×

ジュニアライター発信

『ジュニアライター発』 元市女生 生き残り悔いた曽祖母をたどる

多くを語らず2005年死去

境遇似る同窓生 深い悲しみ 「死亡」並ぶ出席簿

 私が生まれる前の2005年に74歳で亡くなった曽祖母は、広島市立第一高等女学校(市女、現舟入高)に通っていました。3年生のとき牛田(東区)の自宅で被爆しましたが、長い間家族に何も体験を語りませんでした。口にしたのは、生き残ったことを悔(く)いる言葉だけだったといいます。なぜ話そうとしなかったのか。生徒たちに何が起きたのか。知りたいと思い、手掛(が)かりを求めて取材しました。

 当時2年生だった矢野美耶古(みやこ)さん(91)=西区=と会いました。

 市女では爆心地から500メートル付近での建物疎開作業に動員された1、2年生541人を含め、生徒と教員計676人が犠牲(ぎせい)になりました。矢野さんは体調不良で休んだため自宅で被爆しました。3年生だった曽祖母が動員された工場は、電力不足による「電休日(でんきゅうび)」でした。

 「戦争で死ぬのは名誉(めいよ)だと教育された。自分は生き残ってしまったと思った」と矢野さんは話します。その後も、同級生が亡くなったのに自分は生きている、とつらかったそうです。曽祖母も同じような思いだったのかもしれません。戦争は生き抜いた人も苦しめます。

 曽祖母の卒業アルバムを一緒に開きました。「戦時中は、敵機(てっき)から見えないよう制服のネクタイを外していた」と教えてくれました。勉強の時間はほとんどなかったそうです。矢野さんを通じて、曽祖母の学校生活の様子や深い悲しみに思いを巡(めぐ)らせました。

 次に舟入高の同窓会を訪(たず)ねました。

 住田恒三事務局長が当時の出席簿(しゅっせきぼ)を見せてくれました。一人一人の動員先やけがの程度が手書きされています。3年生の欄(らん)に曽祖母の名前がありました。会ったことのない曽祖母の存在を実感しました。1、2年生の名前の横には赤鉛筆で「死亡」という文字が並んでいます。私と同じ世代の命が犠牲になった事実が、胸に迫ってきました。

 戦争は学ぶ時間や自由を奪(うば)います。核兵器は一瞬(いっしゅん)で多くの命を奪います。私は今月、舟入高に進学しました。曽祖母のような思いをする人を再び出さないよう、被爆者の証言を聞いて平和と命の尊(とうと)さを訴(うった)えていきます。(高1中野愛実)

(2023年4月10日朝刊掲載)

年別アーカイブ