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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第9号) ジュニアライターが見たNPT再検討会議

 核拡散防止条約(NPT)の運用状況(じょうきょう)を5年に1度点検する再検討会議が、4月27日から今月22日まで米ニューヨークの国連本部で開かれています。最初の週に、私たちジュニアライター2人が現地を訪問。各国の政府関係者や非政府組織(NGO)による核軍縮に関する演説を取材し、現地の中学校や大学などでは核保有国の人と意見を交換(こうかん)しました。

 米国とロシアが非難し合うなど国際政治の舞台(ぶたい)を間近に見る一方、核廃絶(はいぜつ)を求めるNGOの人の力強い言葉に勇気づけられました。若い世代へのヒロシマ継承(けいしょう)の期待の大きさも知りました。生きているうちの廃絶を願う被爆者のためにも、加盟国は、少しでも前向きな合意文書をまとめてほしいです。(高2二井谷栞、高1溝上希)

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲(さ)かせるため、小学6年から高校3年までの49人が、自らテーマを考え、取材し、執筆(しっぴつ)しています。

紙面イメージはこちら

核なき未来 夢じゃない

平和の願い 世界に仲間

■取材報告

市民社会の影響力実感 NGOセッション

 NPT再検討会議の公式行事のNGOセッションは、「核兵器禁止条約」制定を目指す95カ国400以上の団体が集まるNGO「核兵器廃絶(はいぜつ)国際キャンペーン(ICAN)」のビデオメッセージから始まりました。女性の地位向上、地雷(じらい)禁止条約などの例を挙げ、「市民社会」が核兵器の非人道性、非合法性を考える重要性を発信しました。

 3時間にわたるセッションでは、広島、長崎両市長らのスピーチの後、16団体の被爆者、法律家たちが、さまざまな立場から核兵器廃絶を訴えました。若者の国際NGO「バング」は核兵器の現状について「高層ビルから人が落ちている時の中間地点。『今のところは大丈夫(だいじょうぶ)』でも、いつか地面に落ちてしまうように最悪の事態が起こり得る」。そう危機感をあらわにして、はっとさせられました。核兵器が世界にある以上いつ使われてもおかしくない、と再認識しました。

 13歳の時、長崎の爆心地から約3・2キロで被爆した田中熙巳(てるみ)さんは、親類5人の最期を語り「安全保障という名の下の核兵器保有を許さない。人間が造り出した核兵器は、人間の手で廃絶しなければならない」と締(し)めました。

 各国の政府関係者を含(ふく)め、多くの人が真剣(しんけん)に耳を傾(かたむ)け、会場からは大きな拍手(はくしゅ)が湧き起こりました。NGOは想像以上に国際社会に大きな影響(えいきょう)を与えている、と実感しました。

率直な考え聞けた 岸田外相インタビュー

 外務省職員も同席し、緊張(きんちょう)感漂(ただよ)う中で始まった岸田文雄外相へのインタビュー。目を見て話を聞いてくれたので、落ち着いて話せました。

 「核兵器廃絶(はいぜつ)のため若者に何ができるか」との質問には、「期待は大きい。引き続き世界に伝えていってほしい」と答えてくれました。手元の紙を見ながら話したのが、残念でした。

 しかし、追加で「私たちの声は政府や国連に届いていますか」と尋(たず)ねると、「多くの国の人たちの心を打っている」と優しく教えてくれました。率直な考えが聞けてよかったです。

 外相は「核兵器を持つ国と持たない国の間で日本は『非人道性』という共通認識の触媒(しょくばい)となるべきだ」とも語りました。「触媒」は、それ自身は変化しないが他の化学反応の仲立ちとなる、という意味です。まさに、国連に提案はしても日本自身の具体的な行動が見えにくい現状を表していると感じました。

日本自らの政策どこに 岸田外相演説

 NPT再検討会議が始まった4月27日、一般(いっぱん)討論で岸田外相の演説を聞きました。世界の政治指導者に広島・長崎への訪問を求めたり、協力するよう働き掛(か)けたりはしているものの、日本が自ら取り組もうとする行動計画はなかった気がします。

 日本が唯一(ゆいいつ)の戦争被爆国として他国をリードしていくには、決意表明だけではなく、具体的な政策を公表しなければならないと思います。

 岸田外相が演説した時も含(ふく)め、一般討論の会議場は人の出入りが激しく、席も4割ほどしか埋(う)まっていませんでした。各国の政府代表は集中して会議に取り組んでいるのか不安を感じました。

