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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 平和公園の施設 どんな仕事

被爆の記憶 つなぎたい

 平和記念公園(広島市中区)には、原爆の被害や平和の大切さを発信する二つの公共施設(こうきょうしせつ)があります。「原爆資料館」と、「国立広島原爆死没者追悼平和祈念館」です。普段は多くの市民や観光客が訪(おとず)れますが、新型コロナウイルス感染防止のため、現在は臨時休館中(りんじきゅうかんちゅう)です。中国新聞ジュニアライターは、休館前にそれぞれの施設で働く人たちを取材しました。どのような思いを持ち、苦労をしながら仕事をしているのでしょうか。

原爆資料館

実態に迫る展示や保存 「資料寄贈 遺族の思い受け止める」

 原爆資料館の学芸課は、資料の専門家である学芸員8人を含む職員が、被爆資料の保存や展示(てんじ)を担当(たんとう)しています。学芸員の落葉裕信さん(43)と土肥幸美さん(33)が、仕事の内容や思いを語ってくれました。

 寄贈(きぞう)される資料の多くは、原爆で犠牲(ぎせい)になった人たちの遺品(いひん)です。家族が自宅で長年保管した後、後世に残してほしいと資料館に託(たく)します。学芸員たちは、持ち主の被爆当時の状況や、遺族の気持ちを丁寧(ていねい)に聞き取って記録しています。土肥さんは「大切な形見を手放す覚悟(かくご)と、二度と繰(く)り返されてはいけないという願いをしっかり受け止めます」と話しました。

 展示ケースに入ったぼろぼろのブラウスを前に「せめて姉に恋をさせてあげたかった」と涙ぐんだ高齢男性もいたそうです。土肥さんは、その姿を見て、資料館は遺族にとって「追悼(ついとう)の場」でもあると感じたといいます。

 資料の保存は、被爆前の広島の街並みや被害を伝える上で大切な取り組みの一つです。被爆した衣服や日用品は壊(こわ)れやすく、外に出したままにしておくと劣化(れっか)が進みます。そのため、展示ケースの中に湿気(しっけ)を調整する調湿剤を入れたり、レプリカを作ったりしているそうです。

 しっかりと見てもらえる展示にするよう考えることも、重要な作業です。落葉さんは、本館のリニューアルで展示資料を選んだ担当者の一人。説明文を短くしたり置き方を工夫したりしました。来年2月23日まで開いている被爆75年の企画展も担当しました。初代館長の長岡省吾さんが集めた熱で変形したビール瓶(びん)や、放射線量の調査資料などを並べています。「被爆の実態(じったい)を伝え続けるのが原爆資料館の原点です」と力を込めました。

 学芸員たちは、臨時休館中も資料の整理や調査を進めています。土肥さんは「多くの人が足を運べるようになる日を心待ちにしています」と話していました。

 原爆資料館(広島平和記念資料館) 1955年に開館。2017年に東館、19年に本館がリニューアルオープン。本館は常設展示に実物資料299点をはじめ原爆の絵や写真など計539点を並べています。学芸課のほか、啓発課があり、被爆者の証言活動をサポートしたり平和学習講座を開いたりしています。

追悼平和祈念館

遺影・証言 掘り起こす 「核兵器への危機感抱いて」

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館は、原爆死没者の遺影(いえい)や、体験記を保管しています。学芸員の橋本公さん(61)たちの仕事は、遺影や体験記の収集・執筆補助(しっぴつほじょ)、企画展の開催(かいさい)などさまざまです。

 企画展は年に1回。来年2月末まで、反核と平和を訴えた画家、故四国五郎さんに関する展示をしています。五郎さんの弟、直登さんが被爆し、18歳で亡くなる間際まで書き続けた日記を基にした約30分の映像を流しています。

 橋本さんたちは、映像の台本を考えるために、関連する資料を読み込んだり、家族に会ったりしたそうです。橋本さんは、直登さんが被爆後に自宅を目指して歩いた道のりを実際にたどりました。「テーマにした人物の気持ちや、家族の思いに寄り添(そ)った内容にした」と話しました。

 被爆体験記の執筆補助は、職員が被爆者から直接証言を聞き、代わりに字に起こします。橋本さんは最近、93歳の女性の体験を聞き取りました。女性の言葉を引用しながら、目の前で話しかけてくるような文章にまとめています。

 現在、祈念館で登録している遺影は約2万人分。今年の夏、関心を持ってもらおうと、ホームページを新しくしました。「亡くなった家族や友人の生きた証しを残してほしい」と登録を呼び掛(か)けています。

 若者へのアプローチも欠かせません。小学生がクイズに答えながら館内を巡(めぐ)る手作り感あふれる学習ワークブックを作りました。「戦争をやめようと大きな声を上げるだけでは、来館者の心に響(ひび)かない」と橋本さん。「多くの核兵器が存在する現状を知り、危機感を抱(いだ)いてもらうためにどのような展示や取り組みが必要なのか、試行錯誤(しこうさくご)しています」

