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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 世界から広島に来てもらう意義 核廃絶への思い共有

 広島市中区の平和記念公園には、観光客はもちろんのこと、核兵器を持つ国を含(ふく)めて、各国の政策(せいさく)を担当(たんとう)する首脳(しゅのう)や政治家、研究者たちが世界中から訪(おとず)れます。ここ2年ほど、新型コロナウイルス禍(か)で旅行をする人は大きく減っていますが、往来の回復をみんなが待ち望んでいます。いろんな国に暮(く)らす各界の人に原爆資料館や原爆慰霊碑(いれいひ)などを訪れてもらう意義は、何でしょうか。中国新聞ジュニアライターが取材しました。

エマニュエル米駐日大使

禎子さんの物語に感銘

動画はこちら

 米国のラーム・エマニュエル駐日(ちゅうにち)大使が3月26日に広島を訪れました。大使が岸田文雄(ふみお)首相と一緒(いっしょ)に原爆慰霊碑で献花(けんか)したり、広島市の松井一実(まついかずみ)市長と平和記念公園を歩いたりする様子を取材しました。

 広島と東京、米国の記者や警備(けいび)の人たちが大勢いて、そばに近づくことは難(むずか)しかったですが、「原爆の子の像」の前での約15分間の囲み取材には参加できました。

 大使は「原爆資料館を見学した時、声を詰(つ)まらせたのはなぜですか」と聞かれ、「写真の、特に(原爆の犠牲(ぎせい)になった)子どもたちの目が自分を見ているようで、あふれ出る感情があった」と答えました。

 ジュニアライターの姿(すがた)に気づき、大使は自ら質問を受けてくれました。

 像のモデルとなった佐々木禎子(ささきさだこ)さんの物語について感想を聞くと「折(お)り鶴(づる)を通した表現で平和を広めたという、素晴らしい話。若(わか)い皆さんも禎子さんのように世界に影響(えいきょう)を与(あた)えることができます」と話しました。

核に頼らない政策が不可欠

広島市、働きかけ

 広島市は、政治家や著名人(ちょめいじん)の訪問(ほうもん)を呼(よ)び掛(か)ける活動をしています。世界から核兵器をなくすには、各国、特に米国などの核兵器を持つ国が政策を変えることが欠かせないからです。次に市の平和推進(すいしん)課を取材しました。

 市は「迎(むか)える平和」を掲(かか)げています。例えば、8月6日の平和記念式典などの時、在日大使館の人に「あなたの国の首脳もお迎えしたい」と要請(ようせい)します。日本の外務省にも働きかけを頼んでいます。大きな国際会議の予定を知ると、広島での開催(かいさい)を主催(しゅさい)者に提案します。多くの人が原爆資料館を見学することが見込(みこ)めるからです。

 桧垣智弘(ひがきともひろ)課長は「被爆地に来れば、被害の恐ろしさを実感できる。為政(いせい)者たちと、その国の市民の両方が核兵器を望まないようになってほしい」と話します。

 活動の根拠(こんきょ)となる法律(ほうりつ)もあります。被爆から4年後にできた「広島平和記念都市建設法」です。広島の復興のため国が援助(えんじょ)することと、市長が市民と一緒に平和記念都市を建設する努力義務について書かれています。広島が世界の人々が訪れる平和のシンボルとなる努力は、戦後から続いているのです。

米兵捕虜調査の森重昭さん

戦争の恐ろしさ「体感を」

 広島を訪れたエマニュエル大使と会って、昼食を一緒に囲んだ森重昭さん(85)=広島市西区=から話を聞きました。捕虜(ほりょ)として広島に収容(しゅうよう)されて被爆死した米兵について調べ、捜(さが)し出した遺族(いぞく)に伝える活動を40年以上続ける被爆者です。

 森さんは大使に、旧日本軍の攻撃(こうげき)を受けて現在の佐伯(さえき)区に墜落(ついらく)した米軍のB24爆撃(ばくげき)機タロア号の破片(はへん)を手渡(てわた)しました。「これは戦争の悲劇(ひげき)です。平和を伝える『ハト』だと思ってほしい」と伝えると、感動した表情で受け取ったそうです。

 2016年には、原爆を落とした国の大統領として初めて広島を訪れた当時のオバマ米大統領と面会しています。森さんは「世界の数多くのリーダーが広島に訪れてほしい」と話します。「原爆が一人一人にもたらした惨状(さんじょう)は知識や言葉だけでは伝わらない。原爆資料館で原爆犠牲者の遺品(いひん)をじかに見たり、多くの遺骨(いこつ)が眠(ねむ)る平和記念公園に足を踏(ふ)み入れたりして、体感してほしい」

 森さんは私(わたし)たちにも、墜落した米軍機の破片を見せてくれました。触(さわ)った時、改めて戦争の恐(おそ)ろしさを感じました。実際に足を運び、体感することを大切にしていきたいです。