■若者の姿

ハトの形に思いを託す ナガサキ・ユース代表団

 長崎県、長崎市、長崎大の支援を受け、核軍縮関係の国際会議に参加するナガサキ・ユース代表団は3年目となる今回、大学生12人と、サポーター2人の計14人がニューヨークに来ていました。NPT再検討会議の傍聴(ぼうちょう)に加え、各国の外交官やNGOと議論の場を持ったり、核兵器廃絶を訴(うった)えたりしていました。

 再検討会議の開幕前日には、国連本部そばの広場で他の平和団体とブースを設け、「平和ハトプロジェクト(PDP)」をしていました。来た人に自分の手形を縁取(ふちど)り、内側に日本語や英語、イラストで平和への思いを書いてもらいます。一つの手形を平和の象徴(しょうちょう)であるハトの羽1枚に見立て、ハトの形になるように布に張り付けます。500枚集めるのが目標だそうです。

 「本当の平和は1人の行動から」との日本語のメッセージに目が留まりました。言葉の通り、小さなアクションが核兵器廃絶につながる第一歩になってほしいと願います。

 PDP担当の長崎大2年秀(ひで)総一郎(そういちろう)さん(20)は「このプロジェクトに参加し、核を身近な問題と捉(とら)え、平和への意識を持ってほしい」と話します。代表団が訪れた現地の日本人学校の生徒にも書いてもらったそうです。渡米(とべい)前には長崎大の学生からも集めました。

 完成した縦2・5㍍横4㍍のハトは7日、代表団がイベントを開いた時に国連本部に展示したそうです。代表団は帰国後、長崎で帰国報告会を開く予定にしています。

署名を持参 英語発表も 広島の高校生たち

 NPT再検討会議には、広島女学院高(広島市中区)、修道高(同)、盈進(えいしん)高(福山市)、沖縄尚学高(那覇市)の生徒計10人が、広島平和文化センターから派遣(はけん)されました。いずれも、「核兵器廃絶!ヒロシマ・中高生による署名キャンペーン」を展開しているメンバーです。

 10人は4月29日、国連のヴァージニア・ガンバ軍縮部次席上級代表に、この1年間で集めた約4万4千筆の署名を手渡(てわた)しました。盈進高3年坂本知彦君(17)は「被爆者から話を聞いた証人として、私たちが戦争や原爆の悲惨(ひさん)さを受(う)け継(つ)げると聞き、共感できた」と喜んでいました。

 国連本部内で30日開かれた平和首長会議ユースフォーラムでは、学校ごとにスライドを使って英語で発表。署名活動を通じて平和に関心を持つようになった経緯(けいい)や、平和記念公園内(広島市中区)の慰霊碑(いれいひ)を他校の生徒に案内する活動などについて話しました。ホロコースト(ユダヤ人大虐殺)や、戦時中の日本の加害、現在も沖縄に存在している米軍基地の問題にも触(ふ)れるなど、幅広(はばひろ)い内容で分かりやすかったです。

 その日の午後には、ニューヨーク市内のスタイベサント高を訪問。原爆についてのプレゼンテーションや意見交換(こうかん)をしました。

 メンバーは次の皆さん(敬称略)
 広島女学院高:並川桃夏、石原香音、一宮夏希、徳山実紅
 修道高:田中光太、石井響弥
 盈進高:作原愛理、坂本知彦
 沖縄尚学高:徳元晋介、平良樹里

国際ネットワークの実現主張 タイの大学生

 タイの大学生ナダ・ウェユーソさん(22)とファールディー・ソンラックさん(21)は「バンコク・ユース協議会」に所属しています。協議会はバンコク市の公的機関。同市内に住む全ての若者、子どもを代表して、「平和で、持続可能な社会」を目指して活動しています。

 2人は、私たちも出席した平和首長会議ユース・フォーラムで、スライドを使いながら「知識」「行動」「広報」を3本柱とする協議会の仕組みや、普段(ふだん)の活動を紹介(しょうかい)しました。そして「若い人との国際ネットワークを広げることで平和な社会を実現したい」と発表しました。

