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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 折り鶴 思いごと再生 アクセサリー・文具… 広がる活用

 平和記念公園(広島市中区)の「原爆の子の像」には、世界中から千羽鶴(せんばづる)が届(とど)けられています。ゆくゆくは再生紙になり、ノートやはがき、アクセサリーなどさまざまな商品に生まれ変わってお店に並(なら)んでいます。広島を訪(おとず)れる人たちがお土産として買い求め、日本と世界の各地に持ち帰っています。中国新聞ジュニアライターは、折り鶴を管理する広島市や商品を作っている人たち、像(ぞう)のモデルとなった佐々木禎子(ささきさだこ)さんの同級生を取材。折り鶴に込(こ)められた思いをどう受け止め、活用しているのか聞きました。

いち早く取り組んだNPO

被爆者の思い継ぐため考案

 平和記念公園(広島市中区)の「原爆の子の像」の背後(はいご)に展示(てんじ)ブースが並び、色とりどりの折り鶴がつるされています。訪れた人たちは、静かに祈(いの)りをささげています。

 折り鶴を管理しているのは市平和推進課です。担当の中村直己さん(27)によると、毎年国内外から10トン前後、約1300万羽が寄せられます。かつて廃棄(はいき)していましたが、2002年度から保存し、12年度からは再生事業を始めました。

 しばらくブースに掲(かか)げた後、市内の倉庫に移(うつ)して保管し、希望する個人や団体、企業に無償(むしょう)で配ります。折り鶴は全て再生紙などに活用されているのです。

 いち早く01年から折り鶴の再生に取り組んでいるのがNPO法人「おりづる広島」(南区)です。障害者の作業所に、折り鶴の再生紙への加工を委託(いたく)しています。折り鶴とフィルムをはがした牛乳パックをちぎって水と一緒にミキサーにかけ、紙すきをします。それをはがきや名刺(めいし)などの製品にして販売しています。

 理事長の船田和江さん(73)が再生紙化を目指したのは、被爆者だった義母が一度も体験を語らずに亡くなったことがきっかけです。被爆者の思いをどう後世に継(つ)ぐかを考えていました。障害者の働く場を支えながら「みんなの平和の思いを再び生み出す」方法を思い付いたそうです。

 昨年は、折り鶴をつないで15・5797キロのギネス記録をつくる日本赤十字社広島県支部など主催のイベントに関わりました。その折り鶴は、再生紙のノートにしてネパールの学校に届けました。船田さんは「広島を『HIROSHIMA』として世界に届けるのが私たちの役目(やくめ)」と話します。

 折り鶴に込められた平和への祈りが、さまざまな形で国を超(こ)え、人から人へ紡(つむ)がれていきます。

ブローチやキーホルダー

障害のある人たちと手作り

 手作りアクセサリーなどを販売(はんばい)する広島市安佐南区の「Sakuro(サクロ)」は、NPO法人「おりづる広島」を通して折り鶴100%の再生紙を仕入れ、ブローチやキーホルダーに使っています。作業の一部は、障害のある人たちが担当しています。代表の東(あずま)利恵さん(47)=写真=に取り組みについて聞きました。

 障害のある娘を育ててきた東さんは、自宅でできる仕事としてアクセサリーを作ってきました。広島らしい土産物にできないか、と2018年に起業しました。折り鶴100%の再生紙はカラフルで、アクセサリーは個性的です。さまざまな色は、国籍(こくせき)や文化などの多様性も表現しています。

 東さんは、平和や原爆について話すことにハードルの高さを感じていたそうです。折り鶴からできた品を身に着けることで「平和について話し合うきっかけができる」と思っています。一つ一つに、世界中から広島に届いた平和への思いが詰(つ)まっています。

同級生の川野さん

「禎ちゃん」の祈り 世界へ

 1958年に建てられた「原爆の子の像」は、2歳で被爆し、白血病のため12歳で亡くなった佐々木禎子さんがモデルです。当時像の建立活動をした川野登美子さん(81)=広島市中区=は、折り鶴再生紙のノートを世界中に届けています。

 爆心地から約2・3キロで被爆した川野さんは幟町小(中区)で「禎ちゃん」と同じクラスでした。2人は運動ができて大の仲良し。しかし禎子さんは6年生だった55年2月に突然(とつぜん)入院し、その年の10月に息を引き取りました。

 原爆の子の像は、被爆して亡くなった全ての子どもの慰霊碑(いれいひ)として川野さんたちが全国に寄付を呼びかけて完成しました。平和のシンボルの折り鶴は、闘病中(とうびょうちゅう)の禎子さんが「千羽折れば病気が治る」と信じて折り続けたのが由来です。