英語で被爆証言 小倉桂子さん

「諦めず世界へ訴える」

 被爆者の小倉桂子(けいこ)さん(84)=広島市中区=は、通訳(つうやく)者としてたくさんの国の若者(わかもの)、市民や外交官、政治家、研究者に英語で体験や原爆の悲惨(ひさん)さを伝えてきました。米国などに出向くことも、広島を訪れる人を迎えることもあります。

 小倉さんはいつも、相手の立場や文化を理解して接するよう心掛(こころが)けています。人によって、広島に来る理由や知りたいことは違(ちが)います。例えば紛争(ふんそう)を経験した発展途上(はってんとじょう)国の人は、原爆を生き残った市民がどうやって今の広島をつくったのかを聞き、希望を持ちます。原爆を落とした米国の人からは「広島で市民に何を言われるか、不安だった」と言われることもあります。

 「広島と長崎(ながさき)はあらゆる核被害(かくひがい)の一部。私たち被爆者だけでない、という気持ちで話しています」と小倉さん。あの日に広島にいなくても、疎開(そかい)していた大勢の子どもが孤児(こじ)になったと伝えています。世界各地で行われている核実験の被害者は、資料館で放射(ほうしゃ)線の影響に関する展示(てんじ)の前でじっと立ち止まるそうです。

 昨年、核兵器禁止条約が効力を持つようになりました。現実には、大臣や政治家が広島を訪れていても、条約には反対している国が少なくありません。今、ロシアがウクライナの市街地にミサイルを撃(う)ち込み「核兵器も使うかもしれない」と脅(おど)しています。小倉さんは「怒(いか)りと悲しみでつらい。核兵器はなくさなければならない、と諦(あきら)めず訴(うった)える責任(せきにん)をなおさら痛感(つうかん)している」と話していました。

ローマ教皇やオバマ元大統領来訪

 過去10年間をみても、2019年のローマ教皇(きょうこう)フランシスコをはじめ、さまざまな国や組織の人たちが広島を訪れています。

 核兵器を保有する国のリーダーも含(ふく)まれます。米国では15年のガテマラー国務次官と、次いで16年のオバマ大統領。この年は、先進7カ国(G7)外相会合で米国と英国、フランスの外相が平和記念公園を歩きました。イスラエルのバラク副首相兼(けん)国防相(12年)も原爆犠牲者に花をたむけています。最近は、バイデン米大統領が広島か長崎に来るかもしれない、と言われています。

 広島を訪問して終わりではなく、自分の国の核兵器をなくす行動につなげるよう、被爆地から各国に働き掛(か)けなければなりません。

私たちが担当しました

 この取材は、森本柚衣(今春卒業)、高3桂一葉、佐田よつ葉、高2山広隼暉、高1山瀬ちひろ、田口詩乃、中3相馬吏子、中野愛実、小林由縁、吉田真結、谷村咲蕾、森美涼、中2川本芽花、山代夏葵、山下裕子、中1佐藤那帆、川鍋岳が担当しました。

 取材を通して中国新聞ジュニアライターが感じたことを、ヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトで読むことができます。

 エマニュエル大使の囲み取材の英語全文と日本語訳もサイト内に掲載しています。

(2022年4月25日朝刊掲載)

[取材を終えて]

■エマニュエル駐日大使の取材

 ラーム・エマニュエル駐日大使が広島で平和記念公園を散策し、原爆慰霊碑に花をたむけて、広島と長崎の平和について意見を述べました。その声を聞き、広島で生まれ育った私だからこそ、世界平和の実現のために何か小さなことでもできるのではないかと考えさせられました。また、米国の駐日大使の取材に参加し、想像以上の近さで大使の声を聞くことができたことは、7年間の最後のジュニアライター活動として貴重な経験になりました。(高校卒業・森本柚衣)

 エマニュエル大使はヒロシマや原爆について詳しい方だと思いました。日本国内でも、原爆についてまったく知らない人がいます。しかし、違う国の人でも原爆や佐々木禎子さんについて知っているという事実に驚きました。大使自身が「広島に来たい」と思っていたことが、とてもうれしかったです。国内外で原爆について知らない人がたくさんいても、積極的に発信して、関心を持つ人に伝わってほしいと思います。そして、私も海外の歴史など、知らないことを勉強していきたいです。(高3桂一葉)

 エマニュエル大使は取材の中で、「平和資料館で展示している写真、特に私たちを見つめる子どもの目が脳裏から離れない」と話していました。被爆した人々の思いは、写真によって国境を越えて届いているのだと実感しました。言葉が通じなくても、たった1枚の写真で思いを共有できたことに感動を覚えると共に、被爆の惨状を後世に伝えるため、さらに多くの人に見てもらいたいと思いました。そして、世界中の人々と平和の思いを共有したいです。(中3森美涼)

