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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 新しくなった原爆資料館

 原爆資料館(広島市中区)の本館が展示(てんじ)を一新させ、4月下旬にリニューアルオープンしました。大規模改修(だいきぼかいしゅう)で東館と本館を交互に閉館(へいかん)していたため、両方を見学できるようになったのは約5年ぶりです。本館は犠牲者(ぎせいしゃ)の遺品(いひん)など実物資料を中心に展示し、被爆の惨状(さんじょう)を伝えています。連日、大勢の市民や国内外からの観光客が訪れ、74年前の「あの日」に思いを重ねています。中国新聞ジュニアライターも館内を見学しました。印象に残った展示コーナーや遺品を紹介(しょうかい)します。

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実物300点 感性に訴え

遺影や家族写真添える

 加藤秀一副館長(58)の案内で、まずは「被爆の実相(じっそう)」がテーマの本館を見学しました。「魂の叫び」など4コーナーに分かれており、原爆犠牲者の遺品である焼け焦げたもんぺや、黒い雨の跡(あと)が残る壁(かべ)など、約300点の実物資料が並びます。

 それぞれの資料には、日本語と英語の説明文が付いています。加藤副館長は「文章はできるだけ短くしました。実物をじっくり見て、持ち主や遺族(いぞく)の気持ちを感じ取ってもらいたい」と言います。犠牲者の遺影(いえい)や家族写真を添(そ)えて、来館者の感性に訴(うった)えています。

 朝鮮半島出身者や東南アジアからの留学生など、外国人も被爆した事実を伝えるコーナーが新設されました。国籍(こくせき)を問わず、原爆は市民の命を無差別に奪(うば)ったことが分かります。

 本館から続く見学ルートの東館では、原爆のしくみや開発の歴史、放射線被害について説明しています。世界が現在も核兵器に脅(おびや)かされている実態を学びます。タッチパネル(メディアテーブル)の前で、見学者が戦後の平和活動の歩みを紹介する映像に見入っていました。

 外国人の姿を多く見かけます。来館者の4人に1人は外国人だそうです。加藤副館長は、「今なお続くヒロシマの苦しみや訴えを、世界に発信する場にしたい」と話しました。

私たちの心に残った展示

焼けたブラウス 17歳 最後まで家族思う

 このブラウスの持ち主は、当時17歳の大本利子さん。おしゃれが大好きで、弟思いの優しいお姉さんだったそうです。

 空襲(くうしゅう)に備えて防火帯の空き地を造るため家を取り壊す「建物疎開(たてものそかい)」の作業に向かう途中、爆心地から約1・7キロの比治山橋(現広島市南区)で被爆しました。その時に着ていたブラウスです。強烈(きょうれつ)な熱線で、右胸あたりの布地や袖(そで)は焼け落ち、穴が開いています。

 原爆投下から8日後、家族が見つけた時には、髪と耳はなく、両目は飛び出ていました。「私がいたら、弟に嫁が来んようになる―」。変わり果てた自身の姿を悔(く)やみ、痛みに苦しんで約2カ月後に亡くなりました。

 生きる希望を抱(いだ)くことはできず、助かったら家族に迷惑(めいわく)を掛(か)けてしまうと心配したのです。胸が痛みます。

握り締めた革ベルト 両親からの入学祝い

 旧制広島一中(現国泰寺高)の1年生だった南口修さんは、大勢の同級生たちと雑魚場町(現広島市中区)で建物疎開の作業中に被爆し、亡くなりました。当時12歳でした。

 顔の見分けがつかないほどの大やけどを負いました。皮膚(ひふ)は垂(た)れ下がり、パンツ一枚の姿で自宅に運び込まれた時、この革(かわ)ベルトをしっかり握(にぎ)り締めていたそうです。両親からもらった入学祝いでした。6日夕、母と兄に見守られて息を引き取りました。

