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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 原爆と平和大通り <下>

FFの舞台でヒロシマ発信

 中国新聞ジュニアライターは、広島市中区の平和大通り一帯などで開かれた2024ひろしまフラワーフェスティバル(FF)初日の3日、ステージで取材の成果を発表しました。会場の「平和大通り」をテーマに、緑地帯に立つ慰霊碑(いれいひ)や戦後の復興(ふっこう)について紹介(しょうかい)。ウクライナからの避難者(ひなんしゃ)と「アオギリのうた」を披露(ひろう)しました。ステージ発表に先立ち取材した「永井博士のバラ」と併(あわ)せて報告します。

桜隊の原爆殉難碑・被爆者の森…

地図広げ被害や復興説明

 ステージ発表では、模造(もぞう)紙を5メートルの長さに貼(は)り合わせ、フェルトペンや折り紙、色画用紙で平和大通りを描(えが)いた地図を広げながら説明しました。

 その一つは「移動演劇(えんげき)さくら隊原爆殉難碑(じゅんなんひ)」です。桜隊は、疎開(そかい)先の広島市を拠点(きょてん)に活動していた移動劇団(げきだん)です。被爆し9人が亡(な)くなりました。私たちは発表の中で、原爆がさまざまな地域(ちいき)や職業の人の命を奪(うば)ったことを伝えました。

 平和大通りには、平和に関係した植物も多く見ることができます。

 全国の被爆者団体から寄せられた47都道府県の県木などが茂(しげ)っている一角が、「被爆者の森」です。被爆者団体の全国組織、日本被団協が1990年に「ふたたび被爆者をつくらない」との思いで整備し、広島市に寄贈しました。

 発表で取り上げたもう一つは、「供木(きょうぼく)運動」の樹木(じゅもく)です。広島市は原爆によって焼け野原となり、財政難(ざいせいなん)に苦しみました。広島市を助けようと広島県内各地から贈(おく)られた木が、平和大通りに植えられました。

 私たちは「75年は草木が生えないと言われた広島は、多くの人の願いや行動によって緑あふれる街になったのです」と観客に向けて話しました。ステージ発表を見た多くの人がもっと平和に思いをはせ、普段(ふだん)何げなく歩いている平和大通りの風景も少し違(ちが)って見えるようになってほしいです。

アオギリのうた

ウクライナの戦争終結願い合唱

 ♫あらそいのない国 平和の灯(ひ)―。広島のねがいはただひとつ せかい中のみんなの明るい笑顔♫

 戦地ウクライナから広島に避難している歌手のヤナ・ヤノブスカさん(42)と「アオギリのうた」を合唱しました。今も続く戦争に苦しむウクライナの人たちを思い、戦争終結への願いを込(こ)めました。

 目の不自由な男性避難者がアコーディオンで伴奏(ばんそう)してくれました。自分たちも驚(おどろ)くほど歌声を響(ひび)かせることができ、観客から大きな拍手(はくしゅ)を受けました。ヤノブスカさんは「歌詞(かし)の一つ一つの言葉が私の心に響いた。元気をもらった」と話しました。

 共演の前に、私たちはヤノブスカさんから体験を聞きました。

 約2年前に首都キーウ(キエフ)から日本へ逃れた時、「平穏(へいおん)な生活や思い出を置いていかなければならなかった」のでした。昨年末に一時帰国で母親たちと再会し、「まだ帰る場所があると思った。離(はな)れていても心はつながっている」。涙(なみだ)ながらに振(ふ)り返りました。

 私たちに「日々を精(せい)いっぱい生きてほしい」と話してくれたヤノブスカさん。「前を向こう」と歌手活動を始めました。私たちも、市民の平穏な生活を奪(うば)う戦争への関心を変わらず持ち続けます。

長崎ゆかり 永井博士のバラ

保存活動への思い 関係者4人に聞く

 平和大橋の東詰(ひがしづ)め近くに、長崎で被爆した故永井隆(ながいたかし)博士ゆかりのバラが植えられています。このバラを守り、市民に伝える活動を続ける「広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会」の谷口正行委員長(75)たちメンバー4人を取材しました。

 被爆から4年後に広島と長崎の青年が平和交流をした際、永井博士からバラが贈られました。レッド・ラジアンスという品種で、今あるのはその株を接ぎ木して増やした「子ども」だそうです。

 活動のきっかけは2013年。平和大通りのバラが弱っていると心配する市民の声が中国新聞に載(の)ったことでした。被爆者の故正本良忠さんが呼びかけ、委員会ができました。

 永井博士は長崎大で放射線医学を学び、白血病で1951年に亡くなるまでに「長崎の鐘」などの本を書き残しました。正本さんの次男の正本大さん(58)は「永井博士がバラに込(こ)めた平和への思いを伝えたい」と話します。寄付金で説明看板も設けました。紙芝居(かみしばい)を作成し、小学生に読み聞かせています。

 取材したのは寒い時季で、バラは枝だけでしたが、5月上旬から美しい花を咲かせています。

私たちが担当しました

 高3小林芽衣、田口詩乃、高2小林由縁、相馬吏子、谷村咲蕾、殿重万桜、中野愛実、藤原花凛、森美涼、山口莉緒、吉田真結、高1尾関夏彩、川本芽花、新長志乃、竹岡伊代莉、戸田光海、山下裕子、山代夏葵、中3亀居翔成、川鍋岳、佐藤那帆、西谷真衣、新田晄、松藤凜、矢沢輝一、行友悠葵、中2石井瑛美、小林真衣、山下綾子、中1岡本龍之介、小林菫、相馬吏緒、森本希承が担当しました。

(2024年5月14日朝刊掲載)

