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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第44号) 戦闘に加わる子どもたち

25万人 未来奪われ前線へ

 子どもが戦闘(せんとう)に加わる、あるいは加わらされている現実を、皆(みな)さんは知っていますか。アフリカ、中東、アジア、南米など紛争(ふんそう)の起きる少なくとも36カ国・地域に、25万人いると言われています。大人に従わされ銃(じゅう)を持って戦うほか、大人の身代わりになって戦闘の最前線に立たされることがあります。

 最近では、過激派に誘拐(ゆうかい)され自爆(じばく)テロに使われる子どももいます。この悲しい状況(じょうきょう)は、貧困が原因になっているようです。国が貧しく、政府に不満を持つ反政府勢力や過激派が、子どもを戦力として使います。食べていくため、子ども兵になる少年少女もいます。

 同じ状況はかつての日本でもありました。戦闘に巻き込(こ)まれた子どもは、ジュニアライターと同世代です。映画でもゲームでもない現実の話として、皆さんにも受け止めてほしいと願っています。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学1年から高校3年までの27人が、自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

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現状と課題は

7歳から銃持ち「盾」に 武器規制し貧困減らそう

 アフリカで元子ども兵の社会復帰を支援(しえん)するNPO法人テラ・ルネッサンス(京都市)スタッフの栗田佳典さん(30)に、子ども兵の現状や防止策を聞きました。

 子ども兵とは武装勢力に入った18歳未満の少年少女を指します。5歳ごろで荷物運びなど戦闘以外に関わり、7歳ごろで銃(じゅう)を持つ子がいるそうです。背景には操作が簡単な銃が世界に広まったことが挙げられます。旧ソ連製の「カラシニコフ銃」です。旧ソ連解体後の1990年代、武器商人を通じ安く売られました。

 もう一つは戦術のため。政府軍など大人の兵士は、子どもに銃を撃(う)つのをためらいます。また子どもは洗脳(せんのう)しやすく、麻薬などで正常な判断を鈍(にぶ)らせ、隊の先頭で「盾(たて)」として使われます。命を落とすと次の子が「補充(ほじゅう)」されます。

 子ども兵には自らの意志でなるほか、反政府勢力に誘拐されてなる場合があります。子どもは決死の覚悟(かくご)で逃(に)げるか、政府軍に保護されるまでグループに入り続けるしかないのです。テラ・ルネッサンスはウガンダで、元子ども兵の自立を促(うなが)すセンターを運営。洋裁や大工といった職業訓練、英語や算数の教育、平和教育、心のケアを続け、192人を受け入れました。

 栗田さんは過激派組織「イスラム国」(IS)の出現などで子ども兵は「さらに増えているのでは」と心配します。自立支援を進めて貧困を減らし、武器の取引を制限する「武器貿易条約」を多くの国が守り、子どもが武器を持てない世界をつくることが必要と考えます。「平和な日本で暮らす10代もこの事実から目を背けず、考えてほしい」と訴(うった)えています。 (中2岩田諒馬)

過激派になぜ参加

「普通の子」誘拐され強制 食料・居場所目的に志願も

 アフリカではナイジェリアを拠点(きょてん)にするイスラム過激派ボコ・ハラムが、周辺国でも少年少女を自爆(じばく)させるテロを続けています。広島市出身で、隣国(りんごく)チャドの国連人道問題調整事務所(OCHA)に勤める木村真紀葉さん(29)に、現地の様子を聞きました。

 チャドの難民・避難(ひなん)民のキャンプ地は主に3カ所あります。このうち西部のチャド湖周辺に、ボコ・ハラムに家が破壊されたり命が狙(ねら)われたりしたナイジェリアやカメルーンの難民、チャドの避難民が集まります。非政府組織などと協力して効率的な支援(しえん)を進めるのがOCHAの仕事です。

 「日本と同じ普通(ふつう)の子が巻き込(こ)まれている」。ボコ・ハラムの脅威(きょうい)について木村さんはそう指摘(してき)します。国連児童基金が4月に発表したリポートを基に、過激派に誘拐(ゆうかい)された少年少女が自爆させられる実態を説明してくれました。「普通の子」ゆえに検問で危険かどうか区別するのは難しいそうです。

 子どもを誘拐する過激派に入る若者は後を絶ちません。国が貧しいのに対し、グループに入れば食料を得られ、自分の居場所も見つかるからです。防ぐには「教育や職業訓練で若者を支援し貧困率を下げること」と木村さんは強調します。しかしお金と時間がかかり、その日生きるための支援が最優先の現状では、なかなか手が回らないそうです。(高2上岡弘実)

誘拐後の実態は

日常的に暴行/トイレ時も見張り

 国連児童基金がまとめたリポートを基に、ボコ・ハラムに誘拐(ゆうかい)された子どもの体験を紹介(しょうかい)します。

 子どもは監視(かんし)を受けながら、料理や掃除(そうじ)、水くみ、まき集めなどの仕事を選ばされます。13歳ほどの少年はバイクの運転を教えられ、燃料や戦闘(せんとう)員を運搬(うんぱん)。他の子どもは、誰(だれ)かが逃げたら殺すと脅(おど)され、他の子を見張ります。

