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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] コロナ下 中高生の慰霊のカタチ

 今年8月は、広島と長崎が原爆の被害を受けてから75年の節目となりました。いろんな場所で慰霊(いれい)の行事が予定されていましたが、新型コロナウイルスの感染拡大を防止するため、多くが中止になりました。一方で、さまざまに工夫しながら実行された行事もありました。それらに参加した中国新聞ジュニアライターの中学生と高校生が報告します。

折り鶴パネルささげる

祇園東中

 祇園(ぎおん)東中(広島市安佐南区)では、私を含(ふく)めた生徒会執行部(しっこうぶ)の14人が中心になって折り鶴アートパネルを作り、原爆の子の像(中区)の折り鶴ブースにささげました。

 毎年7月、祇園東中は原爆の子の像の碑前祭(ひぜんさい)に参加していますが、今年は中止になりました。その代わりにできることを、みんなで考えました。

 執行部で決めた作品のテーマは「つながる」。今、新型コロナの影響(えいきょう)で行動は難しいですが、みんなが一つの気持ちになって乗り越えよう、という気持ちも込めています。テーマを基に、私が下絵を描きました。原爆ドームと長崎の教会の「アンジェラスの鐘」をピンクのリボンでつなげました。

 全校生徒が折った鶴を、下絵に貼(は)り付けていきました。折り鶴に込めた一人一人の平和への思いが集まって、すてきな作品になったと思います。同じ作品を2枚仕上げ、もう1枚は来年3月の修学旅行で長崎の平和公園に納める予定です。(中2俵千尋)

328人の命 校内で追悼

安田女子中高

 安田女子中高(中区)で8月6日に慰霊祭があり、原爆で亡くなった生徒・教職員たち328人を追悼(ついとう)しました。今年は、参列者を代表生徒と同窓生たち約30人に制限し、ほかの生徒は教室のテレビ画面を通して慰霊祭を見ました。

 生徒全員で折った千羽鶴を原爆慰霊碑(いれいひ)にささげました。また、事前に生徒一人一人が平和への思いを50字でつづっており、その中から学年ごとに選ばれた文章が朗読されました。「戦後75年 今ある日常を当たり前だと思ってはいけない。75年前の戦争を私たちは忘れてはならない」と誓う言葉が印象的でした。

 原爆が落とされた当時の校舎は、爆心地から1・4キロにあり全壊(ぜんかい)しました。私は、クラスメートを失った同窓生の被爆者の証言を思い出しながら、慰霊祭の司会をしました。教室で中継を見た高1の斐品未優(ひしな・みゆ)さん(16)は「コロナ禍で規模は縮小されても、犠牲者に思いをはせる機会になった。広島の私たちが戦争の悲惨(ひさん)さを発信していきたいと思った」と話していました。(高1岡島由奈)

自前の平和宣言 TV集会で共有

吉島中

 私の通う吉島中(中区)は学区内に平和記念公園があります。平和学習の中で、生徒は核兵器の恐(おそ)ろしさと平和の大切さを伝えることを学びます。

 7月下旬、生徒と教職員合わせて約530人が心を込(こ)めて折った千羽鶴を、生徒会が公園内の原爆の子の像にささげました。鶴を折りながら回復を願い、白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんのことを思う、大切な行動です。

 8月6日は、生徒会で平和宣言を作り、各教室で中継(ちゅうけい)されたテレビ集会で共有しました。「75年前に起きた悲劇を後世に伝えよう。違(ちが)いを認め、助け合い、身近な人を大切にしよう」という内容です。

 中村雅俊校長は、平和学習を通して「なぜ戦争が起きるのか考え、広島から平和の尊さを世界に発信してほしい」と話していました。私は、被爆者の経験をできる限り受け継(つ)いでいきたいと思います。(中1相馬吏子)

今後の活動 ネットで討論

ユースラボ

 広島原爆の日の6日、若者がオンラインで意見交換(こうかん)する「被爆75年ユースラボ」に参加しました。長崎の「高校生平和大使」2人をゲストに迎(むか)え、全国の高校生や大学生計14人が、平和活動をどう進めていくべきか話し合いました。

 参加者からは、平和活動の中で「核兵器は必要」と言われたり、周囲から冷めた視線を感じたりするという悩(なや)みが出ました。「戦争をした日本こそ平和の大切さを訴(うった)えるべきだ」という考えでまとまり、引き続きオンラインを使って関心の低い人たちにも呼び掛(か)けようと話しました。

 被爆体験の継承(けいしょう)も課題です。被爆建物を後世に伝えていくことも大切ですが、一部解体案が問題になっている南区の「旧陸軍被服支廠(ひふくししょう)」は全国的には知名度が低いことが分かりました。長崎でも姿を消そうとする被爆遺構があるそうです。県民を巻(ま)き込(こ)んで広く議論することを願います。(高3庄野愛梨)

「平和の鐘」の前 思いをスピーチ

広島ユネスコ集会

 平和記念公園の「平和の鐘(かね)」には、「国境のない世界地図」が刻まれ、地球は一つというメッセージが込(こ)められています。その鐘の前で、広島ユネスコ協会が終戦の日の15日に開いた集会に参加しました。

 被爆者や高校生たち約40人が集まりました。「多くの人々の強い意志と行動によって、日本は75年間戦争をしていない。未来をつくる私たちが被爆者の思いを受け継(つ)がなければならない」と私もスピーチしました。

 最後に全員で黙(もく)とうをしました。例年はそれぞれ鐘を突(つ)きますが、今年は感染拡大を防ぐため取りやめに。それでも自分にできることをしようと誓(ちか)い、戦争や貧困のない平和な世界の実現を願いました。(高2柚木優里奈)

事前学習しアピール文

子ども平和会議

 テレビ会議システムで8日に開かれた「オンライン子ども平和会議」(日本生活協同組合連合会など主催(しゅさい))に参加しました。全国の小学生から大学生までが「戦争や核兵器の使用など、争いごとをなくすために私たちができること」をテーマに交流しました。

 私は議長を務めました。参加者は、事前に自分が住む地域の戦争や空襲(くうしゅう)の被害について調べた上で、「被爆者から体験を聞く」「戦争の悲惨(ひさん)さや恐ろしさを次の世代につなげる」などの意見を出し合いました。そして、関心を持つ▽行動する▽オンラインを利用して会員制交流サイト(SNS)などで発信する、の3項目(こうもく)からなるアピール文を作りました。

 子ども平和会議は毎年広島と長崎で開かれていますが、今年はオンライン開催でした。それでも平和について考え、世界中の人とも討論できる、と実感しました。(高3及川陽香)

(2020年8月31日朝刊掲載)

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