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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 核実験・核被害 考える

 「広島は人類最初の被爆地」「長崎を最後の被爆地に」といった言葉をよく耳にします。本当にそうなのでしょうか。爆発を伴(ともな)う核実験は、これまでに2千回以上も行われています。実験はもとより、核兵器を開発するいろんな過程で、たくさんの核被害が生まれています。戦争中の問題というだけでなく、現在の深刻な人権問題でもあります。中国新聞ジュニアライターは、世界各地での核実験をテーマに取材しました。

専門家に実態を聞く

世界各地 先住民も脅かす

 「私たちはなぜ、世界の核被害(ひがい)に目を向けなければならないのでしょうか」。世界の核実験被害に詳しい明星大教授の竹峰誠一郎(たけみねせいいちろう)さん(45)を取材すると、こう問いかけられました。

 広島の原爆製造には、アフリカのコンゴ(旧ザイール)で採掘(さいくつ)されたウランが供給されました。第2次世界大戦中、米国はニューメキシコ州にあるロスアラモスで原爆開発を研究し、ワシントン州のハンフォードでプルトニウムの製造を進めました。広島に原爆を落とす3週間前、ニューメキシコ州で人類初の原爆実験を行いました。

 しかも、広島と長崎は「始まり」でした。すべてのプロセスで、人々が放射線を浴びて被曝(ひばく)しています。米国と旧ソ連(ロシア)が競って核兵器を造り、大気圏や地下で核実験が繰(く)り返されました。英国、フランス、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮が続きました。

 核兵器を持ったり維持(いじ)したりするために実験が行われています。今、9カ国が約1万3千発を持っています。竹峰さんに促され、実験場の場所を世界地図で見てみると、あることに気付かされます。首都から離(はな)れた場所や先住民が暮らす地域や植民地が多いのです。フランスはアフリカ・アルジェリアの砂漠や南太平洋の仏領ポリネシア、英国はオーストラリアの砂漠(さばく)などで実験しました。

 核実験で大気中に放出された放射性物質はジェット気流に乗り世界に広がりました。「地球全体が被曝している」。そう語る竹峰さんは、世界の核の被害者を「グローバルヒバクシャ」と呼んでいます。

 昨年発効した核兵器禁止条約は、核実験も禁止しています。前文には「核兵器の使用による被害者(ヒバクシャ)と核実験によって影響を受けた人々にもたらされた受け入れ難い苦しみと危害に留意する」「核兵器に関わる活動が先住民に与えたとりわけ大きな影響を認識する」とあります。

 核兵器問題は、広島と長崎だけでなく地球に暮らすみんなの問題です。

マーシャル諸島の核実験

大量の「死の灰」 日本漁船も被曝

 1200余りの島々に約6万人が住む中部太平洋の国マーシャル諸島では、米国が1946~58年に計67回の原水爆実験を繰り返しました。竹峰さんは何度も現地で住民に聞き取り調査をしています。

 14年から44年までは日本の統治下に置かれ、太平洋戦争中は一部の島民が激戦に巻き込まれました。今でも「アミモノ(編み物)」「ニカイ(2階)」などの単語が使われています。

 日本の敗戦後、米国の信託統治領になると、今度は米国が島民から土地を奪ってビキニ環礁(かんしょう)とエニウェトク環礁に核実験場を設けました。特に知られているのが、54年3月1日のビキニでの水爆実験「ブラボー」です。広島原爆の約千倍もの威力(いりょく)で大量の「死の灰」(放射性降下物)を降らせました。日本のマグロ漁船、第五福竜丸(だいごふくりゅうまる)の乗組員も被曝し、無線長の久保山愛吉(くぼやまあいきち)さんが亡くなりました。

 高知県などからもたくさんの漁船が来ていました。日本に持ち帰った魚の放射能汚染が大問題になりました。第五福竜丸の船体は現在、東京の第五福竜丸展示館に展示され、当時を伝えています。マーシャル諸島と日本はさまざまにつながっています。

文化や伝統 奪われた

ビキニ環礁 歴史知る住民に聞く

 ビキニ環礁の歴史を知るのが、首都マジュロに近いエジット島に住むアルソン・ケレンさん(54)です。マーシャル諸島政府の「核委員会」委員長です。オンラインで取材しました。

