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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 教皇の訴え胸に ヒロシマ一つ

 ローマ教皇フランシスコが11月24日、被爆地の広島と長崎を訪(おとず)れました。教皇が両被爆地を訪れたのは38年ぶりです。平和記念公園(広島市中区)では、核兵器の使用や保有を批判(ひはん)し、核兵器廃絶に向けた行動を世界に呼び掛(か)けました。中国新聞ジュニアライターは、平和記念公園と、パブリックビューイング(PV)があったカトリック幟町教会(同)で教皇の演説を聞きました。教皇の平和のメッセージに「私たちも原爆の非人道性(ひじんどうせい)を訴(うった)えよう」という思いを新たにしました。

紙面イメージはこちら

平和公園で「集い」

被爆地から世界へ 強いインパクト

 平和記念公園で開かれた「平和のための集い」には教会関係者や被爆者たち約2千人が参加しました。ジュニアライターは会場後方の記者席で取材しました。

 午後6時43分、張(は)り詰(つ)めた空気の会場に教皇が到着(とうちゃく)すると、大きな歓声(かんせい)と拍手(はくしゅ)が起こりました。教皇は出迎えた被爆者一人一人の手を優しく握(にぎ)ります。涙(なみだ)を流す被爆者女性にそっと寄り添(そ)う場面がありました。

 教皇は原爆慰霊碑に花束を手向け、祈りをささげました。長崎の爆心地公園の時と同様に、長く丁寧(ていねい)な祈りでした。被爆者の証言には、真剣(しんけん)な表情で聞き入っていました。14分の演説はスペイン語で、「平和」という言葉を繰(く)り返していたのが記憶に残りました。

 集い終了後、原爆慰霊碑の前で大勢の人が手を合わせていました。教皇の演説が参加者の心に響(ひび)き、気持ちが一つになった気がしました。2歳で被爆した久保田陽子さん(76)=広島市西区=は「被爆者の思いを代弁してくれて元気をもらった」と話していました。

 教皇の広島滞在は51分で原爆資料館を見学しなかったことは残念でした。しかし、被爆地から世界に強いインパクトを与えました。核兵器のない世界の実現に向けた国際的な議論(ぎろん)が進むきっかけになってほしいです。

幟町教会PV

犠牲者への悼み参加者も刻む

 カトリック幟町教会であった「平和のための集い」のパブリックビューイングには約450人が集まりました。

 はじめに、カトリック宇部教会(宇部市)の片柳弘史神父(48)が、教皇の経歴や人柄を紹介しました。片柳神父によると、教皇は21歳でイエズス会に入会。日本への派遣(はけん)を願い出ましたが、肺の病気で断念(だんねん)したそうです。

 36歳の時、教皇はアルゼンチンの管区長になります。当時、軍事独裁政権(ぐんじどくさいせいけん)が反政府とみなした市民を厳しく拷問(ごうもん)していましたが、人々の苦しみに寄り添い勇敢(ゆうかん)に立ち向かったといいます。功績(こうせき)が認められて2013年、教皇に選ばれました。

 片柳神父は、教皇が貧しい人たちに目を向けて、就任後もバチカン宮殿には住まず、一般の簡易(かんい)な宿泊施設で暮らしていることについても説明しました。

 集いが始まると、参加者は大型スクリーンで会場の様子を見守りました。教皇の言葉を心に刻(きざ)むかのように、熱心に耳を傾(かたむ)ける人たちの姿が印象的でした。藤原清さん(59)=広島市中区=は「原爆犠牲者(げんばくぎせいしゃ)を悼(いた)む教皇の深い気持ちが伝わってきた」と話していました。

取材やアンケート 年内に全校生徒配布 崇徳高新聞部

 崇徳高(広島市西区)の新聞部は、ローマ教皇の広島訪問を取材し、学校新聞を作って校内で配りました。

 いずれも2年の井上朝斐(あさひ)さん(17)と舛井亮太さん(16)は「平和のための集い」に参加し、メモを取ったり写真を撮影したりしました。井上さんは「教皇は穏(おだ)やかな口調だったけれど、核廃絶を求める強い意志を感じた」と振り返ります。