 国立広島原爆死没者追悼平和祈念館 国が2002年に開館。広島市の外郭団体の広島平和文化センターが、国からの委託で運営しています。12月1日時点で約14万7600編の被爆体験記と、約2万4200人分の遺影を登録しています。

私たちが担当しました

 この取材は、高3伊藤淳仁、川岸言織、高1桂一葉、中3中島優野、中2田口詩乃、俵千尋、山瀬ちひろ、中1吉田真結が担当しました。

(2020年12月28日朝刊掲載)

~原爆資料館の取材~

 これまで原爆資料館を取材した時は、被爆したものや体験記に注目して記事を書いていました。今回、学芸員のお二人を取材して、遺品を寄贈してもらった時、遺族から話を聞いて展示パネルを作っていることを初めて知りました。企画展のアイデアも常に考えていて、普段から平和について関心を持っているのだと思いました。いつもと違う視点で取材をすると新しいことが見えてくるのだと分かり、これから特集の企画を考えるときには違う視点からも考えてみようと思いました。(高1桂一葉)

 今まで学芸員という仕事を意識することはなかったのですが、今回取材をさせてもらい、記憶を継承するための大切な仕事だと感じました。資料だけでなく、寄贈された方の体験や思いまでを残すことで、「ただの物」ではなく「生きた物」として私たちが見ることができるのだと思います。何気なく見ていた資料は、実は陰の努力のもとにあったのだと知り、新たな視点で資料館を見て回りたいと思いました。(中2田口詩乃)

~追悼平和祈念館の取材~

 私が今回の取材で印象に残ったのは、企画展「時を超えた兄弟の対話」の映像の中で語られていた8月6日前後の広島の様子でした。今まで多くの被爆者や関連する施設を取材してきましたが、見てきたものは原爆の恐ろしさを感じることのできないようなものが多く、理解することはできても、想像することができませんでした。しかし、日記として、1人の被爆者として、原爆が落とされ、その後どうなったのかを詳細に日記に書かれているのを知って、初めて「原爆は怖い」と思いました。私たちは、あの日を体験していませんが、想像することはできます。これからも原爆によって人々がどうなってしまったのか、何を思っていたのかを考える機会を増やしていきたいです。(高3川岸言織)

 橋本さんは、学芸員という仕事をする中で「この先に誰がどんな風に見るのかどう感じるのかを考えることが大切だ」と話していました。それは、ジュニアライターとして活動する際にも大切なことだと思います。橋本さんたちが作った子ども向けの冊子を手に取った時、ただ伝えるだけではなく、届けたい相手に分かりやすく伝えることの大切さも学びました。(高3伊藤淳仁)

 橋本さんは、企画展の映像を作る際に当時の様子をリアルに再現したいと考えて、使っていた道具を探したり、見る人が分かりやすいようにホームページをリニューアルしたりして工夫していると話しました。見ている人がどう思い、感じるかを考えながら働いていることが印象に残りました。このお話を聞き、思い返してみると、映像の左右に写真や絵、現在の様子などが映し出され、ホームページは祈念館で何ができるのかが一目で分かるように配慮されていることに気付きました。そのような工夫があることによって、私は四国五郎さんや祈念館について興味を持ったことに気づきました。今回、相手の視点を頭に入れておくことによって、見る人が分かりやすく考えてもらいやすいものができることを実感しました。私もこれから相手の事を考えて行動するようにしていきたいと思いました。(中3中島優野)

 私は今回の取材で、橋本さんが「平和についての仕事をするようになってから、どうしたら来館者に平和や戦争について知ってもらえるか、よく考えるようになった」と話していたのが印象に残りました。私が今まで見てきた資料館の展示物やイベントの裏では、学芸員さんをはじめ、たくさんの人が来館者に平和についてもっと知ってもらおうと努力していることを知りました。私もこれからライターとして、平和についてたくさん発信していきたいと強く感じました。(中2俵千尋)

 私は祈念館の存在は知っていましたが、学芸員さんのことは知りませんでした。今回取材で初めて学芸員さんの仕事を詳しく知り、仕事量がとても多く大変な仕事だなと感じました。自分は戦争を体験していないけど被爆者に話を聞き、分からないことは徹底的に調べて見に来てくださる方に伝えたい。ここまで大変な仕事だとは想像していなかったのですごいなと思いました。私も人に原爆のことを伝える側なので被爆者の方の話をしっかり聞いて分かりやすい記事をかけるようにがんばりたいと思いました。(中2山瀬ちひろ)

 私は映像の最後に出てきた、四国五郎さんが描いた母子像が最も印象に残りました。母子像には弟の命を奪った原子爆弾への怒りと、母と子の強い愛が込められています。私は母の悲しみに耐え、強く生きると心に決めたような美しい目から、そこに込められた感情の重さを感じました。そして、そう感じたからには、私がその思いを受け継がなければならない、平和な世の中を実現しなければいけないと強く思いました。私と同じように感じてくれる人を増やすために、もっと多くの人に四国五郎さんの物語と母子像を伝え、広めていきたいです。(中1吉田真結)

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