 ケレンさんの祖父たちは代々ビキニで伝統的な生活を送っていましたが、広島と長崎に原爆が落とされた翌年の1946年、米国の核実験場になることが決まり、移住させられました。その後も強制移住は繰り返され、無人島だったキリ島に行き着きました。ケレンさん自身はクワジェリン環礁で生まれました。どの移住先でも食糧(しょくりょう)不足に苦しみました。「珊瑚礁(さんごしょう)が輪のように連なり、波も穏やかな環礁と、キリなど太平洋の荒波(あらなみ)にさらされる孤島(ことう)はあまりに違(ちが)った」

 68年、米国が「放射能汚染はもうない」とビキニへの帰還(きかん)を許可しました。ケレンさんは6歳だった74年、家族でビキニに渡ります。伝統のカヌーで魚を捕(と)り、ココナツを採(と)る自給自足の生活です。しかし放射能汚染は続いていました。78年に再び避難(ひなん)させられ、キリ島を経てエジット島へ移り、現在に至ります。

 現在も人々ががんや甲状腺(こうじょうせん)の病気などで苦しんでいるそうです。「米国からの補償(ほしょう)は全く十分ではない」。さらに、先祖から受け継いだ土地を追われ、文化や伝統までもが奪(うば)われました。被害は健康にとどまらないのです。「核被害は人権の問題」と強調します。

 ケレンさんは「もうビキニに戻れる日は来ないだろう」と言います。「でも、若い人には歴史を通じて希望を与えたい」とカヌーを造る方法や乗り方を教えています。「ビキニの人はマーシャルで一番のカヌー名人」と胸を張ります。

 広島の私たちに伝えたいことを聞きました。「核被害の体験者と若い世代が、核をなくす思いを同じくして活動してほしい」。マーシャルの若者は、学校などで核実験の被害を学び、受け継いでいるそうです。米国の責任も問うています。

 さらに「地球温暖化という『もうひとつの核実験』もある」と付け加えました。島国は海面上昇(じょうしょう)の影響を直接受けます。エニウェトク環礁には核爆発でできた巨大な穴に米国が汚染された土や廃棄物(はいきぶつ)を集めてコンクリートで密封(みっぷう)した「ルニットドーム」があり、ひび割れや海への流出が心配されています。小さな島国が、地球規模の問題を誰よりも知っているのです。

セミパラチンスクと連帯

広島から支援・交流

 広島の市民団体「ヒロシマ・セミパラチンスク・プロジェクト(ヒロセミ)」は、旧ソ連がカザフスタンで行っていた核実験の被害(ひがい)者を支援(しえん)し、交流しています。世話人代表の佐々木桂一(ささきけいいち)さん(68)に聞きました。

 旧ソ連は、1949年8月29日にセミパラチンスク(現セメイ)で最初の核実験をしました。約40年間で456回を数えます。91年にソ連がなくなってカザフスタンが独立し、核実験場は閉鎖(へいさ)されましたが、周辺住民は今も放射(ほうしゃ)線による健康被害に苦しんでいます。

 被害者を助けようと98年にヒロセミが設立されました。医療(いりょう)機器を提供(ていきょう)したり、留学生を受け入れたりしてきました。佐々木さんは「広島は被爆後、国内外から物資や医療の支援を得て復興した。その恩返しです」と話します。

 国連は、核実験場が閉鎖された8月29日を毎年「核実験に反対する国際デー」としています。この日に合わせ、ヒロセミは元留学生たちとオンラインで交流する集いを開きました。2000年に山陽女学園高等部(廿日市市)に留学したトルコ在住のアケルケ・スルタノワさんは「広島で培った平和を思う気持ちが今も続いている」と話していました。

 佐々木さんは「核兵器がある状態は平和ではない。被害者と連帯し、悲劇(ひげき)をなくすため行動していく」と語ります。私(わたし)たちも、まずは身近な人たちに核兵器の問題を発信する行動をしたいです。

私たちが担当しました

 この取材は、高3桂一葉、佐田よつ葉、高1山瀬ちひろ、田口詩乃、中3森美涼、中野愛実、谷村咲蕾、中1佐藤那帆が担当しました。

(2022年10月24日朝刊掲載)