 革ベルトはきれいな状態で残っています。原爆で家族を失った悲しみを胸に、遺族が大切に保管していたことが伝わってきます。

8月6日の惨状 同世代に起きた現実

 本館に入って最初のコーナー「8月6日の惨状」には、爆風で折れ曲がった鉄骨(てっこつ)や、高熱で溶けたガラスの塊(かたまり)など大型資料が並びます。原爆で破壊(はかい)された広島の町並みを想像させます。

 中央のガラスケースには、建物疎開の作業中に原爆に遭(あ)った子どもたちの焼けた衣服や血痕(けっこん)の付いたかばんなどを集めて展示しています。私たちと同世代です。

 重いやけどを負った人たちの写真と、「市民が描いた原爆の絵」を交互に並べた一角では、思わず目を覆(おお)いたくなります。しかし、本当に起こったことです。写真と絵の前に立つと、そこに自分がいたかのような感覚になります。

(2019年6月3日朝刊掲載)

【取材を終えて】
 原爆資料館の見学は、小学校の社会見学で訪れて以来でした。資料館に入ってすぐに展示してある、被爆前の広島の町並みを捉えたパノラマ写真は、自分がまるで今、そこにいるかのような感覚にさせられました。現在の町並みとの違いがよく分かります。最も怖かったのは、「死の斑点が出た兵士」の写真です。リニューアル前にも展示されていましたが、撮られたその日のうちに兵士が亡くなったと聞いて、とても驚きました。「約14万人が亡くなったと言われているが、一人一人の死に向き合ってほしい」と加藤副館長はおっしゃいました。もう1度訪れる機会があれば、今度はじっくり一つ一つの展示に時間をかけながら見たいと思いました。(高2庄野愛梨)

 犠牲者の遺品や原爆の絵が増えたことで、原爆投下後の広島の街の様子を想像しやすくなったと思いました。私は見学して、街が炎で真っ赤に染まり、大やけどをした人が裸で歩いた光景を想像しました。また、写真を見て、原爆が使われるとあのような悲惨なことが起こるのだとよく分かりました。多くの展示物があることで、海外からの来館者にも、被爆後の状況や核兵器の恐ろしさなどを、より理解してもらえるのではないかと思います。(中3桂一葉)

 今回、新しくなった原爆資料館を取材した際、確かにそうだなと共感することがありました。それは、加藤副館長が「原爆投下から1年で約14万人が亡くなったといっても想像できないだろう。遺品や写真を通して、被爆者や遺族はどのような思いだったのか、想像してほしい」と言われていたことです。展示されている遺品や写真からも、加藤副館長の意図が伝わってきました。あらためて被爆者一人一人について考えることが必要だと思いました。(高2伊藤淳仁)

 加藤副館長が館内を案内してくださった時、本館展示の「魂の叫び」のコーナーは「被爆者一人一人と向き合ってもらうようにした」と言われたのが、印象に残っています。私はこれまでの取材で、原爆が落とされたという事実ばかりにとらわれて、被爆者の気持ちをあまり考えようとしていなかったことに気づきました。今回の取材で、人の気持ちを考えることの大切さを学びました。今後は、相手の心に寄り添った取材をしていきたいです。(中2中島優野)

 原爆資料館にはこれまで何度も訪れたことがありましたが、リニューアル後の見学は初めてでした。本館は暗い雰囲気が漂い、今まで以上に現実感のある写真や被爆者が描いた絵、被爆した子どもたちの衣服など、一目見るだけでも心にぐっときました。特に「8月6日の惨状」や「魂の叫び」コーナーでは、原爆で犠牲になった子どもたちが大切にしていたものに、その物語が書いてあって、細かいところまで理解することができました。家に帰ってから資料館で見たことを思い返すと、また違う視点から8月6日や戦争について知り、涙が出そうになりました。それほど効果的で現実を知らせ、原爆の被害を連想させる展示でした。(高2フィリックス・ウォルシュ)

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