 世界は、教育や環境(かんきょう)など多くの問題を抱(かか)えている。解決に向けた最善策は平和になることだと指摘。「若い時に社会問題について考えてこそ、大人になった時、話し合いによる解決を大切だと思えるようになる」とも話していました。

 「若者として私たちはどんなことができるのか、たくさんの人と共有したい」。そう意気込(いきご)む若者は、自分たちだけではないと知り、平和活動に対する私の意識をより高めてくれました。

■現地交流

保有国 考えの違い知る 大学生と

 ニューヨーク市から東約35キロにあるニューヨーク州立大オールド・ウェストバリー校1~4年の6人。核兵器には特に興味を持っているのではない学生と聞きましたが、和やかな雰囲気(ふんいき)の中、互(たが)いに真剣(しんけん)に考え、さまざまな意見が交わせました。

 核超(ちょう)大国の大学生。「核兵器を廃絶(はいぜつ)したいか」と問うと、「米国は持たず、他の国が持つのは怖(こわ)い」「政府は自国を強く見せるために持っておきたいはず」「造り方を知っているから、なくしてもまた誰(だれ)かが造る」との答えが返ってきました。保有国だからこその、現実的にはなくせない、という考えに触(ふ)れました。

 しかし「核兵器を持ちたいのは政府。個人では持ちたくない。市民がつながって政府に対抗(たいこう)すればよい」と4年ロバート・ライトさん(22)。これを聞いて、核兵器廃絶は不可能でない、と勇気が湧(わ)きました。

 広島、長崎の原爆投下について、「米国は実験のためにどこかに落とす必要があった。日本でなくても中国に落としたかもしれない」とも聞きました。初めて聞いた見方でびっくりしました。

不信感解消 活動の起点 中学校・教会で

 被爆者の木村緋紗子(ひさこ)さん(78)=仙台市太白区=と、ニューヨーク市内のラボ中を訪れました。8歳の時、広島市大須賀(おおすが)町(現南区、爆心地から約1・6キロ)で被爆した木村さんが、被爆した祖父の体にうじ虫がはっている絵を見せたら、7年生(12~13歳)の生徒たちは顔をしかめたり、手や顔や口を覆(おお)ったりしました。空気が張(は)り詰(つ)め、真剣(しんけん)に原爆について考えているのが伝わりました。

 女子生徒の「米国を憎(にく)んでいますか」という質問には考えさせられました。木村さんは「昔は憎んでいたが、今は憎んでいない。だから米国に来て、広島や長崎の話を皆(みな)さんと共有している」と答えると、女子生徒を含(ふく)めた多くの生徒が安堵(あんど)の表情を浮(う)かべました。米国の原爆投下はもちろん非人道的で受忍(じゅにん)できません。しかし憎しみという感情を捨て、互(たが)いに不信感をなくすことが、平和活動の始まりなのではないか。そしてジュニアライターの活動や、日常生活においても必要不可欠だと気付かされました。

 その後、私たちは被爆者の箕牧(みまき)智之さん(73)=広島県北広島町、中村澄子さん(81)=三原市=とニューヨーク市の北約50キロにあるブラークリフ・マナーの教会を訪れました。中学校とは違(ちが)って年配の人が多く、ヒロシマを語るのは少し怖(こわ)く感じました。

 それでも、私たちが被爆体験やジュニアライターについて話すと、彼らは原爆投下について「許せることではない」「必要なかった」と語っていました。「米国」「高齢(こうれい)者」と先入観を持っていたことを恥(は)じました。核廃絶(はいぜつ)への思いに、国境や世代は関係なかったのです。

ラボ中の生徒たちの感想は以下の通りです。

☆核兵器について関心を持たないといけないと思った。これからもっと学んでいきたい。(ジャスティン・ゼンさん、12歳)

☆被爆者の話を聞いて、同じことをくり返してはいけないと思った。本や記事を読んで、もっと核兵器についてみんなが理解したらなくなると思う。(ダフニィー・ラスキンさん、12歳)

☆米国が日本にしたことをよく理解できた。学びが大切。一つの地球なんだから、国が一緒に動いて理解しあうことが大切だと思う。(アンナ・クリードさん、12歳)

