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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 祈りの日 思いは同じ 中高生が伝える8・6

 76年前、広島と長崎に原爆が落とされ、多くの市民が犠牲(ぎせい)になりました。今年も新型コロナウイルスの感染拡大は収まらないままですが、広島市内や周辺で、対策をとりながら慰霊(いれい)行事が実施されました。若い世代の高校生が企画(きかく)したオンラインの催しなどもありました。中国新聞ジュニアライターの中高生は、自分たちの学校であった「原爆の日」の行事などを取材しました。

メッセージ展

平和への願い 作品で発信

 広島平和文化センター主催(しゅさい)の「子どもたちの平和のメッセージ展」が、広島市中区の平和記念公園で開かれました。例年この日に開く「ひろしま子ども平和の集い」が、新型コロナウイルスの影響で中止になった代わりで、昨年に続き2回目です。

 茨城(いばらき)や長野など17都府県から59の小学校やグループによる手作りのメッセージパネルを展示しました。修学旅行で広島に来ることができなくなった学校も参加しています。カルタや歌を作って紹介(しょうかい)したり、それぞれが考える平和を英語で書いたりしていました。

 ジュニアライターも原爆ドームと伝書(でんしょ)バトをモチーフにした作品を出展しました。25人が平和への思いを折り紙に書いて貼(は)り「被爆者の体験を伝えていく」という決意を込(こ)めました。

 広島市立広島商業高は、姉妹校の長崎市立長崎商業高と作品を作りました。「平和」という文字をカラーセロハンでステンドグラス風に表現していました。長崎側がアイデアを出し、広島側の2年生6人が2週間かけて作りました。広島市商の古谷菜々実さん(17)は「完成した時、達成感があった」と喜んでいました。

 広島平和文化センターの阪谷文子さん(53)は「同じ場に集まることができなくても、この日に広島から発信すれば思いが届くと思う」と話しました。(高2桂一葉、四反田悠花、中2小林由縁)

流灯式

川面照らす 非核の誓い

 毎年8月6日の夕方、原爆ドーム(広島市中区)を流れる元安川で犠牲(ぎせい)者を慰(なぐさ)める「とうろう流し」が行われますが、新型コロナの影響(えいきょう)で、昨年に引き続き一般(いっぱん)の人たちの参加は中止になりました。私は、広島市のとうろう流し実行委員会の関係者による「流灯式(りゅうとうしき)」に参加しました。

 平和や慰霊(いれい)の思いがこもった赤や黄の灯籠(とうろう)を手に、13人の代表者が元安川親水テラスに並びました。「広島 愛の川」の合唱とともに流灯式が始まります。代表者は、護岸から見守る市民の思いも胸に「NO NUKES(ノー ニュークス)」などと書かれた12基を川へ流しました。

 私はピンクの紙に「ヒロシマの記憶を受け継ぐ」と書きました。被爆者の肉声を聞き、被爆体験を自分ごとと捉(とら)え、後世へつなげていくことこそが核廃絶につながると信じているからです。

 例年のように多くの人が灯籠を流す姿を見ることができないのは、とても寂(さび)しく感じました。来年こそ、実施(じっし)されることを願っています。(高2岡島由奈)

学校で集会

伝承者の講話 胸に刻む

 私の通う船越中(広島市安芸区)では、8時15分に黙(もく)とうし、教室のテレビで平和記念式典を視聴(しちょう)しました。その後、全校生徒177人が体育館に集まり、広島市の被爆体験伝承者の永原富明さん(74)の講話(こうわ)を聞きました。

 永原さんは、2015年から活動しています。今年4月に亡くなった被爆者の岡田恵美子さんと、永原さんのお父さんの被爆体験を話してくれました。

 8歳で被爆した岡田さんは、原爆投下後にけが人が「助けて」としがみついてきたことが生涯(しょうがい)記憶に残ったそうです。山に登り、火の海となった広島の町を見て衝撃を受けたため、戦後も山に登りたくなかったそうです。

 永原さんは「核兵器は持ってはいけない。自分の身近なところから平和をつくるのが大切」といいます。気持ちを込めて話してもらい、心に残りました。戦争を知らない私たちが原爆のことを伝えていくためにも、聞く人の心に響くよう工夫したいと思います。(中1山下裕子)

追悼礼拝

記憶の継承 私たちも

 広島女学院中高は6日、オンラインで平和記念礼拝を行い、原爆で犠牲(ぎせい)になった生徒、教職員約350名を追悼しました。私たち生徒は自宅で賛美歌(さんびか)を歌い、祈りをささげました。

 聖書科の金信美幸先生が、76年前のあの日の校内の様子について話しました。礼拝後、学校にいた生徒144人が教室に戻(もど)る途中で原爆がさく裂。即死した生徒のほか、多くが倒壊した礼拝堂(れいはいどう)の下敷(したじ)きになり火の手にのまれました。生き残った人も「助かってよかったと思えない。友を見捨てた」と心の痛みが残っていると話したそうです。先生の父も被爆者で「二度と原爆を落としてはいけない」と語ったと教えてくれました。

 高校1年の先輩(せんぱい)は生徒追悼(ついとう)の言葉で「原爆は人々の命だけでなく心や未来をも奪(うば)った」と語り、「私たちができるのは被爆者の痛み、苦しみを伝えていくこと」だと誓(ちか)いました。

 礼拝に参加して、普通(ふつう)にある未来を戦争で消されることが二度とないように起きたことを伝えていく、そして今の自分なら何ができるのか考えながら生きていきたいと思いました。(中3山瀬ちひろ)

(2021年8月17日朝刊掲載)

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