 エマニュエル大使を取材して、「大人でなくても、子どもでも平和のために行動できる」という言葉が印象に残りました。核兵器がいかに恐ろしいか、被爆者がどのような思いで平和を訴え続けてきたのかを、もっと発信していきたいと思いました。また、核兵器を廃絶するためには、やはり国際的な交流が不可欠だと思います。外国の人たちの考え方や、核兵器を保持するようになった経緯を調べて、どのように解決していくべきかを考えたいです。(中3谷村咲蕾)

 エマニュエル大使の「原爆資料館を見て、感情的にならない人はいない」という言葉が印象的でした。私も原爆資料館を初めて訪れた時、恐ろしさを感じて大きなショックを受けました。原爆は、投下された時から今までずっと、人々に体の傷だけでなく心の傷も与えてきたと思います。

 私も実際に資料館に行ったことで、学校での平和学習やメディアの情報だけでは分からない原爆の恐ろしさと平和の大切さを強く実感できました。きっとそれは、私だけでなく、訪れた全ての人が感じることだと思います。資料館に行き、原爆について学ぶ人を増やすことは、一人一人が平和を願う世界をつくることへの一歩になります。今後は原爆資料館に行くことの大切さを伝えたり、それ以外でも原爆について伝える施設を調べて発信していきたいです。(中3吉田真結)

 米国の駐日大使を取材することは貴重な体験でした。今まで外国人に平和についての話を聞いたことがなく、どのように考えているのか知りたいと思っていました。

 大使は平和についてとても考えているようで、広島の子どもとしてうれしく思いました。谷村さんが佐々木禎子さんについて大使に質問し、大使が「若い世代も世界に影響を与えられる」と答えました。私たちでも、世界に平和を発信する力があると改めて感じました。

 今回のように外国の人が広島へ来て平和について考えくれることは、とても大切なことだと思います。このように広島を訪問する人たちを通して、世界中の子どもたちに広島のことを伝えられたら素晴らしいと思いました。私たちの記事をきっかけに、たくさんの人に平和について考えてもらいたいです。そして、私も世界へ発信できるよう英語の勉強をもっと頑張ろうと思います。いつか私が書いた記事や発信した情報を見て、世界の人とつながることができたらうれしいです。(中2山下裕子)

■広島市平和推進課の取材

 被爆体験を原点に、国境や世代を越えて平和の大切さを伝えていく広島の使命の重さを感じました。現在、核兵器の廃絶が叫ばれる一方で、多くの国々が競うように核兵器の開発に注力しています。核の脅威によってではなく、桧垣課長が話した「対話によって信頼関係を築く」ことで平和を守る努力をし、それをみんなに呼び掛けることが次世代を担う私たちに求められていると思います。核抑止力ではなく77年前の悲惨な現実を受け止めることこそが、平和を実現するための第一歩であると、世界各地の人々に知らせていきたいです。(高3佐田よつ葉)

 平和推進課は、各国の指導者に広島を訪問してもらうためにさまざまな手段で要請しています。平和への強い思いがあるのだと感じます。広島は「広島平和記念都市建設法」によって、平和記念都市になるように法律で位置づけられています。そのことを知り、広島に住む人として平和を伝えていかなくてはならないという思いが、より一層強まりました。

 広島に来てもらうことが難しい新型コロナウイルス禍では、インターネットを使うなどの工夫しているそうです。行動力も感じました。この取材をするまで、平和推進課のことを知りませんでした。表に見えないところでも、多くの人が核兵器のない平和な世界を実現するために行動していることが、私たちの平和への意識につながっていると思います。自分もその一員として行動していけるようになりたいと思いました。(中1川鍋岳)

■森重昭さんの取材

 森重昭さんの取材を通して、当時の記憶や記録を伝えていくことが大切だと感じました。

 森さんは長年にわたり米国から書籍や新聞を集めて被爆米兵について研究し、遺族と交流していました。なかなかその活動が表に出ることはありませんでした。しかし、2016年に当時のオバマ大統領と面会して、森さんの活動が多くの人に知られるようになりました。

 特に感銘を受けたのが、森さんの「異なる人種でもみんな人間」という考え方です。この考え方があったからこそ活動を続けることができ、他国の人の共感も得ることができたのだと思いました。

 今、ロシア軍がウクライナを侵攻していて、改めて平和とは何なのかが問題になっています。この問いの答えを出すために、まずは世界中の人たちに森さん含めて被爆者の話を知ってもらう機会が必要だと感じました。そのためにオバマ元大統領のように、各国のリーダーが被爆地の広島を訪れて、実際に戦争の悲惨さを感じてもらう必要があると思います。(高2山広隼暉)

