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ジュニアライター発信

Peace Seeds ヒロシマの10代がまく種(第33号) 21世紀の原爆漫画

生活者目線で身近な作風

 被爆者の記憶(きおく)を受(う)け継(つ)ぐ、というのは大変なことです。被爆者の多くは「実際に遭(あ)っとらんあんたらには分からんじゃろう」と言います。確かにそうかもしれません。しかし、分からないから、と諦(あきら)めてもいいのでしょうか。

 今回、漫画(まんが)という親しみやすい方法で、被爆者の思いを受け継ごうとしている人たちに取材しました。ジュニアライターの親世代に当たる40~50代の作者たちは、戦争・被爆体験はもちろん、戦後の苦しい時代も経験していません。それでも、被爆者に話を聞き、資料を調べて作品を仕上げています。

 漫画の中で主人公たちは、恋をし、家族を思いやり、時にはケンカをしながら戦中戦後を生きています。現代が舞台(ぶたい)になっている作品もあるなど、感情移入しやすい工夫がちりばめられています。皆(みな)さんも一度手に取って読んでみませんか。

<ピース・シーズ>
 平和や命の大切さをいろんな視点から捉(とら)え、広げていく「種」が「ピース・シーズ」です。世界中に笑顔の花をたくさん咲かせるため、中学1年から高校3年までの39人が、自らテーマを考え、取材し、執筆しています。

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暮らし奪われる怒り込め

松尾しよりさん(51)

 松尾しよりさん(51)=東京都=は、当たり前に過ごしていた家族の生活が、原爆で突然奪(とつぜんうば)われる姿を描きました。「一生懸命(いっしょうけんめい)守っていた暮らしが、国同士の争いで崩(くず)されるなんて、人として許せるものではない」と作品に込(こ)めた思いを話します。

 名古屋生まれの大阪育ち。子どものころから戦争や原爆のテレビ番組、写真集を見てきました。漫画家になる前から描きたいと考えていました。デビュー8年後の1998年にやっと戦争漫画「空と海のあいだ」の連載(れんさい)を始めました。「君がくれた太陽」も編集者に希望を伝えて実現しました。戦争を知らない現代の人が作品に入り込(こ)みやすいよう、家族の視点を大切にしています。

 連載を始めるまでの1年間、当時の絵はがきや本を買ったり、被爆者の話を聞いたりしました。話してくれた被爆者の思いを伝える、というプレッシャーがしんどいこともありました。今までで一番苦労した作品だそうです。

 今後は原爆による差別や健康不安を抱(かか)えながら戦後の広島を生き抜(ぬ)いた人たちを題材にした漫画を描きたいと思っています。「広島の復興が福島にも勇気を与(あた)えるはず」と実現を願います。(高3岩田壮)

 「君がくれた太陽㊤㊦」(2008年) 1929年に開店した百貨店の福屋(現福屋八丁堀本店、広島市中区)で出会った芙美子と寛二(かんじ)。いつしか2人は恋に落ち、寛二が営む青果店のある革屋町(現中区本通)で所帯を持つ。戦争が暗い影(かげ)を落とす中、笑顔で前向きに生き続けようとする一家を原爆が襲(おそ)う。

残酷な悲劇と向き合う

こうの史代さん(47)

 原爆をテーマにした新作が少なく、「ヒロシマについて描いてみない」と編集者の提案を受けた広島市西区出身のこうの史代さん(47)=京都府。原爆資料館(広島市中区)で倒(たお)れるなど「残酷(ざんこく)でつらい」と原爆を避(さ)けてきましたが「今向き合わなければ」と制作を決めました。作品はネットや口コミで広がってヒットし、映画にもなりました。

 放射線の後障害(こうしょうがい)や差別がテーマです。作品を通じて「原爆や戦争をより身近に、主人公を友達のように感じてほしい」と言います。

 戦時中の広島と呉(くれ)を舞台にした「この世界の片隅に」も出しましたが、今は、原爆漫画を描くつもりはないそうです。「私の作品は創作。いろいろ調べて作っていった。誰(だれ)でもできる作業。読みたい人が多いが、描きたい人が少ないのが現状。いろんな人が描くべきだ」と説明します。

 「戦争を経験していなくても、それぞれの時代や場所で平和について考え、伝えていかなければいけない」。私たち10代には、他人のことを自分に置(お)き換(か)えて考える想像力を持ってほしいそうです。(高1岡田実優、中3平田佳子、中2佐藤茜)

 「夕凪(ゆうなぎ)の街 桜の国」(2004年) 「夕凪の街」「桜の国」の2部構成。「夕凪の街」は、原爆投下から10年後の広島が舞台。主人公の皆実(みなみ)が被爆体験を引きずる苦悩(くのう)を描く。「桜の国」は、現代の東京で、皆実の弟旭(あさひ)や、被爆2世で皆実のめい七波、おい凪生(なぎお)の恋愛を通して、被爆の影響を描く。(C)こうの史代/双葉社

