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ジュニアライター発信

[ジュニアライターがゆく] 原爆資料館の対話ノート 国籍超えて めくる「思い」

 広島市中区の原爆資料館には、来館者が感想や思いを自由につづる「対話ノート」が置かれています。何の変哲(へんてつ)もない大学ノートですが、1970年から半世紀以上も続いているそうです。どんな人がどんな言葉を書き残しているのでしょうか。中国新聞ジュニアライターは、来館者や資料館の学芸員に取材しました。

 9月上旬(じょうじゅん)の日曜日、私たちは資料館を訪(たず)ねました。この日も国内外から多くの人が見学に来ていました。

 「対話ノート」は現在、館内2カ所に2冊(さつ)ずつ置かれています。本館北側にあるギャラリーと東館1階の情報コーナーです。

 まず本館ギャラリーをのぞいてみると、対話ノートに何やら書き込(こ)んでいる人がいました。英北部スコットランドからの旅行者ジュリー・フレッチャーさん(63)。「Peace be with you」(皆(みな)さんとともに平和を)と記していました。原爆犠牲者(ぎせいしゃ)を追悼(ついとう)するとともに「戦争はもうたくさんだ」という気持ちを込めたそうです。

 本館ギャラリーは、被爆資料や原爆犠牲者の遺品(いひん)の展示を見た後に通る場所です。過去の戦争がもたらした悲劇(ひげき)と、現在ウクライナや中東で起きている戦争を重ねて胸(むね)を痛(いた)める人も多いのでしょう。

 イタリアから訪れたジャーナリスト、アドリアーノ・バッフェリさん(65)は、「No more!」(もうこれ以上はごめんだ)との言葉を残していました。

 もう1カ所は、東館1階にあります。大分県別府市の大学生平沢和樹さん(21)は「どうすれば国際社会に生じた亀裂(きれつ)を止められるか私たちは考えるべきだ」と英語で思いをしたためていました。

 対話ノートに書き込んだ人は、国籍(こくせき)も世代もさまざま。涙(なみだ)を流しながら書いている人もいました。前のページをめくって、ほかの来館者が残した言葉をじっくり読んでいる人の姿(すがた)も目立ちました。

 資料館の展示(てんじ)を見て被爆の実情を学び、感じたことを言葉にする。そしてほかの人の考えにも触(ふ)れる。これが「対話」なのだと思いました。

54年で1780冊 時代を映す鏡

私の夫、どこに■広島と共にベトナムも■ガザに思い寄せる

 「対話ノート」の歩みについて、原爆資料館の小山亮学芸員に話を聞きました。

 ノートが資料館に登場したのは、1970年10月。被爆から25年がたち記憶(きおく)が薄(うす)らいでいく中、当時館長だった小倉馨さん(79年58歳で死去)が発案しました。

 以来54年、来館者が思いをしたためたノートは今月11日時点で、1780冊。学芸員たちがひと通り目を通し、永年保管しているそうです。

 小山さん立ち会いの下、一部を閲覧(えつらん)しました。「対話ノート DIALOGUE BOOK」と表紙に書かれた1冊目のノートは、時間がたって茶色っぽくなっていました。

 最初に書き込んだのは神奈川県の高校2年生。「話に聞いていたよりも非常に悲惨(ひさん)で、ショックをうけました」と率直な思いを丁寧(ていねい)な字でつづっています。

 70年といえばベトナム戦争のさなかです。「広島と共にベトナム戦争の事も考えよう」といった記述がありました。

 小山さんは「対話ノートは、時代を映(うつ)す鏡」と説明します。その言葉通り、フランスが凍結(とうけつ)していた核実験を再開した95年には、「フランスの核実験に強く抗議(こうぎ)」という言葉も見つけました。

 今年のノートには、イスラエル軍が激(はげ)しい攻撃(こうげき)を続けるパレスチナ自治区ガザに思いを寄せる記述もありました。

 私たちは被爆30年の75年から、10年ごとに8月6日を見てみました。興味深かったのは、古いノートにあった被爆者や遺族(いぞく)の言葉です。被爆30年の75年には「私の夫、どこに 骨(ほね)もわからない 30年まちても むなしい」と記され、原爆に家族を奪(うば)われた人の悲痛(ひつう)な叫(さけ)びが伝わって来ます。その後も被爆者や戦争体験者と思われる人が「核による抑止(よくし)力という言葉は人間の屁理屈(へりくつ)」「二度とこの惨事(さんじ)をくり返(かえ)さない」などと記しています。

 2000年代に入ると若(わか)い世代が、家族の体験を伝える決意や平和への願いを記した内容も目立ってきます。

 日本語や英語による書き込みが多いですが、アジアや欧州(おうしゅう)などの多様な言語で記されています。

 フランス語、イタリア語、中国語、アラビア語…。言語が違っても、いつの時代も、共通しているのは、戦争や核兵器のない世界への強い願いだと分かりました。

私たちが担当しました

高2後藤風太郎、谷村咲蕾、藤原花凛、高1戸田光海、中3亀居翔成、川鍋岳、中2石井瑛美、小林真衣

(2024年10月14日朝刊掲載)

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