 森さんが被爆米兵について40年以上も研究していたことを初めて知りました。私は広島で平和教育を受けて、原爆のことはある程度分かっていたつもりでしたが、まだまだ視野が狭いことに気づきました。森さんは、「米国人だろうと誰だろうと、人間であることに変わりはない」という思いで研究してきました。悲惨で悲しいことがたくさんあった戦争の中でも、人の愛と優しさは変わらずにあるのだと感じました。いろいろな考え方や情報があふれているこの時代に、正確な事実を見極めることは簡単ではないと感じています。でも、自分の頭でしっかり考えて、伝えなければならないことを将来も伝えていくために行動することを意識したいと思います。(中3相馬吏子)

 森さんの取材の中で最も印象に残った言葉は、「米国人でも英国人でも全員人間、人種は関係ない。どこの国の人でも原爆の犠牲者に変わりはない」という言葉です。この言葉から、私たちは日本人の被害だけに目が行きがちだということに気付きました。また森さんは、「言葉だけでは伝わらない。だから実際に体感してほしい」と話していました。墜落した米軍の爆撃機タロア号の破片を見て触ったとき、そのぼろぼろな姿から改めて戦争の恐ろしさを感じました。同時に、体感することの大切さも感じました。私も、これからは実際に足を運んで、体感することを大切に活動していきたいです。(中3中野愛実)

 森さんは、広島に各国の代表者が訪れることに対して「とても光栄なこと。体感してほしい。多くの人に来てほしい」と話していました。どれほど原爆や戦争について学んでも、広島の地に来て、平和記念資料館や原爆ドームなどを実際に見ることでしか感じられない迫力があると思います。それほどヒロシマは、平和を訴える力があると思いました。森さんのお話を聞く中で、被爆地広島で生まれ育ったことの意味の大きさを実感しました。広島で暮らす私たちが、日本や世界に伝えていくことが重要だと今回の取材で学びました。(中2川本芽花)

■被爆者の小倉さんの取材

 米国人学生や退役軍人、海外メディア陣など様々な人とお話ししてきた小倉さん。色々な立場の人がいる中で相手のことを知り、常に相手のことを考えていることに感銘を受けました。

 私なら自分のことやヒロシマが受けた被害を中心に伝え、相手のことはあまり考えられないと思います。それは、ヒロシマのことを伝えたいという思いが強くあるからですが、それだけでは伝わらないと知りました。話す相手はどこかで核被害を受けた人かもしれないし、核兵器を持つことは正しいと思っているかもしれない。それらの善悪については分からないこともありますが、相手の思いや経験を尊重することは、考えを伝えて対話するためにはとても大切なことと感じました。

 私たちは、みんなそれぞれ違います。その中で生きていくためには、相手のことを素直に受け止めて、創造力を働かせ、寄り添うことが重要です。そしてそれは、平和な世界を形作るものになると思います。まずは身近なところから周りの人に思いを巡らせてみたいです。(高1田口詩乃)

 小倉さんは英語の通訳者であり、被爆者です。それぞれの国の人が何を知りたいのかについて考えることが大切だと分かりました。その中で、広島の人々がどのように憎しみを乗り越えたのかという疑問は重要だと思います。小倉さんがいつも違う相手と会っているため「話を100回すれば、内容も100回違う」と話していた通り、聞き手の思いが話に影響することを知りました。私も取材をするときに、どのような思いで取り組むかを明確にできるようになりたいと思います。(中2山代夏葵)

 私がジュニアライターになって初めての取材でした。現在、ロシア軍がウクライナを侵攻し、人々が住む場所に爆弾を落として多くの人が亡くなったり、米国の政府が核実験を行ったりしたことに、衝撃を受けています。

 私は自宅や学校で平和学習をずっと学んできました。ロシアや米国をはじめ他国が平和についてどのように学習しているのかを知りたかったので、小倉さんに話を聞きました。小倉さんは、日本に原爆を落として正解だったと考えている国や、原爆について知らない国があると話していました。小倉さんがそういう国の人たちに話すことで、外国の方々が原爆について知ったり、原爆は間違いだったと認識されたりすることがある一方で、否定的な態度をされることもあるそうです。正しい情報や正しい歴史が伝えられておらず、学ぶ機会がないことも、世界から戦争や核兵器がなくなっていない一つの原因だと思いました。

 8歳で被爆した小倉さんは、現在のウクライナの子どもたちと自分を重ね合わせてしまうそうです。小倉さんのような思いをする子どもを増やさないために、まずは多くの人に知ってもらい、話し合い、伝え合うことが大切だと話していました。英語で被爆体験を語ることができる資料館の体験証言者は、今は小倉さんだけだそうです。私も英語が話せるように勉強し、世界中の人たちに原爆について伝えられるようになりたいと思いました。(中1佐藤那帆)

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