☆被爆者の話を直接聞けてよかった。苦しみ、悲しみを理解できた。罪のない人たちを殺すなんて良くない。また、ジュニアライターの活動を聞いて、若い人たちが平和について発信しているのも面白かった。大切だと思う。他の人にも伝えたい。(ミラ・ネマリーさん、12歳)

☆いかに大きなことが起きたのか、幸せだった生活がなくなってしまったというのを初めて学んだ。他の人にも伝えていきたい。(エリザベス・エスクデロさん、12歳)

☆生の声を聞くことで真実と感情を受け取れる。以前に見た被爆の写真を思い出しながら聞いた。もっと被爆者の話を聞いて、核兵器を禁止するべきだ。(マルティナ・ビサスさん、13歳)

非核 数々のアドバイス 広島県の国連本部パネル討議

 広島県が国連本部で開いたパネル討議では、国連や政府、広島市、NGOからの6人が意見交換(こうかん)しました。

 オーストリアのアレクサンダー・クメント大使が「被爆地を訪れ、その場でしか分からない新しい道徳観を持ってほしい」と広島、長崎訪問の必要性を訴(うった)え、「核兵器の現状を直ちに変えるべきだ」と語りました。

 広島市の松井一実市長は「一(いっ)般(ぱん)市民を大量破壊(はかい)する核兵器について、次の世代を見据(みす)えて考えなければならない」と力を込(こ)めました。広島に生まれ育ち、平和活動をしている私たちにとって、2人の言葉は心強い励(はげ)ましになりました。

 パネリストの発言後、私たちは「広島、長崎の被爆者や若者は平和活動に熱心に取り組んできたが、いまだ核廃絶(はいぜつ)に至っていない。どうすればいいか」と投(な)げ掛(か)けました。「NPTに入っていない国や交渉(こうしょう)に参加していない国を、市民社会がもっと押(お)すべきだ」とアンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表からアドバイスをもらいました。新しい視点に気付きました。

 「米国の『核の傘(かさ)』にいる日本が、核廃絶に向け前進するのは可能か」。岸田文雄外相を取材した時に生まれた、この疑問の答えも見つかりました。「日本は北東アジアに非核(ひかく)地帯を構成する条約などを締結(ていけつ)し、アジアでの関係回復を試み、核の傘に入らなくてもいい環境(かんきょう)にすることが大切だ」。国際反核法律家協会のジョン・バローズ氏から、具体的な政策案を教えてもらいました。

ジュニアライターを紹介 平和首長会議ユースフォーラム

 国連本部内で開かれた平和首長会議ユースフォーラムに参加し、英語でジュニアライターの活動について発表しました。緊張(きんちょう)していましたが、被爆者や報道関係者を含(ふく)む多くの聴衆(ちょうしゅう)で混み合う会場は、温かい雰囲気(ふんいき)で私たちを見守っているようでした。

 スライドを使って約10分間発表しました。原爆で114人が亡くなった中国新聞社と平和報道、平和をテーマにした連載(れんさい)「ピース・シーズ」、被爆証言を聞く「記憶(きおく)を受(う)け継(つ)ぐ」などジュニアライターの活動の概要(がいよう)、平和への思いを届けました。

 スライドには、原稿(げんこう)を書いている写真や被爆者を取材している動画、新聞に載(の)った記事などをちりばめました。最後は、ジュニアライター14人が笑顔で「広島に来てね」と手を振(ふ)っている動画でした。途中(とちゅう)、音声が出ず焦(あせ)りましたが、会場がざわつくこともなく、みんなが再開まで待ってくれました。

 発表終了と同時に拍手(はくしゅ)が起き、思いが伝わった達成感でいっぱいになりました。長崎の被爆者から「若者たちにしっかり被爆の記憶は受け継がれている。良かった」と聞き、安心しました。

■訪問終えて

被爆者の思い まだ届いていない

 私が生まれ育った広島に原爆を落とした国。どんな国だろう? そんな思いを胸に初めて渡米(とべい)しました。現地で出会った人たちは、本当に優しかったです。肌(はだ)や目の色は違(ちが)っても、握手(あくしゅ)した時の手の温かさは同じ。70年前は殺し合っていたなんて…。胸が締(し)め付(つ)けられました。