 部長で2年の豊嶋択斗さん(16)たち3人は、会場周辺で「教皇訪問が核廃絶につながるか」と尋(たず)ねるアンケートをしました。約50人分を集めました。

 教皇の演説や、集いに参加した他県の高校生のインタビューなどをB4判1枚の「速報」にまとめ、訪問から2日後に中高の全クラスに掲示(けいじ)しました。アンケート結果などを含めた10ページ程度の新聞も年内に作る予定で、全校生徒約1300人に配るそうです。豊嶋さんは「新聞を通して若者は平和のために何ができるのか、学校全体で考えたい」と意気込んでいました。

 ローマ教皇の広島演説で、取材に参加した5人のジュニアライターが、特に心に残った言葉と感想を紹介します。

① 平和は、それが真理を基盤とし、正義に従って実現し、愛によって息づき完成され、自由において形成されないのであれば、単なる「発せられることば」にすぎなくなる。

 …平和のために行動に移すことの大切さをあらためて感じました。ジュニアライターの活動もその一つです。行動し続ける決意をしました。(高3川岸言統)

② 核戦争の脅威による威嚇をちらつかせながら、どうして平和を提案できるでしょうか。

 …国の指導者が核兵器を手放さない国を公の場で強く批判しているのを初めて聞きました。世界全体で核をなくそうという動きにつながってほしいです。(中3岡島由奈)

③ 真の平和とは、非武装の平和以外にあり得ません。

 …教皇の言葉を「核の傘」に頼っている日本も含めて、特に核兵器保有国の指導者に伝えたいです。(中3林田愛由)

④ 記憶は、より正義にかない、いっそう兄弟愛にあふれる将来を築くための、保証であり起爆剤なのです。

 …これからの世代の人々が原爆の惨状を繰り返さないために、記憶の伝承が必要であると訴えているように思いました。(高2及川陽香)

⑤ 現代世界は、グローバル化で結ばれているだけでなく、共通の大地によっても、いつも相互に結ばれています。

 …言語や文化などの違いを認め合うだけでなく、世界中の人たちが運命共同体という考え方からも平和を構築できるということが分かりました。(高2佐藤茜)

(2019年12月10日朝刊掲載)

【取材を終えて】

 今回、教皇のお話を直接聞けることになり、取材当日までは父と母も協力しての、教皇について勉強の毎日でした。もちろん緊張もしていましたが、目に入る情報はどれも教皇の優しくあたたかい人柄がわかるものばかりで、それ以上にお目にかかるのがとても楽しみでした。実際、式典では穏やかな表情や平和を願う誠実な様子を見ることができ、またそんな教皇が広島に足を運び平和を訴えてくださったことの意味をあらためて考えさせられました。全身で感じた式典の雰囲気や、実際に平和メッセージを聞いて考えたことなど、たくさんの貴重な経験をこれからの活動の中で生かしていきたいです。(高2佐藤茜)

 教皇の平和メッセージを聞くという貴重な経験ができました。教皇のメッセージは信者だけに向けたものではなく、全世界の人に向けた言葉なのだと感じた時、教皇に対してのイメージがぐっと近くなりました。教皇のメッセージを受け取った自分にはなにができるのだろうか。これからも自分の考えを持ち、学生となっても行動したいです。(高3川岸言統)

 幟町教会でのパブリックビューイングに参加して、平和や原爆について考えている人はとても多いということを改めて感じました。ですが、私の周りには、教皇の演説を聞かなかった人や、そもそも教皇が広島を訪れていたことを知らなかったという人がほとんどでした。今回の取材で自分が感じたことなどを家族や友人たちに伝えて、少しでも多くの人に平和や原爆について関心をもってほしいと思いました。(中3林田愛由)

 私は平和記念公園であった「平和のための集い」の取材に参加しました。教皇のスピーチを直接聞けるいうことで、寒さを忘れて、逆に温かく感じるぐらい興奮しました。教皇の低くて少し悲しそうな声が今も耳の奥から離れません。遠く離れたバチカンから日本を訪れ、被爆地から、核を手放さない今の世界を批判した教皇の姿と言葉に、感動しました。今回の集いの参加を、ただのイベントで終わらせるのではなく、「和解と平和の道具になるため」の一歩としたいです。(中3岡島由奈)

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