したベルギーの園芸家が作りました。家族の中でただ一人生還(せいかん)できた父オットーさんから1972年、初めて日本に贈られ、同館では98年からスモールハンズが接ぎ木して増やしています。

 育てた苗木は来館した全国の学校や団体に託し、その数は360本を超えました。スモールハンズの御幸小6年吉田聖悟君(11)=福山市=は「平和への関心が広まってほしい」と期待しています。(高2鼻岡舞子)

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永井博士のバラ 被爆医師の祈り伝える

 自身も被爆しながら被爆者治療に当たった長崎の医師、永井隆博士(1908~51年)ゆかりのバラの木が、広島市中区の平和大通り緑地帯にあります。

 鮮(あざ)やかな赤い花を咲かせる「レッド・ラジアンス」という品種。高さ約1メートルの2株が並びます。元は、永井博士宅の庭に咲いていました。広島と長崎の青年が広島市で平和交歓(こうかん)会を開いた49年、病床(びょうしょう)の博士から贈られました。1株は一時弱りましたが、広島市植物公園(佐伯区)での「治療」を経て、被爆70年のことし3月、戻ってきました。

 「太田川の水は逆さに流るとも原子爆弾は用うべからず」という永井博士の願いを伝えています。世話をする広島・長崎平和のバラ保存委員会の桧山修委員長(80)は「広島の人も長崎の人も原爆で親類を亡くすなど痛切な思いを抱いた。バラを見て平和の大切さを考えてもらいたい」と話します。(高1風呂橋公平)

(2015年6月11日朝刊掲載)

【編集後記】

 アンネのバラは手入れが行き届き、とてもきれいに花を咲かせていました。次は、接ぎ木や植え替えの作業を実際に見てみたいです。スモールハンズの吉田君は小学6年なのに、すでに取材を何回か受けたことがあると聞き、驚きました。私は取材をしても、インタビューを受けることはあまり経験していないので、正確に、そして丁寧に、質問に答える彼に感心しました。(鼻岡)

 カメラを担当するのは、初めてでした。永井博士ゆかりのバラをメーンにつつ、保存活動に尽力している桧山さんの表情や動きを切り取って写すのは、難しかったです。次回は、今回学んだ撮影の技術を生かしたいです。(高1山本菜々穂)

 初めてピースシーズの取材をしました。これまで経験した被爆体験の取材とは、違った角度で話を聞くことができ、新しく知ることが多くありました。こうした話を聞く機会はとても貴重だと感じます。自分が発信者になれるよう、心を引き締めて取材に取り組んでいきます。(風呂橋)

 花にも多くの人々の平和への思いが込められていることを、知りました。取材した福山市では、いたるところにバラが咲いていました。これまでは、「きれいだな」と思う程度だったのですが、取材を通して、平和を象徴する花なのだと学びました。歴史と大きくかかわっている点にも、とても驚きました。これからも、平和を願う花に興味を持ちたいです。(岡田)

 基町小には、多くの被爆樹木の「子ども」たちが植えられ、児童が花や木に対して深く考えていることに驚きました。カンナは、被爆後にいち早く広島で花を咲かせた植物として、平和の大切さを訴えています。この思いを、今度は私が感じ取り、これからも日本国内や世界に向けて、伝えていきたいです。(溝上)

 取材した緒方さんの口調は、最初はゆっくりだったのに、だんだんと早くなり、メモを取るのが大変でした。しかし、それだけ、平和への熱意が伝わってきました。最後に教えてもらった「楽しく、楽しく、もっと楽しく、さらに楽しく、ひたすら楽しく」という言葉を、これからの生活の中で大切にしていきます。(目黒)

 キョウチクトウを取材しました。絵本「夾竹桃物語」を読んでから、作者の緒方さんに会いました。緒方さんが教えてくれたことがあります。「世の中、悪い人ばかりではない。良い人を探そう」「人を信じよう」「人を嫌いにならない」という言葉です。人生の中で大切なことだと思いました。花を撮影するため、平和記念公園や本川沿いを歩きました。赤い花を見た時は、焼け野原に咲いたこの花を見た広島の人々は、勇気付けられただろうなと思い、白い花を見た時は、赤い花とは違う静かさ、清潔さを感じました。(中1伊藤淳仁)

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