 川野さんは2018年に広島の企業家有志(きぎょうかゆうし)と一緒(いっしょ)に、折り鶴再生紙でできたノートを世界の子どもたちに配布(はいふ)するプロジェクトを始めました。20カ国以上に約2万1千冊を贈(おく)ってきました。「自分にできる範囲(はんい)の小さな活動が世界平和につながる」と話します。

県外でも

斬新デザイン 目を引く扇子

 折り鶴再生紙の活用は、広島県外にも広がっています。東京都で古紙リサイクル商品を開発するカミーノは、円形の扇子(せんす)「FANO(ファーノ)」を作っています。直径約25センチで、棒状(ぼうじょう)に折り畳(たた)むことができます。英語で「PEACE」(平和)とプリントしています。

 取締役の鍵本政彦さん(58)は江田島市出身の被爆2世です。「『それ、すてきだね』から話題を広げるきっかけになってほしい」と話します。

 千羽鶴には、ビーズや糸、針金が使われていることもよくあります。それらを取り除く技術を持つ徳島県のパルプ製造工場で折り鶴30%、牛乳パック70%のパルプを生産。扇子にする紙の材料にしています。

 被爆70年の2015年、平和記念式典に参列した各国代表に市を通じて扇子を贈(おく)りました。最近は広島の大学生や障害者が文字やイラストを描(えが)いたデザインも取り入れています。

私たちが担当しました

 この取材は、高2山瀬ちひろ、小林芽衣、高1森美涼、相馬吏子、谷村咲蕾、中3山下裕子、新長志乃、山代夏葵、中2川鍋岳、行友悠葵、矢澤輝一、松藤凜、中1山下綾子が担当しました。

 取材を通して中国新聞ジュニアライターが感じたことをヒロシマ平和メディアセンターのウェブサイトで読むことができます。

(2023年7月17日朝刊掲載)

【取材を終えて】

~広島市平和推進課への取材~

 私は原爆の子の像に届けられる折り鶴の量に驚きました。2002年に9つの展示ブースができるまでは地面に直接置かれ、雨や風でぼろぼろになり、年に4回焼却されていたそうです。しかし、批判の声が多く、2000年に市が折り鶴の保存・活用方法を市民から募り、再生紙を作ったといいます。

 原爆資料館の売店で、折り鶴を再生して作ったポストカードやしおりを見たことがあります。名刺や卒業証書、表彰状にも利用されており、とても身近に感じました。平和の思いを引き継ぐこの活動は「私が寄贈した折り鶴が再生紙の中に含まれているかも」と考えると、とても興味深いです。(中2矢澤輝一)

 折り鶴をさまざまな商品に再利用して生活に取り入れることで、日々の生活から平和への意識を変えていくというのは新たな視点でした。平和の大切さを伝えるには、本当にさまざまな形があるのだと思います。

 広島市によると、再利用するために折り鶴が欲しいという国内の企業は多くありますが、海外からの希望はないそうです。この事業には、折り鶴をどのように再生してどのように活用するのか、発展性があると思います。海外で折り鶴を再生してもらうことができたら、この発展性で海外の方の新たな発想で平和への思いを広げ、浸透させることができるかもしれません。そのため、海外の方にもぜひ折り鶴の再生にトライしてほしいと思いました。(中2川鍋岳)

 今回、広島市の中村直己さんの話を聞いて思ったことはブースに寄贈された折り鶴を再生するのはとてもいい取り組みだと思いました。折り鶴を再生することで、折り鶴を作った人の平和への思いを無駄にすることもないし、折り鶴を再生したものがまた他の人の手元に届くことで平和の輪が広がっていくと思います。そして、その再生品を受け取る側も責任を持たなければいけないと思います。今後、私も折り鶴再生品をもらったり買ったりすることがあれば大切にしたいなと思いました。(中2行友悠葵)

 世界中から、毎年平均10トンも捧げられるという折り鶴。平和を願って捧げられた折り鶴を再生、再利用してその思いごと世の中に還元されていくとても良い活動だと思います。一部の企業からは毎年上限を設けるほど大量の配布希望があると聞き、それぞれの形で再生されている事が分かって嬉しかったです。個人でも手続きをすればもらうことができるので、自分で活用していくのもいいし、お店に置いてある再生商品を購入して友達にプレゼントするなど、これからも再生事業がずっと続いてほしいと思います。(高2山瀬ちひろ)

 折り鶴100%を使った再生紙でキーホルダーやピンバッジが作られていたことを初めて知りました。「世界中の平和への思いが全て詰まっている。世界に一つだけのもの、特別なものを手に入れたと思ってほしい」と言う東さんの言葉が印象的でした。折り鶴100%の再生紙を作れるようになるまで、およそ20年もかかったそうです。さまざまな多様性、平和への思いが強く伝わりました。私たちが普段折っている鶴には、いろいろな方が関わっていることを知ったので、これから折り鶴を折るときの感じ方が変わったような気がします。(中1山下綾子)