[取材を終えて]

 私は今まで、第二次世界大戦が終わった後の核兵器がどうなっているのかなどあまり考えていませんでした。しかし戦争が終わった後も、核兵器はつくられつづけ続け、世界中でヒバクシャが増えつづけたと知り、核兵器が存在すること自体、原爆が投下されたことと同じだと考えるようになりました。核兵器は実際の戦争で使われていなくても、多くの人が被害を受けます。

 また、地球上のあらゆる問題がつながっているとも実感しました。例えば核実験の背景には、人種差別があり、核保有国は立場の弱い植民地や先住民の住んでいる場所などで核実験を繰り返してきました。さらに地球環境の問題にもつながっています。核実験などで出た放射性物質は風に乗り、世界じゅうへ影響を及ぼします。こうした事実を知り、差別や環境の問題を解決しようと行動することも、核兵器廃絶につながるのだと思いました。

 今回の取材では、核の危険性を再認識したと同時に、武力や核抑止で平和を保つのではなく、話し合いなどの手段を使って地球規模の問題を解決する重要性をあらためて確認できました。(高3桂一葉)

 被爆地の広島・長崎だけでなく、核実験の被害地にも目を向けることで「核兵器」という課題を、より立体的に捉えることができた。核兵器はグローバルな問題であり、平和学習を被爆地だけに留めず、核実験により生活を脅かされている世界じゅうの人々にも注目することで、新たな視点を得られることが分かった。

 これまで私は、核がもたらす被害について、広島・長崎の被爆の様相がその全てであると限定的に捉えていた。しかし核実験によって健康や土地を奪われたマーシャル諸島の人々の被害について学び、目には見えない放射線よる被害や心の傷まで正確に理解することの重要性を知った。

 また明確に定義しきれないほどの核実験の被害にどう対処するかや、核の廃棄の問題など、人類の未来に向けて課題が山積みであることも痛感した。

 今回の取材を踏まえ、核問題に対して被爆地のミクロな視点だけではなく、問題を世界規模で捉えるマクロな視点を持って情報の受信、発信を行いたい。(高3佐田よつ葉)

 世界の核被害について話を聞くなかで、広い視野で核の問題について考えられるようになったと感じた。

 今までは、原爆によって街がどうなったのか、被爆者の方の健康がどう脅かされたのか、人々の生活がどうなったのかといったことしか見えていなかった。

 核被害は、核兵器をつくるための実験や、原料となるウランやプルトニウムを得る段階でも起こっている。長崎に原爆が投下されて以降、実戦で核兵器は使用されていないが、それは長崎以降に核被害がもたらされてないということではない。

 また、核実験により放射性降下物は風に乗って、世界中に運ばれている。つまり、地球それ自体が被曝しているとも言えるのだ。核の被害は過去のこと。核実験が行われていない地域は関係がない。そうした考えは通用しないのだとわかった。

 核が地球上にあるということは、どこかで被害が起こっているということ。世界全体の問題として私たち一人一人が考える必要があると感じた。核兵器をなくすため根本的な問題に目を向け、解決していくことが必要だと感じた。(高1田口詩乃)

 竹峰さんを取材した中で、最も印象に残った言葉は「核の苦しみは目に迫ってくるものだけではない。目に見えないところにこそ本当の苦しみがある」という言葉です。マーシャル諸島などの核実験による被害に苦しむ地域に実際に足を運んでいる竹峰さんだから言える言葉だと思いました。

 核実験で被曝した人々は、体の傷と同じくらいの心の傷を負っていると話されたのを聞いて、原爆の被害を受けたヒロシマの被爆者の姿と重なりました。

 私はこの取材の前までは、核兵器による被曝(ひばく)は、ヒロシマが初めてだと思っていました。しかし、その原爆を作るためには、ウラン採掘や核実験などがあり、その犠牲になった人もいることを知りました。

 マーシャル諸島は日本から離れていますが、話を聞いてとても身近に感じました。今回の取材を通して、核を持ち続けるということは、「ヒバクシャ」を生み出し続けることと同じだと分かりました。