 国連本部内では、米国とロシアが非難し合っていました。みんなで核軍縮・不拡散を目指す場であるはずの会議で、国家間の対立を目の当たりにし、政府間で信頼(しんらい)関係を築く難しさを感じました。NGOセッションでは、韓国(かんこく)の若者が「原爆投下について、なぜ日本は米国を訴(うった)えないのか」と言っていました。被爆者の「今は米国を恨(うら)んでいない。悲劇を繰(く)り返(かえ)してはならない」との思いが伝わっておらず残念でした。まだまだ被爆者の声を世界へ発信していく必要があります。

 現地の人との交流では、核兵器について否定的な意見を多く聞きました。「原爆は何があっても落とすべきではなかった」「核兵器は廃絶(はいぜつ)すべきだ」「人間の安全な生活と核兵器は共存できない」。思いは私たちと一緒(いっしょ)。平和な地球を共につくれると確信しました。

 「核兵器を持っている国を説得するには、持つ理由を知り、そこに対抗(たいこう)できる意見を持たなくてはいけない」。日本の岡村善文国連次席大使から、そう教わりました。原爆の悲惨(ひさん)さを主張するだけでなく、相手の考えにもっと耳を傾けなければなりません。これからはさまざまな視点から核問題を学び、発信していきます。(高2二井谷栞)

若者の力信じ私たちは発信する

 「核兵器は絶対悪であるのは間違(まちが)いないし、廃絶(はいぜつ)しなくてはならない。だけど、私たち一般(いっぱん)市民が訴(うった)えたところで世界は動くのか」。ジュニアライターなどの活動をしていく中、たまによぎる不安でした。

 しかし、NPT再検討会議の取材をした今、核兵器廃絶は可能だと考えます。そして、その達成には、市民社会の力が必要不可欠であるとも確信しています。

 精力的に平和活動に取り組む多くのNGOを見たのに加え、現地の大学生と交流したからです。大学生は米国の原爆投下や核兵器についての知識はあまり持っていませんでした。それでも、「核兵器は廃絶すべきだ」という考えは皆(みな)共通でした。それは世界の若者の多くが望んでいるのではないのでしょうか。個人レベルでは誰(だれ)にとっても核兵器は不必要なはずです。未来は私たち若者がつくります。若者の多くは「核廃絶」を望みます。そんな未来は、今よりももっといいものになると、私は信じています。

 国連本部で世界が動く現場を間近で見て、「政治は人によって行われている」と再認識しました。言(い)い換(か)えると、核兵器が造られるのも、戦争が起こるのも、全て人がやっていたのです。だからこそ、「核兵器廃絶」への思いを市民社会が訴え続(つづ)けることは、人の心を動かす、とても大切なことではないでしょうか。

 私たちが、ヒロシマ、ナガサキを発信していく。それはきっと、私たちの未来をよりよいものへ導いていきます。(高1溝上希)

核拡散防止条約(NPT)
 核軍縮を定めた唯一(ゆいいつ)の国際条約。冷戦時代の1970年に発効、日本は76年に批准(ひじゅん)した。現在190カ国が加盟している。条約は、核兵器が保有できる国を米国、ロシア、英国、フランス、中国に限定。事実上の保有国4カ国のうちインド、パキスタン、イスラエルは未加盟で、北朝鮮は2003年に脱退(だったい)を宣言した。再検討会議では、その時の国際情勢によって、最終的な合意文書が採択(さいたく)されないことがある。

(2015年5月14日朝刊掲載)

 ジュニアライター2人は、国連本部内でのNPT再検討会議の取材について、日本の国連広報センターの働き掛けで、特例として国連の取材パスを受けることができました。地元の中学校(ラボ中)、教会(スカボロー長老派教会)、大学(ニューヨーク州立大オールド・ウェストバリー校)での交流は、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)、日本生活協同組合連合会(日本生協連)、広島県生活協同組合連合会、ニューヨーク州立大オールド・ウェストバリー校山本遼子助教の協力で実現できました。ラボ中とスカボロー長老派教会のあるブラークリフ・マナーの町立図書館には、広島のボランティアグループ「ひろしまと世界を結ぶこども文庫」から預かった絵本「HIROSHIMA A Tragedy Never Be Repeated」(「絵で読む広島の原爆」の英訳本)を寄贈できました。広島県、平和首長会議など関係者の方々にもお世話になりました。皆さまのおかげで無事にNPT取材をすることができました。本当にありがとうございました(ジュニアライター担当:二井理江)

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