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ジュニアライター発信

『ジュニアライター発』 命のビザ 世界で継承を 杉原千畝記念館 国枝館長に聞く

記憶遺産候補に 命の大切さ学んで

 第2次世界大戦中、迫害から逃れるユダヤ難民に、日本政府の意に反してビザを発給した外交官、杉原千畝(ちうね)氏(1900~86年)。関連する資料(杉原リスト)が、世界記憶遺産の候補に挙がっています。中国新聞ジュニアライターは、シンポジウム参加のため広島市を訪れた杉原千畝記念館(岐阜県八百津(やおつ)町)の国枝大索館長に、千畝の功績や遺産登録に向けた思いを聞きました。(聞き手は高3山下未来、中2目黒美貴)

  ―千畝はどんな人物だったのでしょう。
 私生活では、ごく普通の人だったようだ。ただ、人一倍努力家で、勉強の成績はとても良かった。外交官としても優秀で、常に「何をしたら日本の利益になるか」を考えていた。

 ビザを発給したのも、相手がユダヤ人だから特別に実行したのではなく、迫害から逃れる難民だったからこそ。「いつか日本にプラスになる」という思いがあったからかもしれない。そうでないと、政府の命令に背いてまで行動できない。

  ―国枝館長も千畝と同じ立場だったら、ビザを発給できますか。
 自分だったらできない。しかし千畝という前例がある今なら、行動は起こしやすい。助けないのは簡単なことだが、見て見ぬふりをするのは人を迫害するのと同じ。自分一人では難しいが、周りに支えてくれる仲間がいたらきっとできる。

  ―記憶遺産登録に向けてどんな思いがありますか。
 千畝の行動は正しかったと世界が認めることは意義がある。核兵器の悲惨さを伝えるため広島の原爆ドームが世界文化遺産に登録されたように、千畝関連の資料が遺産になることで後世に語り継がれることを願っている。資料を公開し世界中の人にさまざまな角度から研究してほしいと願う。真実というのは研究を重ねないと分からないから。

  ―若者に伝えたいことは何ですか。
 みんなが千畝のような「心」を持ち行動することが大切だが、一番良いのは千畝のような人物がいなくても、みんなで助け合える世界だと思う。実現できれば、難民も、千畝のように目の前の問題に一人で向き合わなければならない人も、いなくなるはずだ。記念館の来館者の年齢層は高い傾向にある。若者にもぜひ訪れてもらい、千畝の功績だけでなく、命の大切さも学んでほしい。

杉原千畝
 岐阜県八百津町出身。早稲田大を中退後、外交官に。第2次世界大戦の始まった1939年、リトアニアの当時の首都カウナスに赴任。翌40年、ナチス・ドイツの迫害から逃れるため、日本への通過ビザを求める多数のユダヤ難民に領事館を取り囲まれた。約1カ月で発給した2139通は「命のビザ」と呼ばれる。発給リストなどの資料は国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界記憶遺産の候補に挙がり、ことし審査結果が発表される。

(2017年2月27日朝刊掲載)

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