葛藤の末 証言描く決意

西岡由香さん(51)

 「被爆者の心には今でも炎(ほのお)が燃えている。証言を聞くと自分も心が被爆する。それを伝えたい」。西岡由香さん(51)=長崎市=は言います。

 西岡さんは、1999年に乗った世界一周の旅「ピース・ボート」でナガサキが世界中で知られていると知り、好きな漫画で長崎原爆を表現できないかと考えました。「被爆していないのにいいんだろうか」と悩(なや)みましたが、被爆者の「僕らの経験した1万分の1でもいいから伝えて」の言葉で決心しました。

 最初は、当時を正確に描けない、と中高生の女の子が被爆者に出会って話を聞く作品にしていました。その後、被爆者や編集者に依頼(いらい)され、被爆証言を漫画にするようになりました。

 西岡さんは「被爆マリアの祈(いの)り」を読んだ男性被爆者に言われた「被爆者はもっと深い目をしている」の一言が忘れられません。「まだまだ私は分かっていない。一生かけてページを重ねていきたい」

 被爆体験だけでなく、被爆も含む人生を描くことで悲惨(ひさん)さをより伝えられると考える西岡さん。当時の詳(くわ)しい話が聞ける、被爆者が生きているうちに多くの作品を出したいと思っています。(高2風呂橋公平)

 「夏の残像―ナガサキの八月九日」(2008年) 被爆者である祖母の住む長崎を訪ねた東京在住の高校生カナ。米国や韓国(かんこく)にも行き、原爆の「負の遺産」を知る。

 「八月九日のサンタクロース―長崎原爆と被爆者」(2010年) 長崎の歴史や被爆について説明する「長崎原爆と被爆者」、東京から長崎に引(ひ)っ越(こ)した中学生まゆが原爆について知る「八月九日のサンタクロース」、エピローグの「明日への約束」の3部で構成されている。

 「被爆マリアの祈(いの)り―漫画で読む三人の被爆証言」(2015年) 長崎で被爆した3人それぞれの半生を描く。

切り口斬新 女性作家活躍

京都精華大の吉村和真教授

 京都精華(せいか)大マンガ学部教授の吉村和真さん(44)は「2000年代になって原爆漫画が目立つようになった」と言います。1960年代の後半以降に生まれ、小学校の図書館に置かれていた漫画「はだしのゲン」を読んで育った世代が、原爆や戦争の記憶(きおく)を風化させないために描き始めたからです。

 新しい切り口を開いたのはこうの史代さん。こうのさんはじめ女性の漫画家が、女性を主人公に、生活者としての視点で表現しています。「どうしたら読者に広く受け入れてもらえるかを、戦争を体験してない作者が独自の目線で考えたから」と吉村さんは分析(ぶんせき)します。これまでは作者が男性で、主人公の男性が敗戦に向かって特攻(とっこう)など別れの人間ドラマを描く作品が特徴(とくちょう)だそうです。

 現在も毎年のように女性による戦争、原爆漫画が出版されていて、新たな視点で当時が描かれています。(高2芳本菜子)

(2016年6月16日朝刊掲載)

【編集後記】

 僕は普段漫画をあまり読まないのですが、今回の作品を通して、文章だけでは分かりにくいような話も、漫画なら容易に理解ができました。受験勉強が終わったら、いろいろな漫画を読みたいです。(岩田)

 原爆漫画では娯楽としての漫画のように、主人公のせりふを流し読みしてほしくないという作者の思いで表現に工夫が施されていることを知りました。通常の漫画は主人公が右にいてせりふが左に来ますが、「夕凪の街 桜の国」では主人公の皆実は左側に立ち、せりふが右に来ていることが多いそうです。

 今まで漫画を手にする機会はほとんどなかったので、これをきっかけに読んでみようと思います。(芳本)

 僕は今回の取材で初めて長崎に行きました。取材先の漫画家西岡さんに長崎を案内してもらい、平和公園や資料館にもいきました。一部分ですが、本当のナガサキを知りました。次回は、今回行けなかった所に家族で行きたいです。(風呂橋)

 これまで私にとって長崎は観光地でした。今回の取材で長崎を訪れ、今までとは異なる視点から見ることができました。広島と同じ被爆した地である長崎。これからも原爆にまつわる漫画に興味を持っていきたいです。(岡田)

 今回は私の初取材でした。松尾さんへの取材の時、記事に使う写真を撮りました。目線が合うように中腰にならないといけません。しかし、途中から足が痛くなりました。足腰を鍛えなければな、と思いました。取材は緊張しましたが、こうのさんも松尾さんもとても気さくだったので、それ以上に楽しかったです。(佐藤)

 どうして漫画で戦争を伝えるのか。それは、今回取材した方々が強い使命感を持たれているからだと思います。私たちはその気持ちをしっかり受けとめて「漫画」という面から戦争についてしっかり学ぶべきだと思いました。(斉藤)

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