 佐々木禎子さんと同じように被爆された川野さんは、仲良しだった禎子さんや、ご自身の兄など身近な人を亡くされています。だからこそ、平和の大切さや命の尊さを多くの人に伝えようと、折り鶴の再生紙を利用した学習ノートを世界の子どもたちに無償で配布していることにすごく平和への思いが伝わってきました。川野さんがの「生かされていることに感謝」という言葉の意味が分かった気がしました。(中1山下綾子)

 平和記念公園内には色々な所に千羽鶴が捧げられています。私も何度も鶴を折ってきました。しかし、その千羽鶴が捧げられた後でどうなるのかについては、多くの人は認識していないと思います。お話の中で、以前は焼却されていたという事実に驚きました。東さんや船田さんの活動のように、別の形として残していくのは、一羽一羽に込められた思いを無駄にすることなく次の人にその思いのバトンを繋げられると思います。より多くの人にこれらを手にとってほしいです。(中3山代夏葵)

 川野さんから「原爆の子の像」の建立に至るまでのお話を聞いて、教科書では学べなかった川野さんたちの思いを知ることができました。私の学校では現在、生徒会を中心に全校生徒で折り鶴を千羽折る取り組みを行っています。今回の取材を通して、改めて折り鶴を折る意義について考えるきっかけとなりました。

 私なりに考えた意義は、川野さんから聞いた話をまずは生徒会のメンバーと共有して、今度行われる平和集会で全校生徒に伝えたいです。そして、ただ折り鶴を折るのではなく、何か平和に対する思いを抱いてもらいながら折ってもらいたいです。(中3山下裕子)

 川野さんたちの「おりづるノートプロジェクト」に込められた想いが強く伝わってきました。平和を祈って、折られた鶴をノートとして生まれ変わらせ、子ども達に配る。そして、そのまっさらなノートに新たな学びが書きつづられる。この活動は平和の輪を広げていく活動として大きな意味を持っていると思います。ノートに添えて入れられている手作りのおりづるは受け取った人の心に響くし、平和を考えるきっかけにもなると思いました。(中2川鍋岳)

 私は今、幟町中学校に通っています。だからこそ、卒業生の川野さんのお話が聞けて良かったです。学校の平和学習の時間にも、佐々木禎子さんについての話を聞いていたのですが、今回川野さんから詳しい話を聞けました。

 私と同い年くらいの子どもがみんなで力を合わせて、原爆の子の像の建立など1つの大きなことに取り組んでいることはとてもすごいことだなと思いました。私も見習いたいなと思いました。そして、この話を聞いただけで終わらせるのではなく、身近な人に伝えていくことが大切だと思いました。それをできるようにするには、もっと知識を深めないといけないなと思います。だからこそ、もっとたくさんの取材に参加し知識を深めたいと思いました。(中2松藤凜)

 6年竹組の話を聞いて、子どもたちの思いで像を建立するというとても大きいことをなしとげたのは本当にすごいと感動しました。「団結と継続」。先生から言われたこの言葉を何度も口にしていて、川野さんの中で大切な言葉になっているのだなと感じることができました。そして現在のノート寄付の活動に通じていることも分かりました。小さなことでも行動すれば必ず相手には伝わるし、継続していれば同志が集まって世の中に届くかもしれません。伝え続けることの大切さを改めて実感することができたので、これからもできることを行っていきたいです。(高2山瀬ちひろ)

 折り鶴の再生利用という着眼点が、新鮮だと感じました。8月6日に合わせて多くの折り鶴が全国から広島に届きますが、いくら想いが込められてるとは言っても、元は紙。行き先に困るという問題が生じます。しかし、焼却してしまうのは環境面でも平和への想い的な面でも望ましくはないです。そうなったとき、その折り鶴を使ってお土産を作れば良いと発想したことが、率直にすごいなと思いました。(高2小林芽衣)

 作家の東さんは折り鶴100%の再生紙の商品だけでなく、被爆樹木の剪定木から木工品を作って販売しています。「被爆の惨禍を生き抜いた被爆樹木を捨てるのはもったいないと思い、形を変えて平和を発信する物にしようと考えました」と話していました。私には被爆樹木を活用するという発想がなかったので、興味深かったです。

 実際に被爆樹木からできたボールペンを見せてもらいました。手触りが滑らかで、香りも木の独特の匂いで「2023_k1」と刻字されていました。刻字によって、いつ作ったのか、どこの木で作られたのかが分かるそうです。実際に材料となった木に合いに行くことができ、素敵だと思いました。ボールペンから平和について考えるきっかけになります。

 広島市内で生活していると、被爆樹木を見かけることがあります。その時は立ち止まってその木の歴史に触れたいなと思いました。東さんの商品はどれもたくさんの可能性を秘めていました。(中2矢澤輝一)

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