 少女は夫を割り当てられてレイプを繰(く)り返し受けます。13歳ほどの少女が妊娠(にんしん)しても、医療(いりょう)的なケアすらない中で出産します。暴行は日常的で、トイレに行く時も見張りがいます。

 2014年1月から117人の子どもがナイジェリア、ニジェール、チャド、カメルーンでの自爆(じばく)攻撃に使われました。その80%以上が少女です。子どもは腰(こし)にベルトで爆弾を着け運ばされますが、命令の内容を理解しているかはっきりしません。

 大人は子どもを見ると怖(こわ)くなり、自爆するかもしれないという恐怖(きょうふ)から信用できなくなっています。子どもが逃(に)げて地元に戻(もど)ったとしても、社会復帰は難しいそうです。(高1岡田日菜子、中2田所愛彩)

戦争しないことが解決策

那須正幹さん「少年たちの戦場」昨年出版

 昨年出版された児童書「少年たちの戦場」は、戊辰(ぼしん)戦争や第2次世界大戦に加わった少年4人の姿をつづっています。作者の児童文学作家、那須正幹さん(74)=防府市=は「戦争の被害者だけでなく、加害者にもなった子どもが存在した歴史を描(えが)き、戦争の全体像を読者につかんでもらいたかった」と話します。

 奇兵(きへい)隊に加わり、長岡藩(現新潟県)との戦いで敵を殺す下関出身の少年▽多くの犠牲を出した二本松少年隊をモチーフにした二本松藩(現福島県)の少年▽満蒙開拓青少年義勇軍として旧満州(中国東北部)に向かった少年▽国内で唯一(ゆいいつ)地上戦のあった沖縄の学徒通信兵―を描いた4話です。

 那須さんは専門書をひもとき、現地を取材。戊辰戦争に加わった下関の少年のように、ご飯が食べられ、ある程度の暮らしが保証されると単純に思い込(こ)み、戦いに参加した子も多くいたのでは、と話します。

 物語の主人公4人のうち3人が亡くなりますが、死を美談のように書かず、心の揺(ゆ)れ動きにも余り触れません。淡々(たんたん)と描写(びょうしゃ)するのは、読者が想像力を発揮し考えるよう作品を「タイムスリップできる道具」に仕立てたかったからです。

 最後に「少年兵をなくすには」と尋(たず)ねると「戦争をしないこと」と答えた那須さん。3歳の時に被爆した自分の責任として、反戦のメッセージを送ります。誰(だれ)もが武器を持たない世界になるよう「ニュースや選挙を通じリーダーを見極める目を持つことが大切」と強調しました。(高3見崎麻梨菜、高1池田杏奈)

(2017年5月18日朝刊掲載)

【編集後記】

 子どもが紛争の戦力に巻き込まれる理由に、驚きました。銃が簡単に扱える、敵の大人が撃つのをためらう、命令に従う―。武装勢力から抜け出せない、社会に受け入れてもらえない、という現状もあるようです。現在武器の取引を制限するための条約が結ばれていますが、世界から武器が減るのは時間がかかります。だからこそ目を背けず、「自分が出来る事」をやっていきたいです。(岩田)

 木村さんとユニセフのレポートを読みました。ボコ・ハラムに誘拐された、ナイジェリアの「ダダ」という少女の体験記には、逃亡を防ぐため別の少女が見せしめのため殺された、という記述が、生々しく書いてありました。私と近い年の少女が、目の前で人を殺されたり、無理やり結婚させられたりしています。しかし、少女たちがさらわれるのを防ぐための教育支援は、時間がかかります。息の長い取り組みが必要だと感じました。(上岡)

 私はこれがジュニアライターとして初めての取材でした。私たちの身近にはない、争いに巻き込まれた子どもたちがテーマだったので、最初は不安な部分もたくさんありました。しかし、私がお会いした木村さんは、とても優しい方で、分かりやすく学べました。ユニセフの報告書の翻訳は難しく、大変でしたが、子どもたちについてより深く知ることができたように思います。(田所)

 木村さんに取材をしました。自分と同じくらいの年齢か、それより年下の人たちが麻薬を入れられ、強制的に自爆攻撃に使われていることが、とても衝撃的でした。また、紛争地など、誰もが被害者になりうる状況で問題をなくしていくには、教育などの根本的な解決が必要だと思いました。(岡田)

 今回、「少年たちの戦場」を書いた那須さんにインタビューさせて頂きました。最も印象に残ったのは「戦争にいきたいという世の中は良い世の中ではない」という言葉です。当たり前のように感じる言葉ですが、少年兵のリアルな体験を読むにつれ、この言葉の重みを再認識しました。戦争のない世の中を、少年兵がいない世の中を、私たち自身で作らなければならないと強く思いました。(池田)

 私は「少年たちの戦場」を書いた那須さんにインタビューさせてもらいました。登場人物にまつわるエピソードや、作品を書いた時の工夫だけでなく、今も世界に存在する子ども兵への思いまで知ることができ、貴重な経験になりました。高校3年の私にとって、今回は最初で最後の県外取材になると思います。ピース・シーズの取材を最後までやり通すことができ、良かったなと思います。(見崎)

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