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ジュニアライター発信

『ジュニアライター発』 被爆者の篠田さんに聞く 病乗り越え体験伝える

 同じ高校の大先輩から被爆体験を直接聞く機会は、とても貴重(きちょう)です。13歳で被爆し、後に安田女子高で学んだ篠田恵さん(89)=広島市中区=と会いました。

 篠田さんは、最初に広島女子商業学校(現広島翔洋高)に入学しました。2年生だった1945年8月6日、体調が優(すぐ)れず建物疎開作業を休み、爆心地から2・8キロの自宅に母、弟の晴樹ちゃんといました。石うすを借りに来た近所の女性に、弟がいり豆を差し出した瞬間(しゅんかん)、ドーンと音がしました。その後、真横で火の手が上がりました。

 「恵ちゃん」と呼ぶ母親の声でわれに返ります。母と弟は大やけどで、篠田さんも傷を負いました。いったん市内の伯母の家に行って助けを求め、自宅に戻ります。その帰り道で、髪や服が乱れ、皮膚(ひふ)が焼けただれた人たちと遭遇(そうぐう)しました。「地獄(じごく)に迷(まよ)い込んだんじゃろうか」。怖(こわ)くて顔を上げずに歩いたそうです。

 市中心部に出勤(しゅっきん)していた姉の幸代さんは、帰ってきませんでした。弟は約2カ月後に亡くなりました。

 戦後、篠田さんは皮膚病に苦しみ女子商を退学。2年遅れて安田女子高に入りました。「勉強で同級生たちに付いていくのが大変だったけれど、洋裁(ようさい)は得意だった」と目を細めて振(ふ)り返る姿が印象的でした。

 11年前に膵臓(すいぞう)がんを患(わずら)い、手術後に証言活動を始めました。「若い人が記憶を受け継いでくれるのはうれしい」。病を乗り越えて戦争や原爆の悲惨(ひさん)さを訴(うった)え続ける篠田さんを見習い、国内外へ被爆者の思いを発信する人になりたいと思いました。(高2岡島由奈)

(2021年5月17日朝刊掲載)

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