 核がなくなったとしても、土地を奪われたり心身に傷を負ったりしたヒバクシャたちの「本当の苦しみ」はずっと残り続けることも知り、あらためて核や核実験の恐ろしさを感じました。(中3中野愛実)

 竹峰さんに核実験の実態について教わったことで、新たに見えてくることがありました。核実験の影響で日本にも放射性降下物が降っていたり北極の氷にも影響していたり、落とされた場所にとどまらず、世界中に影響があることを初めて知りました。

 あらためて核実験がいかに危険な行為であるかを理解し、ヒロシマ・ナガサキ以外にも核実験で被曝された方がいるという考え方、「グローバルヒバクシャ」についてより深く考えることができたと思います。

 「みんながヒバクシャになるからこそ、核兵器は真の安全保障にはならない」。国境を越える視野を持ち、核実験を地球規模の問題にするということに行きつくこの言葉は、これから大切になると感じました。

 また、竹峰さんは、マーシャル諸島やカザフスタンで行われた核実験を「悲惨な出来事だった」という認識だけで終わって本当によいのか、と話していました。私は、その問いを聞き、悲惨な出来事として知るだけでなく、「核兵器をなぜなくす必要があるのか」の根拠として伝え、行動するべきだと思いました。(中3谷村咲蕾)

 竹峰さんは、北極海の氷からも放射能が検出されたことなどから「地球全体が被曝しているとも言える」と話していました。世界で繰り返された核実験によって、私たちも知らないうちに被曝しているかもしれないということに恐怖を覚えました。しかし自分も「ヒバクシャ」の1人であると思うことで、核廃絶に向けた活動がより身近になると思いました。

 また広島に原爆が投下される前にアメリカのトリニティ核実験場で実験が行われており、そこでも被害を受けた人がいることを知りました。私たちは、広島・長崎の出来事を語ると同時に、トリニティなど核兵器を開発の過程で生まれた核被害についても学び、発信していかなければならないと強く思いました。

 世界でこれまでに2千回以上もの核実験が実施されたということは、被曝をして苦しんでいる人がそれだけたくさんいるということです。

 広島・長崎の被爆者は、身体だけでなく、心にも大きな傷を抱えています。私たちは、過去に犯した過ちを認め、世界中にいる核被害者(ヒバクシャ)に手を差し伸べる勇気を持つ必要があると思いました。(中3森美涼)

 私はこれまで学校や取材を通じて平和学習をしてきました。そこでよく耳にしたことは、ヒロシマ・ナガサキが「人類最初の核兵器による犠牲者」「日本は唯一の被爆国」だということです。私もそう思っていました。しかし、今回の竹峰さんのお話を聞いて考え方が変わりました。

 竹峰さんが米国ニューメキシコ州のロスアラモスに訪れた時、現地の女性から「ヒロシマ・ナガサキが最初の犠牲者だというのは誤りだ」と言われたそうです。ロスアラモスは米国の核開発を担う場所です。ロスアラモスは、直接原爆が使用されたヒロシマ・ナガサキとは違いますが、製造過程でもヒバクシャが生まれます。

 広島で直接原爆に遭っていなくても黒い雨を浴びた人々が「被爆者」だと訴えているように、核兵器開発の過程で放射線被曝した犠牲者がたくさんいることに、今回の取材で気付くことが出来ました。

 今まで原爆については学習をしてきましたが、核兵器という広い視点で考えたことがありませんでした。核実験などの核兵器開発によって世界中に被害が広がっていることは、まだ知らない人が多いと思うのでもっと学習し、周りの人に伝えられるようになりたいです。(中1佐藤那帆)

アルソン・ケレンさんを取材した感想

 核実験による影響は人体だけではなく文化などにも影響することを知りました。今まで健康への影響は沢山学んできました。しかし、その土地独自の文化も一緒になくなってしまうのです。アルソンさんたちは、住んでいる場所を移さないといけなくなり、代々受け継いでいた家の立て方を継承できなくなったそうです。文化も自分たちの土地も奪われてしまうことは本当に残酷だと思います。

 核実験でも核兵器を使っていることに違いはありません。ヒロシマやナガサキと同じように多くの人に学んでもらいたいです。そして、被害は人間の健康だけでないということを知ってもらいたいです。(高3桂一葉)

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