関連動画はこちら

2024ひろしまフラワーフェスティバル 中国新聞ジュニアライターのパネル発表

2024ひろしまフラワーフェスティバル 中国新聞ジュニアライターの合唱

【取材を終えて】

~広島・長崎平和のバラ~

 広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会のおかげで、75年前に広島に贈られたバラが今もなおきれいに咲いているのだと知りました。このバラのような原爆に関係するものが今も残っているのは、さまざまな人の努力のおかげだと思います。私たちもそれを引き継ぎ、後世に残していく必要があると考えました。また、「太田川の水が逆流しようとも原爆は使用してはいけない」というメッセージが込められた永井博士から贈られたバラの話を、私も周りの人に伝えていきます。(ジュニアライター卒業生・大学1年中島優野)

 「もの」として残っていても、消えてしまう。被爆者の方の体験といった目に見えないものは忘れないようにとするが、目に見えるものは忘れられないと思ってしまっていました。しかし、植物、それもバラでさえ、忘れられて無くなってしまう危機があることを実感しました。また、その植物が持つ背景や託された思いもその植物と運命を共にしています。そうしたものと一緒に、永井博士のバラをはじめとした木々たちを記憶し伝えていかなければならないと感じました。そのままでも大丈夫。記憶は消えない。それは私たちの言い訳でしかないのではないでしょうか。永遠にあるものはないけれど、つないでいくことで永遠になるものはあると思います。その一つが、このバラであり、ヒロシマの記憶であり、平和なのだと思います。(高3田口詩乃)

 広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会の皆さんは、バラの保全後も、永井博士の活動を若い世代へ伝えるために紙芝居を作り、図書館への寄贈や、小学校の児童に読み聞かせをするなどの活動を通して、永井博士の世界平和の実現を願う気持ちを伝えていることを知りました。平和への思いを知ったり伝えることも、平和を実現する一つの方法だと思うので、私も平和への実現のために行動していきたいです。(高1尾関夏彩)

 平和とバラの関係は、「アンネのバラ」が有名でなんとなく知っていましたが、永井博士のバラは初めて知りました。一時期は枯れてしまう危機に陥ってしまいましたが、広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会を立ち上げ、寄付を募るなどして保護されるようになったそうです。私はこの話を知って、これからも永井博士のバラを守り続ける必要があると感じ、もっと多くの人に伝えていきたいと思いました。また、平和大通りにある平和に関する草木を調べてみたいと思いました。(高1山下裕子)

 私自身、平和大通りのバラのことも永井博士のことも知らなかったので、この取材に参加させていただけて良かったです。病気になりやすく虫がつきやすいバラを守り育て、さらにそれだけでなくそのバラを後世に伝えていく、という活動を利益を求めるわけでもなく自らできるというのが保存委員会の皆さんの素晴らしさだと思います。また、平和大通りの木々が供木運動で植えられた木だということも初めて知りました。木々には、地域の小学生が作った木の名前やどこから来た木なのかが書かれた札が付けられていて、こういった活動についての取材もしてみたいと思いました。もっと多くの人に知られるべきこれらの活動を、私たちがしっかり取材し、伝えたいです。(高1戸田光海)

 バラは、手入れを欠かしてはならない繊細な花だそうです。そんなバラを、弱った状態から回復させ、つぎ木で広められるところまでできたのは、保存委員会の「永井博士の平和の思いを守る」という強い思いがあってこそだと思いました。保存委員会が主体となって活動されていましたが、多くの寄付をしてもらったり、紙芝居を高校生と作ったりと一般の人の協力も得ていました。このバラの価値は、永井博士の思いだけではなく、広島の人々が協力して保護しようとしたことにもあると思います。(中3川鍋岳)

 広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会が、永井博士のバラを柵で囲ったり、冬なので藁を敷いたりとバラを大切に育てていたのが印象に残りました。長崎で被爆しながらも救護活動を行い、医学の研究に尽くした永井博士の平和への思いがバラに託されていて、今を生きる私たちに戦争や平和について考えさせるきっかけとなり、これからもバラを後世に残していく大切さを感じました。バラに託された平和の思いを受け継ぎ、世界の平和の実現のために、過去から学び、行動していきたいです。(中3矢沢輝一)

 永井博士のバラの保存活動をしている委員会の人たちから話を聞いて、何気なく見ている道路の木や花にも管理されている人たちがいて、思いが込められたものだと分かりました。永井博士のバラも何も知らない人が見たら、綺麗な普通のバラくらいにしか思わないかもしれません。でも、そばに置かれた説明板や保存委員会の人たちに話を聞くと、バラに込められた思いや苦労が伝わってきました。道に植えられた木や花に興味を持って、背景を考えてみたり説明板があれば注意深く見たりしようと思いました。(中3行友悠葵)

 平和大通りの緑地帯にある永井博士のバラについて、広島・長崎原爆都市青年友好平和のバラ保存委員会の人たちに話を聞きました。保存委員会の人たちの話を聞いて、バラから永井博士の世界が平和になってほしいという思いを感じました。私は永井博士の平和への思いやバラのことをジュニアライターの活動を通じて、多くの人に伝えていこうと思いました。(中2小林真衣)

 平和公園の近くにバラが植えられていることを初めて知りました。しかし、25年前、そのバラは草木に隠れ、枯れかけていたそうです。そんな中、バラの保存活動を始め、この活動を多くの人に広めるために紙芝居で読み聞かせをしています。私はこの活動で今まで通りすがりに見ていたバラなどがどのような理由で植えられているのかを意味深く知ることができ、身近に植えられている植物を大切にしていこうという思いにつながりました。(中2山下綾子)

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